2−1.エー オア ビー (日誌掲載日:2006,6,30/2006,7,5/2006,8,15/2006,8,22)


 夢の中の人物は、死んでいた――。
 その事実は、プリンスに夢の中の出来事が本当にあったことなのだと否が応にも信じさせた。本当は、知っていた。けれど、そうだと認めたくはなかった。
 それが、本当なら……自分は彼らに護られたのだ。

( ……なぜ? ジキルの末裔って、なんだ? )

 それほどの 価値 があるのだろうか。
 頭が痛んだ……何かにぶつかったワケでもないのに。
「幸運なんて、クソくらえだ」
 吐き捨てる。

「なぁにが、クソくらえですって?」

 目を開けると、そこにはフライパンとおたまを持った少女の姿。うねりのある長い黒髪を後ろに纏め、薄い青の瞳を不機嫌にすがめている。
 船に戻ってきた一行は、しばらく情報収集のためにこの惑星、ヘイデンに落ち着くことを決めた。そして、あの情報屋の店での一件以来、彼女のご機嫌はすこぶる悪い。
 まあ、当然ではあるが。
 ソファに寝そべっていたプリンスは、高貴な猫のようにゆっくりと身を起こして「くあっ」と欠伸〔あくび〕をした。
「寝てた?」
 パコン、とおたまを彼の頭に落として、Jはため息をつく。
「だから、なんで アンタ は そこで 疑問形なのよ? ピー」
 そんなこと訊くな、とばかりに睨んで、「ホラ」とフライパンを差し出す。
「料理の時間よ。掃除洗濯買い物……うちは当番制なんだから!」
 しっかり覚えてよね、と先生は生徒を呼びに来たのだった。
「ああ、そうだった?」
 と、空惚けてみせて、プリンスはふわりと笑う。呆れた様子の彼女の横を通り過ぎて、深く考えることをやめた。


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 その生徒は、口を開ければ横柄だし文句もたれるが、教えれば完璧にこなすといういい生徒だった。
 料理、掃除、洗濯……と一通り教えこんだJは、プリンスの真面目な学習態度に(パパにも見習ってもらいたい)と真剣に考えた。
「なんだよ?」
 Jに無言で見つめられた彼は、イヤーな顔をして不可解そうに形のいい眉を寄せる。
「べつに――はい、コレ持って」
 そう言って、彼女は今しがた購入した食料品の入った紙袋を(いつもの通り)野球帽を目深にかぶったプリンスに手渡した。すでに、彼の手の中には、今日の買い物の収穫が山のように積み上げられている……が、いつもは手がないためになかなかこういうこともできないので、もう少し見繕っていこうかとJは考えた。
「……買いすぎじゃないのか?」
 やや非難のまじったプリンスの声が呟いたが、構わずJは先を歩いた。
 都市惑星ヘイデンの中央商店街だけあって、人の数も多い。
 活気のある呼び声が飛び交う中、ごった返す人の波をJは慣れたようにすいすいと縫っていく。そして、そのあとを山のような荷物を手にしたプリンスが、器用に続く。
 大量の手荷物に加え野球帽では視界もよくないだろうに、と感心する。

「 セイリア? 」

 と、ハスキーな女性の声が誰かを呼んで、プリンスがJの背を押した。
 その時、ようやく人波の向こう長身の赤髪の女性が 確かに こちらをとらえているのを知った。

 その目が、まるで 幽霊でも映したように プリンスを見ていることも――。



「 セイリア! 」

 確信のこもった声が響いた。
 ざわり、と騒いだ人ごみの中に紛れて、Jはプリンスに引っ張られるままに走った。
 ハアハア、と息を切らして細い路地に隠れた時、Jは問い詰めてやろうと口を開きかけ、彼の見た目にも気分がよくないと分かる蒼ざめた表情に慌てた。
「ちょっ……ピー! 大丈夫なのっ」
 汚い路地の壁に背中をつけて、ずるずるとしゃがみこむ野球帽の少年は息を乱し、しかしそれほど疲れていないように頷いた。
 手には、シッカリと買い物した商品を持っているあたり、特に。
 斜めにJを見上げると、口の端を上げる。
「平気だ……ちょっと、ビックリした」
 平気なふりをして、呟く。
 実際、大したことじゃないと思っているのかもしれない声で。
「……もう! ビックリしたのはわたし! なによ、知ってる人なワケ?」
 Jは平気なふりをしているプリンスに合わせて、何でもないことのように大仰に息をついた。
 ホッとした、プリンスの表情が痛々しい。
 なんて、きっと彼は気がついていない。
「いや――」
「じゃあ、なんで逃げるのよ!」
「ただ……聞いたことがあるような気がしたんだ」

「 なにを?! 」

「名前。セイリアって……呼んだ?」
「………」

 だから、どうして肝心なところを疑問形にするのよ アンタ は! と、Jは思い、今回ばかりは何も言えなかった。

「セイリアって、ピーの本当の名前?」

 重く頭を持ち上げると、黒髪のプリンスは「さあ」と曖昧に微笑んだ。
 深い青の瞳が、次に言う言葉をJは知っている――。

「 忘れた? 」



 同時に口にしたJの言葉に、プリンスは自嘲した。
 頭が痛い。
「ごめん、J」
 謝る彼に、Jは仁王立ちしたまま顔をしかめた。
「どうして謝るのよ? 記憶がないんじゃしょうがないでしょ?」
 単純明快な彼女の答えに、プリンスは苦笑して……「そうだけど」と苦しげな息を吐き出した。
 記憶はない。
 しかし――。
「君は 泥棒 だから――だから、俺とは 関係 のない人間なんだ」

「なっ!」

「 セイリア 」
 背後からかかったハスキーな女性の声に、Jは固まって、プリンスは立ち上がった。
「その娘〔こ〕は? 知り合いか?」
「いいえ」
 抑揚のない簡潔な返事。
 その他人を見るような深い青の眼差しにJは凍りついた。
「ただの通りすがりです、大佐」

「……ちょっと、待ちなさいよ」

 むんずと横切ろうとするプリンスの腕を掴んで、Jはギロリと噛みついた。
「人を馬鹿にするのもいい加減にしなさいよっ、わたしたちは仲間だって言ったわよね? そんな勝手な言い分を鵜呑みにすると思う?」
 胸倉を掴まれたプリンスの唇が、声を出さずに「馬鹿」とかたどる。
「何が、馬鹿よ! 記憶ないクセにカッコつけてんじゃないわよ!! ピー」
「……悪かったな」
 「せっかく逃がしてやろうと思ったのに」と、彼の口は毒づいた。
「だーかーらー、それが余計なの! お姫さまみたいなおキレイな顔してお姫さまみたいな貞淑なコト考えんじゃないわよっ、似合いすぎだからっ、らしくなくって笑っちゃうから!」
 アハハハハ、と乾いた笑いを声高らかに発して、ニヤリと口の端を上げた。
 「上等じゃないの、一緒に連れてってもらうわよ」とJはプリンスの耳にだけ届く低い声で、囁いた。



 で、と宇宙連邦軍の大佐であるサンウィーロは目の前で繰り広げられた少年と少女の悶着に肩を竦め、どうやら治まったらしい頃合を見計らって結論を訊いた。

「つまりは、どういう間柄なんだ? セイリア」

 救命カプセルで拾われたこと、記憶がないこと、だからセイリアって名前も知らないこと……などなどを拾われた先が 泥棒一家 だったことは伏せて話した。
 サンウィーロは思慮深く、そのすべてを聞いて頷いた。
「なるほど」
 短い燃え盛る炎のような赤髪に、褐色の瞳が金色に輝く。
「 面白い話だな 」
 ムッ、と口を曲げて、Jは彼女を睨んだ。

( だから、軍人なんてキライよ! )

「信じないんですか?! 本当なんだからっ」
「ああ、いや――セイリアの様子がおかしいのは認めます。こんな打ち解けたヤツを見るのは初めてだ」
 にっこりと笑う女大佐に、含むものを感じてJは警戒した。
「しかし。あの宇宙域――私が捜索を担当していたのだが、ひとつ 怪しい船 を取り逃がしてね? お嬢さん」
「ジャクリム・ロランよ」
 Jが胸を張って名乗ると、サンウィーロは訂正した。
「失礼。ミス・ロラン」
「その、怪しい船がどうかして?」
 内心、まずいと思いながら、促す。

「こちらの布陣をよく知っていた……セイリアが乗っていたとなれば、納得いくのだけど」

 ギクギクギクーっ!
 Jは背中に冷や汗を流して、「いやだ、全然記憶にありませんわっ」とどこかの悪徳政治家よろしく、にこやかにやり過ごして笑った。



2−0 <・・・ 2-1 ・・・> 2−2

T EXT
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