1-2.刺客と護衛と花嫁候補


 まるで、あれは泣き顔のようだ。


「 はあ? 」
 奏姫をともなって世旻帝に謁見していた春陽は、ふたたび出た皇帝のトンチンカンな申し出に問いかえす声がうらがえった。
 世旻帝がめずらしく心外のように眉をしかめた。
「前々から話しておろう。荊和との婚礼をいつにするかと訊いたのだ」
「……ちょっと待ってください、陛下。私、受けた記憶はございませんが」
「何を言う。後宮へ勉強に入った時点で、受けたも同然ではないか?」

「 な! 」
 さすがに、春陽は声を上げた。
「どうしてそうなるんです!」
「どうしてもこうしてもない」
 切羽つまった様相で世旻帝は春陽に迫った。
「ことは急を要する所用だ。さあ頷いてくれ!」
 くらくら、と目眩〔めまい〕がおこる。
(……陛下が私を後宮に召した理由はなんとなく分かる。なぜなら、あそこには「鬼」が住んでいるのだ……そう、とても悲痛な傷をもつ手負いの獣が……)
 静かに世旻帝を見据えると、春陽は問う。

「それは命令ですか? 陛下」
「……その通りだ。春陽よ」
 息をつくと、春陽は肩をすくめてこうべをたれた。
「 承諾しました 」

 ペタペタペタ
「とうさまー。なんのおハナシしてらっしゃったのー?」
 ようやく縛の命を解かれた奏姫が世旻帝へと駆けよると無邪気に訊いた。
「うん? おお、聞きたいか?」
「ききたいー」
「この春陽がそなたの姉様になるのだ。分かるかな?」
「うーん。なんとなく」
 半分、理解していないふうに奏姫は首を傾げた。しかし、嬉しそうに春陽へと笑う。
「ねえさまー?」
「……はは、どうも」

 母の壮絶な死に様を見た皇女は、思いのほか気丈にふるまっている。
 しかし、彼女のお側近くに仕えている春陽には、夜中になると小さな彼女がふるえて嗚咽〔おえつ〕を洩らしているのを聞くことができる。
 そのたびに春陽は奏姫にあたたかな飲み物を用意する。時には人肌恋しくなるのだろう、添い寝を請う。
(せめてしばらくは、この皇女を一人にするわけにはいかない……)
 また、いつ刺客が攻めてこないともかぎらないのだから。
 だから。

 ……いましばらくは、陛下の言いなりになるしかないだろう。
 春陽は思い、今度はしっかりと奏姫に笑いかけた。



「ねー」
 夜深く、奏姫〔ソウキ〕が隣に添い寝する春陽にそっと訊いてきた。
「なんです?」
「あのねー、シュンヨウねえさまってすごくつよいのね」
 刺客に襲われた時のことを指しているのだろう。
 ほんの少し、小さな身体を震わせる。
「フシギだったの。こわくて、……ううん、たすかったのが。だから……」

「おじいさんから習ったんです。幼い頃……奏姫様くらいの時に……でも」
 懐かしそうに目を細め、春陽は少し寂しく微笑んだ。
「もう彼も死にました」
 奏姫はギュッと女官に抱きついた。
「かあさまも……?」
「 ええ 」

 しばらく、奏姫は嗚咽を洩らして泣いていた。けれど、いつしかスウスウと規則正しい寝息になる。
「かあ……さ……ま……」
 ちいさな彼女の頬に涙の跡がうっすらと残っている。

『 私は今まで壊してばかりだった。だから、
 たったひとつを守りたかったのだ…… 』

 小さかった春陽にそう言って、老人は息絶えた。
 彼が春陽に授けた技能はすべて、一撃必殺のいわゆる「殺人拳」。幼い春陽に、彼はそれしか知らないと、まるで泣くように顔を歪ませた。
(おじいさん……貴方みたいに泣く人を見ました)
 最期、老人は微笑んでいた。
 けれど、春陽は「彼」におじいさんのような死に方をしてほしくはない。
 それでは、あまりに悲しすぎる――。

「 来て、「榛比」…… 」

 ザァァァァッ
 表の木々が突風に木の葉を鳴らした。あとは夜のしじまが冷たい空気を運んでくる。
 あれからずっと、春陽は待ち続けている。


*** ***


 ザァァァァッ
 青年の頭上で木の葉が激しくざわめいた。
(……誰かが俺を呼んだ?)

「 榛比? 」
 後宮の中庭の奥に視線を走らせた榛比に、対峙するほっそりとした宦官〔かんがん〕が眉をひそめた。
 優美な宦官。
 彼の女性を思わせる線の細さとは裏腹に、その眼差しはどこか刀剣を思わせる……例えば、ひらめく銀の冷酷な輝きのような印象だ。

「皇后陛下はお優しい……ゆえに、早く始末しろ」
「解かっている」
 しかし……と、榛比は瞳を鋭く細めた。
(あの、女官は手強い)
 一度、交えただけだったが、それでも剛の者とすぐにわかるほどの手練〔てだれ〕。
(何者だろう……?)
 藍庸〔ランヨウ〕もその情報は得ているのか、得心して微笑んだ。
 いつも思うが、この男には笑顔に温度というものがない。
「あの女官は護衛女官と言われる……本来、皇帝を守るべき女だ。おそらく、最近後宮でお前が暴れまくるんで潜伏させたのだろう」
 榛比は納得した。

 彼女の俊敏さのわけも、優れた能力も、どうして後宮に仕えていたのかも……。
(つまり、アレは敵か)

 スッと藍庸は男にしてはほっそりとした手を伸ばし、刺客の顎を持ちあげた。
「ふむ。これほどの素材があれば簡単に落とせそうなものだが」
 深遠〔しんえん〕な意味をふくんだ宦官の言葉に、顔を背けると榛比は声をあらげて言った。
「どういう意味だ?」
「護衛女官の強さは私も聞き及んでいるのでね。危険を侵さずに落とす方法をひとつ教えてやろう」
「 なに……? 」

 低く、藍庸は榛比に告げた。
「……無理だ。そんな方法はやったことがない」
 まったく相手にならないと、刺客は首を振った。
「したことがない? 試してみるんだな。案外これはきくよ」
 くすりと可笑〔おか〕しそうに藍庸は笑って、冷たく囁く。
「相手を殺すのは同じ……だろう?」

 榛比は眉をピクリとつりあげた。

「俺は俺のやり方でやらせてもらう! たとえ雇い主でも殺しの方法まで強要されるのは不愉快だッ」
 ふい、と裾を翻〔ひるがえ〕すと、刺客は闇へと消えた。
 吹きすぎる冷たい夜風に細い髪をなびかせ、藍庸は静かに微笑んだ。



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