司法院、最上階の大審官の事務室でふと、「裁き」の大審官が高い窓を見上げた。 イフリアの空は、よく澄んで青い。 時折、黒い巨翼の鳥が迂回する姿が見えるのも、司法院の上ではよくある風景だった。 窓の淵に背中をもたれた「裁きの天使」は、静かに続けた。 「――で。それからデルは、しばらく落ち込んでさ。さらに厭世的になるんじゃないかと、心配したぐらいだよ」 彼が明るく笑って向き直ると、そこには最近配属された女士官がサラリ、と立っている。 金の髪に薄い青の瞳の、稀に見る美人。 白い士官装束を着こなした彼女は、にこにこと無防備に微笑んでくるアルザスに、気づかれないように首をかしげた。
『トラドゥーラ卿は、下官をお取りにならないんですか?』 ――この問いに、なんでこんな話になっているのか……? 彼女には分からなかったが。 しかし、彼女の上司になるあの「 厭世家 」で「 女嫌い 」と噂されるアルテア卿の昔の話も興味深かった。 なるほど、とも思う。 彼のあの、物憂げな態度はその過去が起因しているのかもしれない。 ……まあ、その前から「俗世嫌い」ではあったようだけど。 そんな女士官の思惑を知ってか知らずか、アルザスは天使の微笑をたたえたまま、 「私なら、こんな場所に女性を置きたくはないが……デルは 酔狂 だからなあ」 「――おまえに言われたくないぞ、アルザス」 「おや?」と、首を横に伸ばしてアルザスは女士官の影になって見えなかったデルハナースに手を振った。 顔を冷徹に固めた……じつはずーっと対極の机に座っていた「死神」が、もの言いたげに睨む。 地獄の火炎も届かないような、青灰色の瞳がさらに冷たくなる。 「その、赤ん坊をここに毎日連れてくる おまえ には、な」 アルザスの腕には、数日前から生後間もない赤ん坊がいる。 存外に大人しい赤子は、時折「きゃっきゃっ」と手を叩いたりしながら、この司法院にすぐに馴染んでしまった。 穏やかな微笑をたたえて、「天使」が艶やかな亜麻色の瞳を細めた。 「ははっ、そう?」 アルザスの柔らかな栗色の髪で遊ぶ赤子は、鈍い銅色の髪によく澄んだ青の瞳をしている。 「だぅ、だぅ」 ご機嫌な幼子〔おさなご〕の声に、ぷっと女士官が笑う。 「ケイン?」 「いえ、似たもの同士ってコトかと……失礼しました」 見るからに態度が硬化したデルハナースに、ケインは丁重に礼をする。 少々、丁寧すぎるのが、嫌味か? 「アルテア卿は、単にわたしを「女」とは見てないということですね」 「………」 「冗談ですよ」 「……ケイン」 心底、困ったような主人の低音の声に、薄い青の瞳がサラリと笑う。 「だって、トラドゥーラ卿が「男」士官を側に置くのは、もっと 酔狂 でしょう?」 もともと言葉を使うのが得意ではない長身の大審官は、部下に何かを口にしようとして息をつく。 どうやら、諦めたらしい。 そのやりとりに、くすくすと笑い声を立ててアルザスが肯定した。 「いや、その通りだよ。ケイン――男なんて、側に置くもんじゃない」 と、胸を張った。
fin.
あとがき |