2‐4.交渉


 それから、玉はすぐに行動を起こした。
 と、言っても方法は最初から決まっていて彼女さえ動くことを躊躇〔ためら〕わなければ簡単に出来ることだった。
 藍閑からの打診は死んだ刺客・縁〔ろく〕が使った方法で、じつは毎朝決まった時間にやってくる。今までは、そうと解かっていて無視を通していたが……鳥の足についた紙を読んで、その紙を戻さずに空に放す。

 救いが必要なら用意がある。

 紙に書かれた短い言葉に、玉妃は思わず笑って次に来るだろうさらなる出方を待つことにした。
(さあ――動いてちょうだい。好きなだけ)
 ワナだろうと、構わなかった。
 わたしから蓮を奪おうとしたこと、後悔させてあげるから。
 白い鳥の影がはるか北方へ消えると、玉は冷ややかに踵〔きびす〕をかえし宮殿へと戻った。


     *** ***


 玉姫の差し出してきた提案に、鳳夏商人の長である稜明〔りょう めい〕と沙遥〔しゃ よう〕は目と耳を同時に失ったかと思った。
「姫、それは――」
「藍閑からの、交渉の手紙よ。期日は明朝。貴方がたについてきていただきたいのだけど?」
 姫の口から告げられるのは、危険と隣り合わせの賭け。
 二人は戸惑い、若い姫に慌てて言った。
「しかし、姫。国と国との交渉には王が――対応するのが、定石。姫がなさることでは……」
「だって、仕方ないでしょう。貴方がたが蓮を信用しない以上、この国に王はいないのよ」
「……私どもは別に」
 さらに言い澱〔よど〕む彼らを、強い眼差しで制して玉は言った。
「明日、明朝。藍閑の王と会います。立ち合いを――いいですね?」

「 御意 」

 逆らうことはできず、二人の商人の長は長い息を吐いた。
 まさか、この末姫がこれほどまでに激しい気性の方とは思わなかった。
 あの略奪の民族の長である蓮王がなぜこの姫を殺さなかったのか、なぜこの姫だけが生き残ったのかが――ようやく分かった、そんな気がした。
(商人として恥ずべきことだ……人を見る目が ない とはな)
 とは言え、行く末を見定めるよう定められた運命に従うよりなかった。何より、この姫の気がすまないだろう、と思うと、危険もすべて受け入れるしかなさそうだった。
( やれやれ、とんだ貧乏くじだ )
( 身から出た錆、とも言うが )
 苦々しく、二人は互いを見交わし……「おまえのせいだぞ」「なにおう」となじり合って、覚悟を決めた。



 明朝。
 夜も明けきらないうちに一行は国境〔くにざかい〕に向かって出立した。
 馬上に乗った玉は、ふと明らんできた空を眺めて不安になった。何も言わずに、蓮から離れてしまったことを今更ながらに後悔する。
(こんな、弱気ではいけないわ)
 と、気持ちを奮い立たせて手綱を持ち直す。
「姫」
 背後から稜明が声をかけ、沙遥が後ろに控えた。
「顔色がお悪いようですが……」
「そんなことは、気にしないで。約束の場所へ急ぎましょう」
 はっ、と手綱を勢いよく振り下ろして、馬のお腹へと足を叩きこむ。
 慌てて、二人の長も続いて馬を走らせた。
 しかし、二人の商人は玉姫の勇ましい手綱裁きとは裏腹に、次第にはっきりとしてくる視界に映しだされる顔色や眼差し、息遣いに不安が広がった。
 そうでなくても、一度彼らの目の前で気を失った姫のこと、体調が万全ではないのかもしれない。
 国境へと到達した時、目の前に覆面の集団が現れてヒヤリとする。
「藍閑の兵士か」
 鈍色の覆面をした一人が、進み出でて自らの覆面を剥ぐ。

「玉姫」

「黄貴王」
 冷ややかに答えると、玉は彼の背後にある穏やかではない集団に顔をひそめた。
「今日は、話し合いだとあったように思いますが、まるで戦争のようね」
「そう、思いますか? 姫」
 外見はほぼ鳳夏と変わらない藍閑の王は、鳳夏の人間よりもやや色白な肌をしていた。
「貴女を 助ける ためには必要かと、思ったのですが――」
「物騒だわ。下がらせてくださらない? 国境を越えるようなら 侵略 とみなします」
 ピリピリとした険のある姫のつれない返事にも、おだやかな表情で黄貴は頷いた。
 彼の腹心の部下であった男が隣国で消息を絶ってから、そして隣国で旅商人が一人不慮の事故で死んだとの情報が入った時には確信していた。
 得がたい、姫だと。
「やはり、貴女の意思だったのですね? 玉姫。いや、屈の王妃」
 明らかに、語気の変わった黄貴はそれでも笑って訊いた。
「 攫ってもよろしいですか? 」
 と。

 いい、ワケがない。
 なのに、玉の身体は思うように動かなかった。
 睨み合い、その顔は青白く血の気が引いていた。


     *** ***


「姫?」

 訝〔いぶか〕しく明が訊くのと、遥が叫ぶのとはほぼ同時。

「姫!」

 ぐらり、と傾いた時、玉の意識はお腹にあった。
(ああ、どうしよう)
 と、思った時には遅く……馬上から転落する。
(……蓮)
 霞む意識の中で、彼の名前を呼んだ。
 愛する人。
 今は、遠く離れた鳳夏の王宮にいるだろう 王 の名前を――。



3.誤解へ。<・・・4・・・>5.決裂へ。

T EXT
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