1‐6.別離
どんなに目障〔めざわ〕りでも、毎日定刻に目にしていれば急に来なくなった時、心許ない気になるものだ。
そうして今日の玉の心情は、まさにそんな感じだった。媚薬〔びやく〕の口から吐く言葉は下品なことばかりではあったが、やはり来ないと寂しいらしい。
イライラとした感情を表に出しはしなかったが、玉はかなり気にしていた。いつもなら、彼女がひと心地つくこの昼の時刻にあの男はやってくるはずなのだが。
この日は夕刻になっても顔を見せない。
彼は賊紛〔まが〕いとは言っても窟の王である。顔を見せられない時も、あるいはあるのかもしれない。
けれど、どんなに忙しくても、今までなら顔を覗かせに来てはいたというのに。
「ふう…」
姫が溜め息をついたのを見て、その長い黒髪をすき梳かしていた侍女たちが慰める。
「心配なさらないで、姫! 今日、王はそれは大切な会議があったんですから!」
「そうです! 明日には、いえ今日にでも報告に来ますって」
どうやら、隠していたはずの玉の感情は彼女たちには筒抜けであったらしい。侍女たちは個々の言葉を使って拙いながら、必死になって主人を元気づけようとする。
「会議?」
ふと気になった単語に、玉は問い返した。
「会議って何を話していたの?」
「多分、これからのことです」
侍女たちがいつものこと……とでも言うように告げた。
「これからのこと?」
「鳳夏〔ここ〕に残るかどうかってことです。私たち定住場所がないから……探して回ってるって…」
「土地があっても人との折り合いが悪かったらダメだし、人との間がよくても土地が貧しかったらダメってことで、今まで上手くいってなかった。 けど…」
「鳳夏は結構上手くいってるって、皆言ってるから大丈夫だと思うです、きっと!」
侍女たちは明るい調子で、願うように言い切った。
そう言えば、最近宮廷内に鳳夏の人間が入ってきたりしていたと、玉は思い当たる。
つまりは、交渉していたのか……と。
玉は、自分がこんなに薄情な人間だったとは思わなかった。
本来なら、こういう時にこそ亡き父母と、姉姫の恨みが溢れるものだというのに……何故か自分は安堵している。
離れずともいい……と、あの男に言われたようで。
「………」
「玉姫! いるか?」
乱暴なノックと同時に、蓮は許可もせずのに扉を開ける。
玉は男の姿を確認し、立ち上がると熱くなる頬を感じた。
「何しに来たのよ、蓮! もう、部屋を訪ねるような時間じゃないわッ、出ていって!」
出ていくように扉を指さす彼女を見て、蓮はクッと口の端にタチの悪い笑みを浮かべる。
「おまえたちは、下がっておけ」
侍女たちはそう王に声を掛けられると、早足に部屋から出ていった。最後にはキャワキャワとはしゃいでいる。
「おまえは俺の女だと言ったはず。ならば、いつ来ても関係ないだろう?」
蓮は前に立つと右の指で玉の顎に触れ、有無を言わさず仰向ける。
ふふん、と笑うと、寝台へと押し倒した。 「あの夜以来だな」
天蓋の影で薄暗くなり、蓮の表情は読めない。ギシ、と玉の背中で寝台が軋〔きし〕んだ。
蓮の言葉通り、夜に、彼と会うのはこれがあの乱行の夜以来初めてだった。その跡も、もう見ることはできないほどに薄らいでいる。
はたして、彼が意図して来ないようにしていたのかどうか……玉に解〔わ〕かることではなかったが。
今日はあの夜と同じ、月のない夜。
「………何?」
自分を押し倒した格好のまま動かない蓮に、玉は不審の声を上げた。
彼の赤い瞳だけが、ときおり輝いて見える。
「玉姫、よく聞け。窟はこの土地を出る。おまえも好きな場所へ行け」
「―――」
闇の中、玉は胸が燃えるかと思った。こんなにも、この男が憎いと思ったことは、かつてないと思うほど。
「えー、やっぱりダメだったんですか?」
部屋から退出した玉付き侍女は、紅から告げられた言葉に落胆を隠さない。
「でも、姫は連れていかれるんでしょ?」
「あの方のお世話なら任せてくださいね!」
反してウキウキと胸を叩く侍女に、いや……と紅は首を振った。
「玉姫殿は連れていかない。そう、蓮が決めた」
苦痛にも似た言葉に、侍女は息を呑み、紅は顔をしかめた。
5.恋心へ。<・・・6・・・>7.紅蓮へ。
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