どうしてこんなことになったのか。
考えても分からなかった。
ただ、惹かれた。それだけのことなのかもしれない。
たった一人のこの男〔ひと〕に――。
イフリア帝国の王宮南館、イフリア現皇帝・レイドイーグ・エトル・ゼス・イフリアの私室で一つ床〔とこ〕でまどろみかけながら困惑する。
近しい人の体温に安心する。一つになる心。離れられないと思う。
それは、とても強く――。
( たとえ。
姉上様……ルーヴェ姉様を裏切ることになっても。 )
「ツェム」 目を開けると、隣の男の澄んだ青の瞳が、かすかに揺れた。
この人に、こんな表情は似合わないと今でも思うのだけど……。
激しい気性を秘めた澄んだ青の瞳。
強固な軍隊を編成させ、周辺の国々を圧倒する統率力を持つ獅子のような皇帝。
それが、このイフリアの若い皇帝だった。
「安心しろ、おまえは俺が守る」
思わず、ツゥエミールは笑った。
首を振る。
「平気です、わたしは……」
ほっそりとした華奢な身体を寄せて、どちらかと言うと地味な色の灰色に近い銀髪を一房胸元に垂らした。
見上げる瞳は、くすんだ青。
「では、どうしてそんなに震えている?」
太く逞しい皇帝の腕が、女の身体を支える。
「――知らないんですね」
と、寂しそうに目を細めると口にした。
「わたしは、姉上様が心配です。あの方は脆い方だから……」
わずかに目を瞠〔みは〕って、レイドイーグは「まさか」と嘲笑する。
「あの、高飛車な女が?」 ツゥエミールよりもはるかに鮮やかで、気高い女。
神々しいまでの輝く銀髪は波立ち、燃えるような眼差しは深い青。
「だって、姉上様はあなたに惚れているもの。本気で――だから」
しかし、ツゥエミールは続く言葉を紡ぐことができなかった。
レイドイーグの唇が、「うるさい」とばかりに荒々しく彼女の唇を貪った。
「おまえは? ツェム。私に惚れてはいないのか?」
深く重なる合間に訊かれて、息を乱したツゥエミールは弱々しく頭〔かぶり〕を振る。
「ど、うしてそんなことを! 訊く、なんて意地悪ですっ」
抗議して強く唇を噛む。
「意地悪で結構。答えろ、でなければ犯す」
「……あなた、に惚れてしまったから。
だから! わたしは、心配なんです。あの、方が――」
高い悲鳴を上げて、ツゥエミールはそのままレイドイーグの巧みな指先に落ちた。
最初から、彼には引くつもりなどなかったようでくすくすと笑いながら、「じゃあ、コレは同意の上ということで」とか呟く。
金色の前髪の間から、こういう時にだけ見せる悪戯っぽい目。
「やっ! レイ……っ 」
(本当に、どうしてこんな人に惚れたのか……分かんない―――)
本来の正妻であるルーヴェではなく、皇帝レイドイーグは彼女の双子の妹・ツゥエミールと夜を重ねた。
理由を訊かれれば、あっさりと彼はこう答える。 「好きな女とするのが、一番燃える」と。
それで、気位の高い正妻がどのような想いを抱くか……などは彼には関係がないらしい。
レイドイーグのそれが最高の長所であり、最悪の性格でもあった。
*** ***
ルーヴェ・ラ・ストリミア。 「ストリミア」は、イフリアのある地から少し離れた北方山国の名前だった。
小国の姫とは言え、その類稀な美貌と教養、養われた気品が周辺の諸国にまで知れわたる美姫〔びき〕が、イフリア帝国の熱く冷たい皇帝の正妻にと名前が挙がったのには、もちろん理由がある。
イフリア帝国の大臣卿たちの苦悩は計り知れないが……政治的利点は、この際棚の上にでも置いておいて、ぼた餅と一緒に並べておくことにしたらしい。
何しろ、彼らの熱く冷たい皇帝――レイドイーグが言ったのだ。
時々、物騒に大胆なことを口走り、かと思うとヒヤリとした冷静な判断をみせる彼。ある一点以外においては、完璧なまでの統率者の資質をもった若き王。
「そうだなあ、私が本気で惚れるような美女だったらしてやってもいい」
ある一点の問題は、「結婚」。 頑〔かたく〕ななまでにのらりくらりとその問題に非協力的だった皇帝が、からかいがてらとは言えポロリと口にした言葉に大臣卿たちは飛びついた。
皇帝たる者、一度口にしたことを翻してならない。
苦虫を潰したような顔でそんな大臣卿どもの顔を見下ろして、レイドイーグは澄んだ青の瞳を挑むように細めて微笑〔わら〕った。
「 好きにするがいい 」
玉座の肘掛にのせた肘、緩慢に頬をつく。
斜めから場を眺めやる態度は、どこまでも冷ややかに余裕をかましていた。
怒涛の早さで使者を遣い、(するかも分からない)婚礼の準備まで始めた大臣卿どもを横目に、レイドイーグは笑うしかなかった。
だから、ベールを外した花嫁(になるハズ)の女が顔を上げた時も動じなかった。
( なるほど )
と、その目を瞠〔みは〕るほどの美貌と強い眼差しに納得したくらいだ。
そのくらいには確かに美しい姫だったし、目を引く資質の女だった。
「ルーヴェ・ラ・ストリミアにございます、レイドイーグ皇帝陛下」
銀色のつつましやかな輝きが彼女の肩から流れて、どこからともなくため息が聞こえる。
囀〔さえず〕りのような心地のいい声。
「お噂はかねがね……このたびは、お招きいただき光栄に存じます」
「ほう、噂ね」
玉座でおかしそうに笑って、レイドイーグは訊いた。
「それは、どのような噂か。戦場の悪魔か政情のペテン師か?」
「両方にございます。じつに解しがたいお噂ばかりで……見極めたくて仕方ありませんでしたわ、わたくし」
ともすれば好戦的になりそうな台詞を、扇情的に変えてにっこりと姫は笑った。
( やってくれたな )
と、姫の背中を眺めてレイドイーグは内心で舌打ちした。
これは、追い返すのに手間がかかる相手だと……大臣卿どもの目論見に今更ながら気づく。
そう、彼らはレイドイーグの性格をよく知っている。 たとえ絶世の美女を連れてきても、普通の姫を追い返すことなど彼の手にかかれば簡単なのだ。
少し、意地悪をするだけでいい――。
逆境を知らない 姫君 ならばすぐに泣いて帰るだろう。
ならば、普通ではない姫君を探すしかない。
綺麗なだけではなく、賢く、王にも負けない自尊心の持ち主。
彼女は、追い返されることなど絶対に許さないタチの女だと苦々しく思う。
(まったく。厄介な相手を連れてきたものだ――こっちはそれどころではないというのに)
暢気〔のんき〕すぎる大臣卿どもに少し辟易〔へきえき〕して、レイドイーグは考えた。
「ひゃっ」
突然引き込まれた侍女は、声を上げて息を呑んだ。
捕まれている腕を振り解くことさえ、忘れてしまう。
「皇帝、陛下?」
くすんだ青の瞳を弱々しく見開いて、灰色に近い銀髪の彼女が戸惑ったように首を振る。
「何を……ッ」
一際、強く捕まれ引き寄せられた彼女は寝台に乱暴に転がされ彼の腕で張りつけられた。
灰色の長い髪が四方に広がって、戸惑った侍女はそれでもまだ何が起こっているのか解からなかったようだった。
「最初、侍女だと思っていたよ」
「 ! 」
ビクリ、と肩をふるわせた彼女にそっとキスをして、冷笑をみせた。
「 ツゥエミール 」
to be...
しなやかに強く。1-1 に続く
|