1-3.再会


 春陽は神経をとぎすませていた。
 この日、一日……気配はあるのに仕掛けてこないのを彼女は知っている。

 だから。

「ねえさまー、ソウキね。かわやにいってくるから」
「そう? お供しましょうか?」
 皇女〔ひめ〕は顔をゆがめた。
「そんなコドモじゃあないもん。へいきー」
 と、一人厠へと向かう彼女を止めなかった。
 奏姫〔ソウキ〕自身、昼間の明るい後宮で襲われたことを忘れている。いや、忘れたがっているのだ。

( ――来る! )

 感じて、春陽は静かに動いた。
 細く長い渡り廊下をすすむと、脇に入る。
 少女の叫び声と、剣が交えあう音はほぼ同時であった。
 刺客の方はまさに会いたくもないモノに出会ってしまったような、苦慮の顔。
 対して、女官の方は会心の表情だった。
 榛比は眉をひそめ憎々しげに呟いた。

「なぜ、そんなふうに笑う?」
「ようやく会えたから。待っていたのよ」
 目の前で銀の刃が交えあっているというのに、彼女は本気でそう思っているようだった。

 ピュン!
 榛比は剣をしりぞき、飛びすさった。
「妙なことを! ――貴様が護衛だというのは知っているッ」
「そう! でも、会いたかったのは「護衛」だからじゃない。自分のためよ!」
 「あなたは分かっているの?」と、最初に会ったとき訊ねたことを、もう一度春陽はくりかえした。

 そして、はっきりと告げる。
「 あなた。人を殺そうとする時、泣き顔になる 」
「 黙れ! 」
 榛比は激しく声をあげた。
 そして、スッと身を引くと走り去る。
 その口が「女、殺すぞ…!」と動いたことに春陽は思わず笑みを浮かべる。

(それなら、また会える……)
 そして、縮こまって震えている奏姫に少なからずの罪悪感をおぼえた。
「奏姫様……大丈夫ですか?」
「かあさま……かあさま!」
 ドン、と春陽の胸に飛びこんで泣きじゃくる。
「イヤ! ソウキも……! ソウキもかあさまのそばにッ」
 そっと皇女の頭をなでて、春陽はいたたまれない想いにかられた。
 可哀想なことをしたと思う。
(しかし、私は彼を放ってはおけないのです)
 この自分の想いに疑問はなかった。
 奏姫の悲鳴で集まった衛兵は、二人を見つけると困惑した。
「一体、ここで何が……?」
「あの、……聞いてます?」
 彼らが「榛比」捜索にとりかかれるのは、もうしばらくあとである。


*** ***


 月闇の中で、榛比は歯ぎしりした。
(まずい……これは、ひどくまずいことになった)
 低木の庭木をスッスッとよぎりながら、葉音は風に揺れるようにしか動かない。
 彼女は殺さなければいけない。

 でなければ、すべてが壊れてしまう……!

 後宮の中庭を自分の掌中にしている彼は、どこをどう動けば最短であるか知っている。
 西の端にある奏姫の寝床、そのすぐ横の部屋をうかがった。
 奏姫の女官の寝室だ。
 一人、無防備に寝息をたてる女官に、榛比は冷たく微笑んだ。
 腰の鞘から取り出した剣の切っ先を彼女の喉元にヒタリ、とつける。
『 あなたは分かっているの? 』
(馬鹿な)
 刺客は自分の微笑みを自覚して、昼間の女官の言葉を嘲笑した。
(俺はいつも笑っていた。人を殺して泣いたことなど一度もない)
 と。

「私を殺すの?」

 気がつけば、寝ていたはずの女官が目を開いていた。
「そうだ」
 女官は少しも動じなかった。
 笑いさえした。
「どうして、俺が泣いているなんて思ったんだ? 女」
 俺はおまえを笑って殺せる……と、榛比は剣を持つ腕に力をこめて言う。
「あなたに似た人を知っているから……だから、これは自分のため」
 ハッと榛比は笑った。
「そのために死ぬというのか? 馬鹿じゃないのか、おまえ」
「あの人はずっと自分を追いつめて、傷つけて最期に私を守って死んだわ。でも、――本当はもっと幸せに死ねた人……それは、私が知ってる」
 夜の闇の中、女のまっすぐな瞳だけが榛比を見ていた。
「おじいさんは優しかった。あなたも、本当は優しい人」
「 ぅるさい! 」
 彼の持つ剣が女官の喉元に入ろうとしたが、できなかった。
 布団の中に仕込んでいた細身の剣で喉を守ると、自在に操り榛比の剣をはねあげる。
 ゆっくりと布団から起きあがると微笑んだ。

「 死ぬ気はない 」

 ちょうどいい具合に脇に突きたった彼の剣を手にする。
「私のために、あなたをおじいさんのようにはさせない」
「……どうする気だ?」
 武器を敵に奪われた刺客は困窮した。
 彼女の強さは実証済み……殺されてもおかしくはなかったが。
 それよりも悪い予感がする。
「私の名前は春陽。剣を返してほしければ、これから毎日会いに来て」
「――!」
 動揺した榛比に春陽はさらに続けた。

「来なかったら、この剣といっしょに「「榛比」は私に負けて逃げた」と衛兵の方に報告する。
 正直に、ね」

「 なっ! 」

(……なんて女だ?)
 もはや、榛比は蛇ににらまれた蛙であった。
 彼女は確信している。
 榛比が剣を置いて、汚名をかぶる輩ではないことを。
 口から知らず、恨み言が出た。
「 くそったれ! 」
 憎々しく春陽をにらみ、それでも榛比は毎夜会わねばならないだろう覚悟をしなければならなかった……。



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