きの声 〜9,ィナという名の少女〜


〜帝国恋愛秘話〜
 10,刑場に咲く花 に続く



 ずっと、優しい夢を見ていた気がする。
 幸せで、涙が零れそうな夢。
 そこでは、あたしは普通の少女で、無邪気に笑っていた。
 愛する人を素直に愛して、愛してもらった。
 目が覚めて、これで終わってもいいと思える……とても、やさしい夢。
 もう、どうやって笑っていたのか、分からないけれど。
 終わってもいい――。

 最後の朝を知って、リアナルは少し残念そうに呟いた。
「夢?」
 ふん、と口の端を上げて自嘲した。


*** ***


 カチリ。
 と。全てが、音を立てて正確な形を示す。
 デルハナースはその罪人の罪状と姿絵を見て、ようやく自分の中の不可解だった気持ちが何だったのか……解かった気がした。

「代わろうか? デル」

 中央治安局に招集を受けた帰りの馬車で、一人の大審官が言った。
「いや、いい」
 にこり、と木漏れ日のような髪の間から零れる眩むような「天使」の笑顔に、デルハナースはいつもと変わらぬ無表情で答えた。
「おまえの気持ちは嬉しいが……これは、「死神〔俺〕」の仕事だ」
 同僚のあまりに普通の対応に、アルザスは片眉をピクリと上げた。
 そして、おやおやと肩を竦〔すく〕める。
「なぁんだ、私の出る幕はナシか……ちぇっ」
「舌打ちをするな」
「だってさー、彼女だったよね。アレ――まあ、普通の娘〔こ〕ではないと思ってたけど」
 ぴらり、と資料の一枚を摘むと、ひらひらと泳がせる。そこには、彼女の生い立ちから犯行に至るまでが丁寧に、しかし冷徹なまでに明々白々と綴られいる。

『――レインガルド・ガイザーを被害者の自室で、同室内にあった刃物によって刺殺。
 直後、屋敷の主、アンシルト・ガイザー(ガイザー卿)を前犯行で使用した同凶器で同じく、刺殺。
 異変に気づいた屋敷の侍女、サーラ・ジョベンニを悲鳴を上げた瞬間に同凶器で刺殺。……』

「……で三人殺して、フラフラしている所をデルに拾われたって感じかな? 推測だけど」
「まあ……そうだろう。彼女の様子は、尋常ではなかったから」
 青灰色の瞳をスゥ、と細めてデルハナースはアルザスを見つめ返して、
「――そんな気がした」
 そのまま窓の外に視線を外す。
「へぇ」
 感心したような「天使」のため息に、「死神」は声だけで訊いた。
「アルザス?」
「ん。いや、納得したんだ。デルが彼女に手を出した理由をね……つまりは」
 スラリと足を組んだアルザスは、肘を膝に乗せて顎を手の甲で支えると艶然と微笑んだ。
「彼女のことが、 好き だった?」
 ちらり、と馬車の中に目だけを向けて、デルハナースは無表情に……しかし、怒ったように呟いた。
「答えさせてどうする? おまえにしては、愚問だな」


 長い沈黙は、司法院に到着するまで続いた。
 司法院の入口にある降車場で、馬車から降りるとアルザスは真面目な顔で軽く言った。
「逃がすんなら、手伝うよ。彼女とは「友人」だし、ね」

「………」

(らしくもないことを、言う……)
 少し、意外に思ってデルハナースはまじまじと栗色の髪と艶やかな亜麻の瞳の……悪友を眺めた。
 その穏やかな人当たりからは想像もできないが、アルザスの人を蕩〔とろ〕けさせるような笑顔は、処刑の場――罪人の前でも絶えることがない。
 それは、むしろ非情と呼ばれる「裁きの天使」の微笑みとして、恐怖さえ呼ぶ表情〔かお〕。
「妙なことを言うな、私は――公私混同はしない。おまえと違ってな」
「ははっ、そう?」
 アルザスのやわらかな微笑みを見ながら、
(いや、違うな)
 と。心中でデルハナースは訂正した。
 処刑の場において、アルザスは決して「私」を持ち込まない。
 それゆえに、徹底して「非情」なのだ。
「――この仕事、キツくなるよ? デル」
「ああ、承知してる」
 笑みを消したアルザスに、デルハナースが鮮やかに笑った。

 彼女を「ティナ」と名付けた時から、この瞬間がくることを知っている。
 だから、――。
 そびえ立つ司法院を仰いで、長身の彼は暴れそうになる想いを封じた。


 10,刑場に咲く花 に続く

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