司法院の殺風景な部屋に通されたリアナルは、その足下に敷かれた黒い絨毯〔じゅうたん〕を踏みしめた。
(……処刑場、には豪勢すぎやしないかしら) コツコツと近づいてくる足音に、もう一度絨毯の感触を足で確認し、黒い上質のそれに染みついた血をじかに感じる。 大量の血を内包した絨毯は、誰のモノとも知れない血の色に染め替えられていた。 どす黒く、悲しい、痛い色。 琥珀の瞳を眇〔すが〕めて、リアナルは思い出した。 自分の手と顔と服についた、あの鮮やかな色を――あのあと、記憶も残らないほどに興奮しながら、手についた血を洗い流し、顔についた血を拭〔ふ〕いた。 真っ赤に染まったメイド服を脱いで、一番高い服に着替えた。……あの、レインガルドが贈ったそれは、清楚でまるで自分には似合わない。 裁かれるのが、怖かった。 だから、逃げたはずのに――。 音もなく、ゆっくりと開く扉を眺めて、リアナルは不思議な想いがした。 (なのに、どうして――こんなにも、今は心が静かなんだろう……) 彼女の前に現れたのは、長身の男だった。 まだ、若く……長い夜の戸張のような黒髪に瞳は地獄の火炎も凍るような青灰色。 「死神の涙」と呼ばれる、「癒し」の大審官。 本来、白と黒の装束である「大審官」は処刑の時にだけ、白の羽織を脱ぐというが……なるほど、確かにそうらしい。 黒い装束だけを身にまとった……知識としてしか知らないはずの彼が、ひどく懐かしかった。 氷のような無表情にも、まるで恐怖を感じない。 むしろ、この想いは――。 「リアナル・サー・シュガー」 「はい」 答えて、リアナルは血の染みついた絨毯に両膝を折って、祈りの形をとる。 「弁明を聞こう」 低音の耳に優しい声が、促した。 目の覚めるような金髪から、琥珀の瞳が見上げる。感情のない闇の淵が、彼女の心を巣くっていた。 「大審官さま、弁明して、どうするんですか。あたしが三人を殺したのは、「事実」です。たとえ、どんなに境遇を語ろうとも……法はあたしを殺すでしょう」 自虐的な眼差しで言って、問いかける。 「違いますか?」 「いや、その通りだ」 抑揚のない大審官の声に、リアナルは怒りではなく、満たされる。 さらに彼は、訊いた。 「では、最後の望みを聞こう」 リアナルは眩しそうに目を細めた。 口の端を曲げて、 「殺して」 それが、今の「望み」。 閃光のように壮絶な微笑が浮かび、すぐに溶ける。 「あなたに殺して欲しいの、デル」
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「――ティナ?」 そんな彼女をデルハナースは知らない。 彼女は無邪気で悪意のない表情をする……しかし、膝を折った彼女は、まるで娼婦のように妖艶に微笑んで祈る。 その姿は、まるで聖女のように可憐だった。 「今の今まで、夢だと思っていたわ……だって、あたしはあんなふうに笑わない。そうでしょう?――」 からかうようにデルハナースを仰ぎ、リアナルは声を立てて笑った。 ケラケラ、と。 「こんなの ティナ じゃない。あたし、ティナじゃないわ!」 デルハナースは彼女の細い身体を抱きしめ、その傷ついた心を撫でた。 彼に抱きしめられ、リアナルは震える。 腕をデルハナースの背中に廻そうと試〔こころ〕みて、できないまま……だらりと下に垂らした。 くぐもったリアナルの声が、嘆願した。 「おねがい、殺して……殺して殺して殺してぇぇえ! こんなあたしっ、もう、……っ」 「ティナ」 ピクン、と名前に反応して、リアナルは激しく抵抗した。 決壊した心から言葉が溢れる。 「イヤッ、離して! 殺してっ、早くぅ……ッ!」 ――見ないで。 「ん……っ!」 琥珀の瞳が開かれ、目の前にある男の青灰色の冷たい瞳を睨んだ。 涙がこぼれる。 「んん! んーっ!」 ――おねがい、みないで。
胸を力任せに叩いて嫌がるリアナルとの長いキスを終えると、デルハナースは表情のない眼差しで宣告した。 「死刑、執行」 と。
11,嘆きの声 に続く |