1−1.水と油の攻防 (日誌掲載日:2004,4,22/2004,4,26/2004,4,29)


 手を引かれるがままに、元来一人乗り用の小型機に乗り込んだプリンスは早速、手痛い仕打ちにあっていた。
 先刻〔さっき〕ダンボールを打ちつけた後頭部を低い天井にぶつけたのだ。
「〜〜〜〜っ!」
 知らず、前かがみになるとJの結い上げられたひっつめ髪に触れる。
「……なあ、無理しない方がいいんじゃないか?」

 と。使い込まれた革の手袋を装備して準備万端な彼女を前に、息をつく。
「何がよ? 無理なんてしてない。パパなんか……知らないんだから」
 強がったことを口にしても、その目を見れば一目瞭然だった。
 袖でぐいっと頬を拭〔ぬぐ〕うと、Jは小型機のエンジンをかける。静かな音をたてながら計器の電源が鮮やかな発光を走らせていく。
 次第に深く大きなエンジン音が轟き、Jはシートベルトをかけた。
「………おい、待て――」
 やばい、と思った時には、少女の足が動いていた。
「 っ! 」
 プリンスは反射的に運転座席にしがみつく。
 「ダイア」のハッチ〔荷入れ口〕が開き、闇の宇宙空間が目の前に広がっていた。

 爆音。それと同時にかかる、後方へのものすごい付加重力。

 奥歯を食いしばる。
 声にもできない憎まれ口が、プリンスの脳裏に浮かんだ。
(だ、っから、待てって言ってるだろーが! こぉのせっかち。少しは頭で考えろっ!!)
 澄ましたように前方を睨む運転席のJ。
 頬がまた、少し濡れていた。
(――思いっきり、とばっちりじゃねーか? 俺)

 苦々しく思って、プリンスは自分の運命を呪うしかなかった。

 俺が何したって言うんだよ、……記憶ねぇから分かんねーよ。



 ようやく落ち着いた小型機の中で、プリンスがしがみついていた座席から身を離してため息をついた。

「大丈夫だった?」

「気づくの遅いんだよ。馬鹿女」
 Jの「またしても」な物言いに、銀色の前髪から覗く目の覚めるような青の瞳はやわらかに微笑みながら冷ややかな侮蔑をふくむ。
 そうして、プリンスのその態度にJも素直には応じない。
 むっ、と表情を強張らせると、「なによ」と睨んだ。

 もちろん、本当は ほんの少し 悪いと思っている。

 「ジャック」とパパに名づけられたのだって、自分の家出に付き合わされたのだって……彼には、まったく非がない。
 でも――「ダイア」に拾われた時点で、それは諦めてほしい。
 しかも、コイツ「泥棒親子」とか失礼なこと言うし。
 軍人だし。……今のとこ、軍服着てるってだけだけど。

( 気に食わないのよね、なんとなく )

「ピーのくせに、生意気よ」
「どういう理屈だよ、ソレ」
 ふん、とそっぽを向いてJは言った。
「わたしは「プリンス」とも「ジャック」とも呼ばないから。アンタのこと」
「ああ、そう。勝手にすれば?」
 もともと、自分には本当の名前が分からないのだから、呼び方などどうでもよかった。
 プリンスもそっぽを向いて、これ見よがしに息をつく。
 どこに向かうともなく進む閉鎖された小型機の中で、二人は完璧に隔たった壁で決裂した。



 どれほどの沈黙が続いたのか、「はぁ」と息を吐いたプリンスがくしゃりと銀色の前髪をかき上げた。
「 戻ろう 」
 口にして、Jの手からハンドルを取ろうとする。
「ヤダっ!」
 プリンスの手を掴んで阻止すると、Jは顔を上げてヒッシと彼を睨んだ。
「………」
 自身ではそうと気づかないだろうが、……それが泣きそうな切羽詰った表情〔かお〕だったので、プリンスは呆れていた。
 とんだ貧乏くじだ、と。

「ヤダって言っても、ほかに行く場所〔アテ〕なんかないだろ?」
 間近で少年の口が動く。
 川面のように優しく輝く銀色の髪と、深い青の瞳の澄んだ表情に思わず息を呑んだ。

「……ぅひ!

 Jは声にならない悲鳴を上げて、仰〔の〕け反〔ぞ〕る。
( び、ビックリするじゃないよ! )
 胸を押さえて、真っ赤になりそうな顔を平常心で取り繕う。
「なに、遊んでんの?」
 奇妙な彼女の行動に、彼は訊いた。
 「変な女」とばかりのそのおキレイな顔に、Jは「アンタのせいだ!」と言ってやりたくて言えなかった。
(そ、そんなの。だって、わたしばっかり意識してるみたいでヤじゃない?)
 仕方ないので歯噛みしながら、苦し紛れの言い訳をする。
「あ、遊んでなんかない! とにかく。わたしは戻りたくないんだからっ、行くあてなんかどうにでもなるわよ」
「――ソレ、本気で言ってる? なるわけないだろ。これ以上母船から離れたら本当に迷子になることくらい分かりそうなものじゃないか」
 ぐっ、とJは言葉に詰まる。
 正論だった。
「わ、分かんないわよっ! もしかしたら、どこかの星に下りれるかもしれないし」

「馬鹿言うな」

 プリンスの声は、理路整然としていてどこまでも容赦がなかった。
「そんな天文学的な確率に頼ってどうする。宇宙〔ここ〕で、下手をしたら永遠に彷徨〔さまよ〕うことになりかねないんだ。まったく冗談じゃなく、な」
「………」
 なによ、とJは俯〔うつむ〕いた。
 記憶喪失のくせに、なんでそんなこと知ってるのよ――
 と。

 闇の深遠で閃〔ひらめ〕いた思考は、眩暈〔めまい〕がするような「疑惑」だった。



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