皇帝・レイドイーグの「妃公示」の儀式は華やかに執り行われた。
美姫と名高いストリミアの姫が華となって内外の主要な要人を集めた宴は、盛況を博して……なかば予想をしていなかった「作戦通り」の エンディング にイフリアの大臣卿たちを戸惑わせたほどだ。
「あのレイドイーグ様が、このように陥落するとは思いませんでしたな」
「いや、まったく」
うむうむ、と相槌を打つ大臣卿の中、不吉な予感がよぎる。
「……あの、皇帝陛下が? このように 簡単 に?」
ゾッ、とする考えが彼らの中に浮かんだ。
そして、それは――現実に連携〔リンク〕する。
突如、会場の中心が騒いだ。
真っ赤になった花嫁が、震える手を手で押さえてレイドイーグを睨んでいた。
紅をひいた形のいい唇を白くなるほど強く噛む。
頬を彼女の手によって叩かれた皇帝は、怯むこともしないでその手をとると指にキスを落とす。
くすり、と笑う表情が凶悪なほど優しい。
顔を背けたルーヴェから離れると、レイドイーグは会場から姿を消した。
姉の結婚式から逃げ出してきたツゥエミールは、知らない間に流れ出した涙に声を上げた。
彼と目が合いそうになって、耐えきれなかった。
窓から見た姉とのキスシーンも。
優しい眼差しも。
恨んでしまいそうになる心も。
いらない。
流せてしまえるなら、流してしまいたい。
堰〔せき〕をきった涙は、止める気にもならなかった。
「 ツゥエミール? 」
びくり、とツゥエミールは背中に聞こえた……あるはずのない声に嗚咽〔おえつ〕をひそめた。
ひっひっ、と無理に押しこめる喉のふるえを聞いた男は、背後から彼女を抱きすくめた。
這いまわる腕に、ツゥエミールは激しく抵抗する。
「い、いやっ! な、何を……」
寝台にうつ伏せに倒されて、よく澄んだ青の瞳がおかしそうに笑っているのを背後に見る。ゾクリと背筋に何かが走った。
悪寒とも快感とも感じられる、何か――。
「 どうして、ここで泣いているんだ? 」
二人が初めて逢った部屋。
分かって訊いているにちがいない彼の、その問いにツゥエミールは分からなくなる。
レイドイーグの唇が彼女の背中をついばむ。
ゆっくりと体勢を変えられ……瞼から鼻先、唇の上から下、それに口内に入りこむ。
息を絡めとられ、小刻みに乱れた。
「ツゥエミール、答えて」
力なく首をふる彼女に、執拗にレイドイーグは求めた。
「答えろよ」
今日は侍女服ではない控え目ながら姫らしいドレスを身に纏〔まと〕ったツゥエミールを、器用に剥〔む〕いていく。
「 や、やぁっ! 放してっ」
彼の手が素肌に触れて、ようやくツゥエミールは声を絞り出すことができた。
それとともに、膝を立てて男の身体から自身を守る。
「姉上様と結婚したんでしょう? なのに、どうして構うんですかっ。放っておいてくれたらいいのに……ひどい」
くっ、と唇を噛んでツゥエミールは、微笑んでいるレイドイーグを顔を背けながら潤んだ目だけで睨んだ。
「放っておいてくれたら、わたし……つらいけど我慢できる。我慢できるんですから」
「我慢?」
くすくすと笑いながら、レイドイーグは立てられたツゥエミールの膝頭を掴んで倒す。
「やっ! やぁっ!! やだやだっ」
あまりと言えばあまりの体勢に、ツゥエミールは羞恥に体裁も何も考えずに脚をバタつかせて暴れた。
そんな彼女の振りあげられた手を取り、さらに乱れた体勢に笑うしかないレイドイーグ。
もはや、彼女の抵抗は彼を助けることにしかならない。
滲んだ涙で、ツゥエミールの目の前の像が歪む。
「我慢なんてしなくていいのに?」
「 ………え? 」
彼の言っている意味が分からなかった。
歪んだ像が近づいて、よく澄んだ青い瞳がはっきりと映る。
息がかかるほど近くで止まって、おずおずと重なる。
「大丈夫、ちゃんとルーヴェには説明したから」
「え、あ? ぇえっ?!」
「だから、ツゥエミールも教えて。どうして、ここで泣いてたか」
「せ、説明ってウソ……や〜〜〜っ! ちょっと、待って!!」
教えて、と言いながら、レイドイーグの手は容赦なく這い回り女の子としては困惑せざるをえない場所にまで入ってくる。
真っ赤になってなんとか押し戻すと、息を整えてツゥエミールはレイドイーグを見上げた。
「何が嘘? 本当だよ、信じないの?」
と。
思いのほかに不安そうに揺れる青の瞳。
頬にはまだ涙が残っている顔で皇帝をチラリとうかがって、逡巡〔しゅんじゅん〕する。
「――この気持ち」
そのたどたどしい仕草がレイドイーグの胸をわしづかみにして、またしてもツボに入る。
彼女の肩に突っ伏して、そういえば上は裸だった……と思い至って、わざと痕が残るように唇を落とした。
わずかに抵抗する従順な彼女。
ふるえる声で訊く。
「……口にしてもいいんですか? 本当に? ……本当に、困ったりしない?」
「困らない。むしろ、私は聞きたい……おまえの気持ち」
くはっ、と笑いながら言う皇帝にツゥエミールは心底ホッとした。
身を起こしたレイドイーグに対面して座ると、はにかんで告げる。
「あなたが、好き」
あまりに素直な言葉だった。
「本当はずっと、好きだったの」
ぎこちなく唇を寄せてくるツゥエミールに、レイドイーグはやっぱり手放せないと切実に感じた。
抱き寄せて、灰色に近い地味な銀髪に頬を埋める。
腕の力をこめて、しなる彼女の柔らかな感触を堪能する。
目を閉じて、「俺も好き」と低く、甘く、囁く。
と、真っ赤になる彼女を目で確かめなくても分かるから、思わず口元が緩んだ。
( ………ああ )
ふと、本当のところを説明したならどう反応するか想像して、冷ややかな皇帝はよく澄んだ青の瞳を細めて何も分かっていないだろう彼女に謝った。
(悪い……でも、もう放せないんだ。諦めてよ)
*** ***
そのあとに聞いたレイドイーグの話に、ツゥエミールは早くも後悔した。
『私の正妻の座をくれてやる代わりに、ツェムを――貰い受ける』
宴〔うたげ〕の最中にそれをルーヴェに伝えたという。
引っぱたかれた頬を撫でて、悪気もなくしれっとレイドイーグはさらに愕然とする事実を知らせた。
「先に脅してきたのはルーヴェの方だ。自分を選ばなければ国に帰ると……ツゥエミール、妹も連れて帰ると言ったから、仕方なく付き合ってやったんだ」
知らぬはツゥエミールばかりだったという話なのか。
あの蜜月のような二人の仲に一喜一憂していた日を思い出す。
――でも、それは本当に?
「……姉上様は、でも」
本気だったのでは、ないの?
「どうでもいいよ」
と、話題として鬱陶しくなってきたらしいレイドイーグは眉をひそめたツゥエミールを覗きこんで止めた。
確かに、途中からルーヴェの自惚れが都合のいい解釈につながっていると気づいていた。
しかし、――。
(ことさら訂正することでもないだろう?)
「それより、ツェム。俺と姉がキスしてるの見たんだろ?」
びくり、とふるえるツゥエミールにくすくすと笑いながら、皇帝は唇を寄せた。
少し、強引にしなければ今の彼女は逃げる。
「 安心していい、おまえの見てない場所ではしてないから 」
ツゥエミールは目を見開いた。
ある意味、安心できないような事実をさらりと言う皇帝。
なのに、どうすることもできない。
ただ、降り落ちてくる彼の誓いの唇を受け入れて酔いしれた。
to be...
しなやかに強く。1-7 に続く
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