なやか強く。1-5


〜帝国恋愛秘話〜
  しなやかに強く。1-6 に続く



 くっ、とイフリア国教会の神殿に棲〔す〕む姫神子は、眼下に立つ皇帝に笑った。
 金の長い髪によく澄んだ青の瞳の彼女は、聖女然とした顔立ちを少しばかり歪めている。
「それを、わたしから教皇に伝えろと?」
 厄介なことを頼んでくれる、と暗にふくんで相手を見る。
 妖艶とも呼べそうな彼女の表情は この 皇帝相手にしか出すことがないため、国教会内では模範的な聖女としての評価が高い。

「姉上」

「睨むな。可愛い弟が久方ぶりに顔を見せたと思えば、無理難題の頼み事だったから姉としては面白くないだけのこと……」
 と、それは意地悪に言うとアリアナはくすくすと笑う。
「とは言え、おまえが選ぶ女とは興味深い。よほどの手錬か? ……人語は解する相手だろうな?」
 そういう彼女の顔は、妙に楽しそうだ。
「心配なさらなくても結構ですよ、姉上。私には姉上のような特技は持ち合わせていませんから」
 「視えない」世界の住人を「視る」ような?
 ふん、と興を殺〔そ〕がれたアリアナはしかつめらしく唸って、
「ならば、なおさら心配になる。女の方がおまえ相手では災難じゃないか?」
「それこそ余計なお世話です」
 にっこり突き放して言うと、レイドイーグは息をつく。
 姉のアリアナと話していると、なかなか本題が進まない。
「とにかく、白騎士の件は姉上からうまく手を回してください。今後、王宮騎士は黒騎士だけで編成させていただくと――白騎士は、国教会の専属とすればいいでしょう」
 弟の冷ややかな言葉に、姫神子は肩をすくめた。
「簡単に言ってくれる、それで波風が立たないとでも思うか?」
「私としても、事を荒立てる気はありませんが……皇帝〔私〕の命に従わないような兵力など邪魔なだけですので仕方ありませんよ」
「ほう」
 目をすがめて、アリアナは微笑んだ。

(よほど、腹に据えかねたと見える――)

「請け負う前にひとつ、いいか? レイドイーグ」
「どうぞ」
「おまえ、今、何を企んでいる?」
 声をひそめて、アリアナは呟き眉を寄せた。
 長年の勘のようなもので、よくない企みをしている時の弟くらい物騒なものはない。
 レイドイーグも姉のその鋭さに、なかば小気味いい屈辱を味わって口の端を上げた。
「べつに、何も。――ただのちょっとした悪戯〔いたずら〕です、姉上」
「 ……… 」
 聖女然と座った姫神子は、らしくもなく柔和に笑う皇帝を眺めて頭を痛めた。
(「悪戯」だって? おまえに限って、そんな可愛らしい代物のハズがないだろうが)
 だがしかし、アリアナにはそれを阻止する理由がなかった。
 最近、少々退屈していたところでもあったので、(まあいいか)とも思う。
 おだやかなイフリアの空を、窓から仰いで彼女はうっすらと目を細めた。



 誘拐犯から解放されたツゥエミールを出迎えたルーヴェは、それは剣呑な表情で妹を監禁した。

 ツゥエミールが攫われる瞬間に聞いた切迫した皇帝の声。
 どうして、彼が妹の名を呼ぶのか……そして、妹も皇帝をそんなにも泣きそうな顔で見るのか。
 答えは、おぞましいほどに簡単に目の前にあるのだが、ルーヴェは認めなかった。
 強固な彼女の誇りが、決してそれを目に映さない。
 長く培われた優越感は、まだ彼女をなんとか立たせていた。
「悪い子ね、ツェム。もう、そこから出てはダメよ」
「姉上様!」
 扉の奥で、扉を叩くツゥエミールの声が響く。
「彼が、あなたを選ぶとは思えないけれど……でも、どちらにしろ結婚はできないわ」
 あの方の相手は、わたくしなのだから……と、ルーヴェは悠然と微笑んで言った。
「わたしを選ばなければ、わたしたちはわたしたちの国に帰るしかないのよ? ツェム」
「 ………っ 」
 ドン、と扉を叩くツゥエミールの拳がふるえている。
 ずるずると滑り落ちると、それは沈黙を生んで弱々しい息を吐いた。


*** ***


 監禁されても、ツゥエミールはどこかで期待していた。

 部屋の向こうに、彼が訪れる気配を知るたびに。
 声が近づくたびに。
 ルーヴェに会いに来た皇帝に期待する。
 自分を助け〔選び〕に来てくれたのではないか、と。
 彼を疑いながら、あさましい心は都合のいい時だけ利用しようとするのだ。
 だから――。
 窓の外を眺めて、ぼんやりとその光景を眺めた。

  だから、コレは報いなのだろう。


*** ***


「姫」
 王宮の庭園にいたルーヴェを、レイドイーグが呼んだ。
 最初、ルーヴェには関心のなさそうな冷ややかな素振りをしていた皇帝ではあったが、逢う回数を重ねるごとに打ち解けて、最近では自惚れそうな眼差しで彼女を見る。
 もちろん、ルーヴェもこういう視線には慣れているので、有頂天になるような馬鹿な真似はしなかったが――。
「レイドイーグ様?」
 首を傾げて、それでも癖になりそうな優しい眼差しにルーヴェは困惑した。
 彼はルーヴェを見る時にだけ、こんな溶けるような優しい目をする。
 冷ややかによく澄んだ青の瞳が、ルーヴェを見るとまるで雪を溶かす春風のようにおだやかになる。
 今まで、感じたことのないときめきが思考をしびれさせた。
 間近に迫る、その瞳に焦〔じ〕れる。
「ひとつ、貴女の心を知りたい」
 うっとりと、その目に溺れてルーヴェはため息のような声で喘いだ。

「 私と、結婚してくれるだろうか? 」

 考えるよりも先に、瞼が下りる。
 唇に印を受けると、柄にもなくルーヴェは少女のように恥じらった。



( 助けて――… )

 こころが、声にならない悲鳴を上げる。
 こんなにも苦しいのは初めてだった。
 想う人が姉を選ぶ瞬間など、見慣れているハズなのに。
 「痛み」は、まったく違っていた――それは、本当は分かっていたことだけど、こんなにも 辛い とは想像していなかった。
 それほどに、彼はツゥエミールにとって とても 特別 な 存在 なのだ。

「 ………ひぅ 」

 喉がふるえた。
(……もう、遅い)
 目をそらすこともできないほど、傷ついて……けれど、思うようには涙が出てこないことに自分でも不思議だった。
 歪む視界を眺めて、ツゥエミールは静かに耐えた。


 to be...


 しなやかに強く。1-6 に続く

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