昔から、里宮秋人〔さとみや あきひと〕には女性にモテたという 記憶 がない。
昔馴染みである鴇田聡史〔ときた さとし〕の派手なナリに影が薄くなったというのも、あると思うのだが……いや、そうであってほしいと 切実に 願っている。
鏡に映る自分を、里宮秋人はそれほどひどい造作をしているとは思わないし、勿論、見目麗しいとはいかないのかもしれないが……それでも、時々視線を感じることがある。
たまに、そういう視線を感じて顔を上げると遠く、離れたところに女性社員がたむろしていたり、コソコソと耳打ちをし合っていたりするのだ。
けれど、告白をされたことはなかった。
考えてみれば、「見られている」イコール「好かれている」と考えるのは安易だったな、と反省する。
「セックスをする」イコール「愛し合っている」にならない、のと同じ理屈だ。
もしかすると、悪口でも叩かれているのかもしれない。彼女たちに嫌われる要因は、まったくもって心当たりがないのだが。
パチパチ、と電卓を叩いて、最後の数字を伝票に記すと、秋人は「んー」と背伸びをして息をついた。
眼鏡を外して、目元を指でほぐす。
「里宮さん、お疲れさまです」
今年入ったばかりの女性社員がお茶を持ってきてくれるのを、「ありがとう」と受け取って息をつく。
今月の清算作業はコレでおしまいだ。しばらく、またのんびりと伝票整理でもするかな……とぼんやりと考えた。
*** ***
服飾関連企業である『苑』に入社して三年目ともなると、日々の作業にも手際がよくなってくる。
経理事務ともなれば、システムの大幅な改編がない限りは、毎月同じ作業を繰り返すだけだから要領さえ覚えてしまえば、大した苦労はない。
それを考えると、営業企画部に回された鴇田聡史の愚痴に付き合うのも、まあ仕方ないと寛容に考える。
話術に長けた聡史は、入社してすぐに営業企画配属を決定されていた逸材だ。当初、そんな腐れ縁の友人を羨ましく眺めていたものだが……なにしろ、秋人が「数字に強い」というだけで経理部に回されたのも入社して間もない頃だった。
(そんな理由でいいのか、とあの時は思ったけど)
まあ、数字と向き合うのも嫌いじゃない、と最近は前向きに考えるようになった。
少しずつ、自分なりの経理システムを構築していくのも楽しいものだ。
「楽しそうだな、秋人」
ほんのり酒に酔った聡史が恨めしそうに言って、「くっそー、負けねぇ」と意気ごんだ。
聡史の部署の同じ紳士服部門には、よほどの上司がいるらしく……毎度、彼はその上司にしごかれているらしかった。卒のない聡史のことだから、普通よりもずっと上手くやっていると思うのだが。
「竜崎主任って、そんなにすごいんだ?」
そんなに詳しいワケではなかったが、営業企画部・企画営業課の竜崎主任と言えば、おっとりとした印象のどこか謎めいた人物だった。柔和で上品な物腰で愛妻家、じつは非公認のファンクラブまであるらしいともっぱらの噂である。
「おー、かるーく物凄いこと要求してくるぞ。侮〔あなど〕んな!」
「んー、そうする」
と、応じながら(あんまり接点ないんだけど)と苦笑いした。
聡史とそんな会話をした次の日のことだった。
「これ、受け取ってください!」
ゆるくうねった明るい髪の彼女が、可愛くラッピングされたそれを差し出したのは――。
くどいかもしれないが……里宮秋人は、生まれてから今まで女性にモテた記憶がない。
勿論、バレンタインにチョコレートをもらったのも 初めて のことだった。
(じーん、ようやく春がやってきた)
そろそろと顔を上げる彼女の顔を見て、秋人は「あれ?」とぼんやりと思った。
(もしかして、受付嬢の茅野さん?)
男性社員から、「可愛い」と評判の新入りの女子社員だった。
まじまじと眺めていると(秋人からすれば、天然記念物モノの珍種扱いだった)、彼女は真っ赤になってカチコンと固まってしまう。
「あ、あの……里宮さんに彼女がいてもいいんです。受け取ってもらえるだけでっ」
「ふーん」
と、相槌を打ち、「彼女?」と頭をかしげた。
そんな 素敵 なものがいた 例〔ためし〕 が今の今までないのだが。
「どこで、そんな冗談が……」
「え? でも、鴇田さんが新入社員の歓迎会の席で流してましたけど」
「………」
(って、コラ。ちょっと待て)
昔馴染みの腐れ縁の罪のない営業スマイルが浮かんで、秋人は脳天をかるーく 殴られた 気がした。てやんでーバローちくしょうめ!
( 貴様の仕業か、このヤロー! )
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