0-5.初夜の訪問者


 イフリア王宮お抱えの騎士は、常に黒い甲冑〔かっちゅう〕と黒マントを装備している。
 勿論、時と場合によって軽装になったり重装備になったりさまざまではあるが……とにかく、その色からイフリアお抱えの騎士団は黒騎士精鋭と呼ばれる。
 で、今。
 その黒騎士の一人が、一つの豪壮な扉の前で佇んでいた。王宮の本宮……それも南館〔主に皇帝の私的空間〕の中ということもあり、装備は極めて軽いものである。
 籠手〔こて〕と膝当てに黒マント、それに帯剣という具合だ。
「 ……… 」
 鈍い銅色の髪に澄んだ青の瞳の彼は、明らかに躊躇〔ためら〕っていた。
 何しろ、彼の前に立ちはだかる扉はイフリア帝国・皇帝ルディオンの私室。……いや、それが この 苦悩の原因ではない。
 問題なのは、今が 朝 で、ルディオン皇帝が昨日式を挙げたばかりの 新婚 で、初夜の「朝」だということだ。
 おもむろに右手をあげ、ノックをしようとするが、扉に当たる直前に止める。
(……いや、まだ、お休みかも……)
 皇帝付きの護衛騎士であるアルディはそんな思索を繰り返し、さっきからノックをしようとしてはまた悩むという作業を延々と続けていた。

 と。

「いったぁーい!」
 突然、静寂を破る声。
 大きくはなかったが、確かに扉の向こうからの女性の声だった。
「……え?」
 戸惑う。
 そして、続けて聞こえてきたのは確かに若き皇帝の声だった。
「 うわっ! 」
 何かが床に落ちる音と、バタバタと血相を変えた足音が響く。
 異変に気づき、アルディはノックもなしにバン、と扉を開けた。
「ルディ様!」
「あ! アル! 捕まえろっ」
 若い皇帝は、わずかに寝癖のついた輝く金の髪をふり乱していた。
 その線は細く、彼の虚弱体質を隠そうともしない……にもかかわらず、澄んだ青の瞳は生気に溢れている。
 主の強い命令にアルディは思わず直立した。
「は? あっ」
 白い小さなものが足もとまで転がってきたかと思うと、あっという間に背後に回り、そしてまた飛び出してきた。
「うえっ! ッタ」
 それは、ルディオンに飛びかかる。
 足をもつれさせた皇帝は、しこたま腰を床に打ちつけ呻いた。

「る、ルディ様ッ!」
「ルディオン!」
 倒れた皇帝のそばへ、花嫁と黒騎士が駆け寄った。
 うーん、と低く唸っている彼へ、白いそれはうみゃーんと、可愛らしく鳴く。
 ペロペロと押し倒した皇帝の白い肌をなめる。
「こ、この……バカ猫ッ」
「 ……… 」
「 ……ふっ 」
 あまりに微笑ましい場面に黒騎士は沈黙し、花嫁は思わず笑いそうになって口元を押さえた。
「なんだよ? エディエル」
 不愉快に眉をひそめて、ルディオンは押し殺して笑うやわらかな茶の髪に、鮮やかな緑の瞳の姫君を睨〔にら〕んだ。
「か、可愛くて、つい」
 さらにさらに年下の皇帝は渋面になる。

「 何が? 」

「もちろん、あなた」
 臆面も、悪意もなく微笑む年上の彼女に、深いため息をつく。
 いまだ、へたり込んだ自分の足にまとわりつく白猫の首根っ子をひっつかみ、黒騎士へと差し出す、と。
「アル、こいつをどっかに捨ててこい」
「は、しかし……」
 白猫はまだ、生まれて三カ月ほどの可愛い盛りだ。
「 えーっ! 」
 エディエルが大きく叫んだ。
「捨てちゃうの? この子」
「当たり前じゃないか! エディエルを引っ掻〔か〕いたんだぞっ。だいたい、どっから入って来たんだか……」
「引っ掻かれたって言っても、これだけだし」
 ぱっと寝着の胸元をおもむろにはだける花嫁に、皇帝が青くなる。
「わっ、バカ! アル、見るなっ」
 ルディオンが遮るよりも前に、黒騎士が背を向ける。
「こ、心得ています」
 純情な黒騎士はほのかに頬を染めた。

 二人の男が騒いでいる間に、当のエディエルは放り出された白い仔猫を抱き上げる。
「まだ、子どもだし。平気よ」
 と。
 純白の毛皮とは対照的な、黒々とした丸い瞳ににこりと笑いかけた。


*** ***


 結局、若き皇帝は年上の新妻に弱い。
 小さな白い毛玉が我が物顔で寝そべる寝台に、ルディオンは乱暴に寝っ転がった。

「うみゃーん」
 悪意をもって安眠を妨げる乱入者に、当の白い仔猫はどうしたことか、妙に懐〔なつ〕いてしまっている。
( 迷惑な…… )
 ルディオンとてべつに猫が嫌いだとか思っているわけではないし、虚弱体質とはいえ動物アレルギーらしきものは発症していないから、いて悪いことはないはずだ。
 ないはずだった……しかし。
 頬を寄せてくる仔猫をぞんざいに追い払い、ルディオンは寝返りをうつ。
「アイタッ」

「 ! 」

 ガバリと起き上がる。
「バカ猫! またかっ」
 ルディオンから離れて椅子に腰掛けていたエディエルにくっきりと仔猫の歯形がついている。
 まだ、ちいさなモノではあるが、痛くないわけはない。
「だ、大丈夫よ」
 笑いながらも、足の歯形に顔をしかめるエディエルは次第に満身創痍〔まんしんそうい〕となりつつある。もともと、姫君らしい玉の肌とはいかない剣士志願の彼女ではあるが、それにしてもこれでは生傷が絶えない。
「エディエル、我慢することないんだぞ! どっかに捨てたってコイツなら絶対生き残るからッ」
「……大袈裟よ。にしても不思議なのは、この子がルディオンに懐いているってことよね」
 しみじみと言う。

「……何げにひどいこと言ってないか? エディエル」
 ジトリと見つめる皇帝の眼差しは、剣呑だ。
「だって、珍しいんだもの。あのアルディの暗黒鳥に最後までからかわれていたの、ルディオンでしょう?」
 むっと口をへの字に曲げながらも、否定できない……それは事実だった。暗にアレは、からかいがいがありすぎることに問題があったのかもしれないが。
 どっちにしても、ルディオンにとって気分のいい理由ではない。
 にー、と足下にすりよる仔猫に、ルディオンは嫌なものを感じる。これは、最初の印象からあった感覚ではあった。
「なんか、コイツを見ていると誰かを彷彿〔ほうふつ〕とさせるんだよなぁ……」
「それ、誰?」
 ルディオンは興味津々と顔を近づけてくるエディエルに、口の端を曲げる。

「 教皇 」

 ポツリ、と一言。
 ふと、間近で視線が合うとどちらともなく唇を寄せた。新婚なのだから、仕方ない。
「 った! 」
 唇が重なる手前で、エディエルが声を上げた。
 今度は仔猫に引っ掻かれたのだ。
「………」
(懐かれてるというより、これは)
 むむむっと低く唸って、深刻な問題に直面する。
「 嫌がらせ、だな 」
 こういう気ままで傍迷惑なところが、あの教皇を連想させる……と、半ば本気でルディオンは疑った。



 イフリア国教会、神殿は白色のつややかな大理石で建てられた建造物だ。
 ひとたび歩けばカツーンと澄んだ音が響き渡るし、磨き上げられたそれは鏡のように世界を映す。
 鮮明な朱色の絨毯の上をひらりと舞う白いマントは、颯爽と歩く白騎士のものだった。
 長い銀髪に、酷薄の青の瞳をした精悍な面構えの騎士である。
 それもそのはず、その人物は白騎士精鋭の帥〔そつ〕であるミカキスであり、いつものように白い廊下を渡って、定例の教皇との謁見〔えっけん〕へと向かう途上なのだ。
 教皇の間の扉には常に護衛騎士が二人、配置されている。
 ミカキスの姿を認めると、サッと片膝を折り敬礼の型をとる。
「ザレンツ様は?」
「は、中でお待ちになられておいでです」
 酷薄の青の瞳で合図されると、すみやかに彼は立ち上がった。
「教皇、ミカキス殿が参られました」
 諾の声が届くまで、数秒。
「 入れ 」
 その響きは、天上の神の声に似ている。

 ミカキスの連絡を沈黙で受けていた教皇は、途中あからさまに落胆をしめしたかと思うと、最後は複雑な微笑〔ほほえ〕みを浮かべて玉座から立った。
 神殿の純白の内装とは対照的な、黒髪に漆黒の瞳、そして褐色の肌という野性的な器の持ち主だ。
「予想外だな」
 その表情は、当初の目的を果たせなかった悔いと、思わぬ副産物に興を見いだした少年だった。
「アルディのそばに、あの猫を馳せようと思っていたのにまさか「あの」少年皇帝に懐いてしまうとは!」
「はっ」
 ミカキスはさらに頭を下げ、片膝を床についた体勢のまま頷いた。
(口では惜しいと呟きながら、それでも声は妙に弾んでいるではないか)

 口元に白騎士の帥は、笑みを浮かべた。
(泣かれるよりは、この方がよほどいい)
 実はこの教皇、立派な身なりをしているというのに涙腺がかなりゆるい。最近は落ち着きつつあるが、本当によく泣くのだ。
「予想外だが、いい腹いせになる」
 ザレンツは若き皇帝に対して八つ当たりというべき感情を抱いている。
 なぜなら、彼が黒騎士であるアルディを白騎士にと執拗に勧誘しているにもかかわらず、一向になびいてこないのは、かの少年皇帝ことルディオンが邪魔をしているせいなのだ。
 と。少なくとも、彼はそう信じている。
 本当のところ、まさにそうだったり……もっと込み入った事情が諸々とあったりもするのだが……とにかく、ザレンツからすればルディオン皇帝は親の仇〔かたき〕も同じ。
 昨日の式では、目の前でこれ見よがしに幸福を見せつけられた(たとえそれが、教皇の仕事だとしても)りもしたのだから、これくらいの報酬があってもいいだろう。

 悠々とミカキスの傍〔かたわ〕らまで下りてくると、言った。
「せいぜい邪魔をしてやるといい。私が許す」
「御意」
「ミカ、ご苦労だったな」
 教皇の背中で、束ねられた細い黒髪がのんびりと揺れた。
「有り難き、言葉にございます」
 陽の光を間近に受けた時のように、目を細めると青年の顔をした彼女は、まっすぐと教皇を見つめた。



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T EXT
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