「 あの泥棒猫がどこかに行きましたの? 」
「美しい」正妃は吐き捨てると、憎々しいとばかりにくすくすと嘲笑〔あざわら〕う。
「猫〔ツェム〕がどこを歩いているかなんて、わたくしが知るわけないじゃないですか。皇帝陛下」
「妃公示」をして即日のうちに側室を迎えいれられた正妃は、当初、同情の対象だった。
しかし、その高潔すぎる気位が同情を認めなかった。しだいに悪辣になっていく正妃の口に、同情は掻き消え……なまじ、頭の切れるルーヴェは疎まれるようになる。
対して、当初それほど受けのよくなかった第二妃は年を経るごとに周囲の好感を得るようになった。
ひかえめでいて、それとなく気配りを忘れないツゥエミールは地味ではあったが、陽だまりのように心地いい方だと――。
レイドイーグの決断に賛同する者が増える一方で、正妃の孤立は決定的になる。
それまで、冷遇を強いられたことのない美姫からすれば、それはどれほどの屈辱だったか。
培われた彼女のプライドが、それを表に出すことを許さなかったがために、誰も気づかないところで歪んでいった心。
憎しみの矛先は、挫折の象徴に向けられ表出する。
「おおかた雄猫に愛想でも振りまいている最中でしょう」
ぴくり、と眦〔まなじり〕を上げてレイドイーグは冷ややかに言った。
「なんだって?」
コロコロとおかしそうに笑うルーヴェは、皇帝の睨みにも怯まない。
鈴の音のような澄んだ声を上げて、好戦的に見返す。
「皇帝陛下はあの猫の初心〔うぶ〕なところを気に入られたのでしょう? もし、そうでなくなったら――」
レイドイーグは彼女の耳障りなほどの澄んだ声に眉をひそめて、
「馬鹿を言うな」
さも心外とばかり、冷笑で一蹴した。
「この私が、その程度で陥落するか? もしツェムが娼婦になろうと……私は彼女を選ぶ。おまえでなく、な」
パシッ、とルーヴェの平手が飛んだ。
「強気ですこと!」
扉が閉まる金属音を背後に聞いて、レイドイーグは用意された椅子に腰を下ろす。
どうせ、次の言葉は決まっている。
待つのも億劫だから、早く終わらせたいのだが。
「ならば、ここでお待ちになるがいいわ……ッ」
にこり、と笑ったルーヴェがかしずくと妖艶に鳴いた。
「 ツェムの代わりに、この わたくし と―― 」
白昼の部屋に、淡い光が満たされる。
時折、窓際のカーテンを翻して爽やかな涼風が流れこんでくるのが、ひどくそぐわない。
絡みつくような眼差しでルーヴェは皇帝の膝に乗って唇を寄せた。
唇を合わしても、レイドイーグの眼差しは冷ややかなままルーヴェの姿を映していた。
今までも、こういう脅しに似た誘いはたびたびあった。
そのたびに、適当にあしらってきたのだが……それが仇となったのか。こうも度が過ぎるようになると問題だ。
特に、ツェムをほかの男に触れさせるなどという馬鹿げたことを企てるとなると、黙視するワケにはいかない。俺が嫉妬でどうにかなってしまうじゃないか?
「レイドイーグ様?」
身体を抱き上げられたルーヴェは少し戸惑って、皇帝を見る。
こんなふうに積極的に反応されたのは、初めてだったから――一瞬、期待してしまった。
が。
「ツゥエミールの代わりに」
その冷ややかに澄んだ青の眼差しに、ゾクリとする。
淡い光。
寝台の天蓋から下ろされた薄い布生地が、不可思議にそれを乱反射させる。
銀色の長い髪をシーツに広げて、仰げば皇帝の顔が逆光で薄暗く翳〔かげ〕る。
「 おまえの望みどおり、愛してやろう 」
ひどく優しいその言葉に、ルーヴェは言い知れぬ恐怖を感じた。
「 ………っ 」
必死に手足を動かし抵抗するが、もう遅い。
圧倒的な力が彼女を縛って、逃さない。レイドイーグとはそういう容赦のない男なのだ。
衣服とともに、ズタズタにされていく。
「あ……あっ……!」
深い青の瞳に次第に暗い闇が浮かんだ。
愛さないで。
あの妹〔こ〕を。
わたしに、それを突きつけないで。
みたくない―――見たくないっ!
顔を覆う両腕を無理矢理に剥がされて、ルーヴェはしっかりと見てしまった。
自分を映していない熱を帯びた青い瞳を――自分を通して妹〔ツゥエミール〕を見る見たことのないレイドイーグを。
「 ツェム 」
「 あ…… 」
ほとばしる絶望が、彼女の身体を震撼させた。
to be...
しなやかに強く。2-2 に続く
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