1−5.子守唄は歌わない (日誌掲載日:2006,1,26/2006,1,29/2006,2,1/2006,2,6)


 カーン!

 と、耳の側で金属を叩く音が聞こえて、パチッと目が覚めた。
「 ! 」
 ジュウジュウとフライパンの上で、卵の焼けるいい音が響く。
 って、どうやって叩いたのよ?! それ!!
「ジャクリム、早く起きなさい。遅刻するわよ!」
( は? )
 一瞬、呆けてジャクリムは目をパチクリと瞬〔しばた〕かせた。
( ……… )
 首をかしげて、「だれよ、あんた」と口にしてからハッとする。
 まるで、憐れむようなその女性の眼差しに(しまった……)と思う。
(……え? しまった??)
「寝ぼけてないで、早く用意しちゃいな。ジャックはもう、朝ごはん食べてるわよ……まったくもう、お姉さんなんだからもっとシッカリしてもらわないと、困るわよ」
「ジャック?」
 さらにさらに、渋面になるエプロンをつけた母親にジャクリムはわたわたとベッドから飛び降りた。
(ママってば、お小言が多いんだもん……あれ? あ、そうか。アレは夢なんだ。なーんだ、ビックリした!)
 泥棒一家なんて、あるハズがない。
 だって、わたしはごく普通の女子中学生なんだから……思い至って、そうだったそうだったと納得する。
 紺色のセーラー服に袖を通して、二箇所にプリーツの入ったスカートを履くと、見慣れた姿が鏡に映った。

 ジャクリム・ロラン。

 地元の中学校に通う、三年生。
 生真面目な父とシッカリ者の母、それに……弟の四人家族。

「そうだよね……ああいう暮らしも面白いとは思うけど」
 と、胸を締めつけるような違和感を覚えて、ジャクリムは言い聞かせるようにひとつ、首をふった。
 ウェーブのかかった黒髪が、一房彼女の肩に落ちた。



「姉さん、おはよう」

 銀髪に目の覚めるような青の瞳で、キレイな顔をした弟・ジャックは言った。
 すでに、朝ごはんをほぼ終えて、最後の牛乳に手を伸ばしているところだった。
 その目が、バカにしたように細められる。
 いつものこと、だと思いながら、やっぱり面白くないのでお姉さんらしからぬ態度になる。
「お、は、よ、うー」
 どっか、と椅子に腰を下ろすと、キッチンの向こうから母親のいつもの小言が飛んでくる。
「ジャクリーム! 静かに座りなさい。静かに……女の子なんだから」
「はいはい、悪ぅございます。お母さま、朝ごはんいただいてもよろしいですか?」
「ハイ、は一回!」
「はーい」
 母と姉の一触即発な睨み合いに冷静沈着な弟が、席を立った。

「いってきます」

「ああ! 待って待って、わたしも出るっ」
「ジャクリム!」
 焼きあがった食パンと用意された牛乳を手にしたジャクリムを、母親が見咎めた。
 また、「女の子なのに」という単語を出される前に鞄を手にしてサッサと出て行こうとする弟を追っかける。
「いってきまーす!」
「みっともない! 姉弟のくせ全然似てないんだから、あんたたちは」

 家を飛び出したジャクリムが見たのは、よく晴れた青い空に白い雲。肌に流れる風は心地よくて、天から降ってくる日の光はあったかい。
 パンを口にくわえて、先を行く弟の背中を叩く。
「いつも、よくやるね。姉さん?」
 銀の髪がサラサラと流れて、そこから可笑しそうな青の目が覗く。
 夢の中では、他人だった弟。
「……うるさいなー」
 だからかーと、ジャクリムは納得した。

( ホント、似てないわ。わたしたち )

 姉弟って気がしない……なんて、コイツに言ったらどうなるだろう?
 考えて、絶対変な顔をすると思ったから、ジャクリムは少しだけ腹が立った。
「姉さん……?」
「なによ?」
「――痛いんだけど」
 ほっぺたをギュウウ! とつねられて、ジャックは整った顔をしかめた。
「 気のせいよ 」
 と。
 ジャクリムはつねったまま、涼しい顔で、こたえた。



 ま、朝の非現実的な夢は置いておいて。
 と、ジャクリムはとりあえず、目の前に置かれた現実的すぎる難問に頭を抱えた。
 昔の人の言葉は深遠すぎて、理解できない。
「裏でなに、考えてるか……なんて、知らないわよ。バカ」
 行間を読むのは、苦手だ。
 それなら、まだ解くのに1時間かかる数式と向かい合っているほうが幾らかマシな気さえする。確かな答えがあるのと、ないのとでは気分がまったくちがうのだ。
「あーあ」
 匙を投げて、ジャクリムは教室から空を見上げた。
 夢、だけど妙に気にかかる。

(現実逃避、ってワケでもないけど――)

 空欄の目立つ回答用紙に視線を落として、ため息をついた。



 学校からの帰り道、「古典」の小テストの散々な点数に「やっぱり、苦手なのよね……」と愚痴をこぼした。
「ねえ、ジャック。わたしたちって、本当に 姉弟 なのかな?」
 ジャクリムからすれば、それは軽い気持ちで言った言葉だった。
 テストのない世界に行きたい、あの夢の中のような……。
 けれど、彼女と一緒に帰途についた弟の反応は、まったく予想していなかったものだった。
「ごめん、俺のせいなんだ……」
「え?」
家族 が欲しかったから――」
 「夢でもいいから」と苦しそうに呟く弟の画像が乱れる……まるで、壊れたテレビのようだとジャクリムは思った。

(待って! 待ってよっ。なによ、これ?!)

「きみを巻きこんでごめん、J」
 乱れた画像が元に戻った時、そこにプリンスの姿はなかった。
「カラに閉じこもったな、やれやれ」
 呆然となっていたJの肩に 誰か が手をおいて嘆いた。
「 パパ! 」
 振り返り、抱きつくJにKが「パパって呼ぶなって言ってるだろう?」といつものように返すから、ひどく安心した。
「ご無事でなによりです、レディ」
「Qちゃん……ピーは、じゃあ?」

「ああ、「子守唄」に捕まった。おまえを解放して、な」



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