1‐3.キス


 王の手が玉〔ギョク〕の白く細い手首を掴んでいた。

「否〔イヤ〕ッ、離して!」

「俺に恥をかかせる気か? 忘れるなよ、玉姫? おまえは俺の女なのだからな!」
 強引に部屋に入ってくると、蓮は玉の着ていた鳳夏の服に、窟の女物の衣装を押しあてる。
「今日の宴会の席には出てもらう。いくら「ふなれ」とは言っても、もう席をはずす……なんてことは通らないからな」
 ゾクリ、とする赤の瞳に睨まれ、玉は悔しそうに唇をかんだ。



 ワハハハハ……にぎやかな男たちの声と、くすくすとはなやいだ女のふくみ笑いが宴席にこだました。
 自らも窟の女をはべらせた男たちが、口々に初めておおやけの席に顔を出した鳳夏の姫、玉を話題にする。
「さすが、我が王。こーんな見目よき美姫を手にいれられるとは!」
「いやいや、王に気に入られるとは運のいい姫ですよ、まったく」
 窟の服をまとった長い黒髪に、窟の民族にとっては珍しい黒の瞳の女。透けるような白い肌も、遊牧民である窟の中では宝石あつかいである。

「………」
 ニコリともせずに玉は、隣にすわる蓮の腕につながれた腰をずらす。
 しかし、蓮の腕は彼女を解放しようとはしなかった。
「…離して、私は逃げないわよ」
 小さな声で玉は蓮に言った。
 チラ、と目を向けたかと思うと、蓮は皮肉げに口の端を曲げた。
「それは、できない。おまえは俺の女だと言ったろう? これがその印なのだ」
 そう言う蓮に、他の男に侍る若い窟の女の視線が否応なしに集中していた。
 たしかに、精悍な構えの王の顔もすんなりとたくましい身体も見るだけなら、見とれるほどに整っている。粗野ではあったが、おそらくは美形の類に入るのではなかろうか。
「私、貴方の考えが解からないわ。貴方の女になりたいって人間なら山のようにいるのに、わざわざ私を生かして置いてるのはなぜなの?」
 あるいは自分の命さえも狙うかもしれない存在を、手元に置く理由がどこにあるのか。
 それとも、玉の報復など問題視していないのか。
 不思議な顔をして蓮は玉を見つめた。
「解〔わ〕からないのか?」
「解からないわ」
 と、玉は不審に眉をひそめて繰り返した。
「男が女を手元に置く理由は一つだろう? 好きだからさ」
 不覚にも玉は頬をそめた。
 胸がはやる。しかし、赤の瞳はすべてを冗談にして、笑った。
「…とか言ったら、嬉しいか?」

 パンッ!

 一時の静寂の後、蓮の頬をはねつけた玉の怒号が空気の湖面を打った。
「アナタなんか……貴方なんか! ――大っキライッッ」
 立ち上がった玉に、煽るような屈の人間の囃子〔はやし〕が飛ぶ。
 酒の入った男の中には唇をやらしくゆがめた輩〔やから〕もいた。
「王の女はやめちゃうのかい? 姫さん」
「だったら、俺たちの相手もできるってワケだ?」
 騒がしく口笛を鳴らす見物人に後押しされ、彼らは珍種の姫に近づくと、ニヤニヤと笑いながら強引に床に押しつけた。
 生々しい男の力を感じ、玉の身体は見る見るうちに硬くなる。
「や…ッ」
「やめておけ、命が惜しいのならな」
 静かな連の声が響く。言うと、玉に絡む自分よりも大きな巨体を蹴り上げた。
 どこにそんな力が加わったのか、男の巨体は近くの壁へ激突するまですっ飛ばされる。
 蓮は玉を助け起こすと、鮮やかに彼女の唇を奪った。
 そうしてそれは、傍観する皆の目をも釘づけにする。
「以後、この蓮の女に手出しをすれば、生きていけると思うな」
 熱い口づけを終えた不穏な赤の瞳が圧倒する。ただ一つ問題なのは、玉に絡んだ当人が、その蓮の言葉を聞けたかどうか……だ。
「――…」
 一際強くスラリと鍛えられた彼の腕に抱かれて、玉の胸の鼓動は意味もなく早くなる。

 ――早ク 殺サナケレバ
 ――デナケレバ… デナケレバ……

 急〔せ〕く胸に添わせた手を、玉はキュッと握りしめた。


     *** ***


「あまり、蓮の立場を悪くなさらないよう願いたいですね、玉姫〔ギョク ヒ〕殿」
 気配を感じさせずに近づいた男に、宴会の席から一足先に逃れた玉は後ずさりする。
 彼は、一番よく蓮と一緒に行動を共にしている男だった。名を、……確か紅〔コウ〕と言ったか。
 目の色がおだやかな赤色で、肌の色さえもう少し陽に焼けていなければ、農耕民族の種族としてもやっていけそうな貴族めいた雰囲気を持っている。しかし、やはり彼も窟の人間らしく、時には不穏の色をまとうらしい。
「私は本当は、貴女を蓮に近づけたくはない。――蓮の危険になるものは、できるなら排除したいのですから……姫」

「…私だって、蓮なんかと関り合いたくなかったわ。確かに心根は優しいんでしょうけどッ、とうさまを奪ったのも、かあさまを殺したのも、淑〔シュク〕ねえさまを追い込んだのも…ッ蓮のせいなんだからッ」
 キッと涼やかな男の瞳を睨むと、感情の高まりに息を弾ませて玉は言い放った。
 そんな彼女を見ると、フウと紅は溜め息をつく。
「忘れてくださいとは言いません、姫。お願いです。蓮を恨むのではなく、我らを恨んで下さい。そうして、できるなら……あの方を癒〔いや〕してほしいのです」
「 ! 」
 驚いて見上げると、玉はそこに慈悲めいた瞳を見つけた。彼は本当にそう、願っているらしい。
「どうして…?」
 玉の不審には答えず、紅は背中を向ける。
「蓮の心を汲み取ってやって下さい、玉姫殿。貴女になら分かるはず……いえ、分かっているはずです」

『紅、お前には俺がどう見える?』

 そう問うしかなかった王に、貴女は選ばれた女なのだから。
 遠ざかる一際長い黒髪の男の背中を、玉は呆然と見送った。
 気をとりなおすように、ふるふると首をふる。
 彼の言う意味がどういうことなのか……にぎやかすぎるこの夜では、答えが出そうにない。



2.安住へ。<・・・3・・・>4.謀略へ。

T EXT
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