きの声 〜11,きの声〜


〜帝国恋愛秘話〜
 あとがき



 ――君の望むように。
 ――私の想いのままに。

 静かな……とても、辛い瞬間だった。
 抵抗をしなくなった華奢な少女を抱いて、デルハナースは冷酷とも言える言葉をかける。
「怖いか?」
「………」
 答えない口の代わりに、少女の身体が震〔ふる〕えて応えた。
「ティナ?」
 頭〔かぶり〕をふって、否定する。
「怖くなんか、ない。――ううん、嬉しいの」
 先ほどまでの頑〔かたく〕なさが解け、素直な言葉が返ってくる。
 琥珀の瞳は、涙に濡れながら強い欲望に燃えている。

「殺して」

 デルハナースは見返し、感情の見えない無表情で帯剣していた水晶の剣を抜刀する。
 胸に抱く少女の柔らかな背中にあてがい、型通りの台詞〔せりふ〕。
「最期の言葉を、聞こう」
「キスして」
 言ったかと思うと、リアナルは自分から唇を「死神」の大審官に寄せた。
 重ねると、熱にうかされたように彼の息を貪〔むさぼ〕る。
 背中に痛みが走る。
 いや、「痛み」なんてモノではない。鋭い異物が食い込み、彼女の内蔵を突き抜けて引き裂いた。
「――ッ」
 デルハナースの肩を掴んでいた彼女の手が、爪を立てて彼の皮膚を破いた。
 黒い装束に血がにじむ。
 しかし、それよりも彼女の背中を貫いた水晶の剣から滴る鮮血の方が多い。
 ボタボタ、と落ちると、他の罪人の血と同じように黒の絨毯を濡らした。
 荒い息を吐いてリアナルは唇を離し、咳きこんで口元を押さえた。指の間から、彼女の口から溢れた血が黒の絨毯に落ちる。
 ふらふらと身体を揺らして、焦点の合わない琥珀の瞳で何かを探す。
 ふと、デルハナースの背中にしがみついた。
「ご……なさ……」
 剣を一気に心臓へと運んだデルハナースは、リアナルの囁きに耳を寄せる。
 それは、息と息の間に紡がれた吐息のように、細く儚〔はかな〕い声。
「あ、……とう」
「ティナ……」
 吐血に汚れた少女の顔は、穏やかな微笑を浮かべていた。それは、彼のよく知る少女のもの――。

「リアナル」

 まだ、体温の残る少女の屍を抱いて、黒衣のデルハナースは呟いた。
 彼女の本当の名前を――。
 表情のない、冷徹な「死神」の頬に、一筋の涙が滑〔すべ〕る。

 それは、一条落下すると、黒い絨毯に消えた。


 結,「死神」



 司法院、最上階の大審官の事務室でふと、「裁き」の大審官が高い窓を見上げた。
 イフリアの空は、よく澄んで青い。
 時折、黒い巨翼の鳥が迂回する姿が見えるのも、司法院の上ではよくある風景だった。
 窓の淵に背中をもたれた「裁きの天使」は、静かに続けた。
「――で。それからデルは、しばらく落ち込んでさ。さらに厭世的になるんじゃないかと、心配したぐらいだよ」
 彼が明るく笑って向き直ると、そこには最近配属された女士官がサラリ、と立っている。
 金の髪に薄い青の瞳の、稀に見る美人。
 白い士官装束を着こなした彼女は、にこにこと無防備に微笑んでくるアルザスに、気づかれないように首をかしげた。

『トラドゥーラ卿は、下官をお取りにならないんですか?』

 ――この問いに、なんでこんな話になっているのか……?
 彼女には分からなかったが。
 しかし、彼女の上司になるあの「 厭世家 」で「 女嫌い 」と噂されるアルテア卿の昔の話も興味深かった。
 なるほど、とも思う。
 彼のあの、物憂げな態度はその過去が起因しているのかもしれない。
 ……まあ、その前から「俗世嫌い」ではあったようだけど。
 そんな女士官の思惑を知ってか知らずか、アルザスは天使の微笑をたたえたまま、
「私なら、こんな場所に女性を置きたくはないが……デルは 酔狂 だからなあ」

「――おまえに言われたくないぞ、アルザス」
 「おや?」と、首を横に伸ばしてアルザスは女士官の影になって見えなかったデルハナースに手を振った。
 顔を冷徹に固めた……じつはずーっと対極の机に座っていた「死神」が、もの言いたげに睨む。
 地獄の火炎も届かないような、青灰色の瞳がさらに冷たくなる。
「その、赤ん坊をここに毎日連れてくる おまえ には、な」
 アルザスの腕には、数日前から生後間もない赤ん坊がいる。
 存外に大人しい赤子は、時折「きゃっきゃっ」と手を叩いたりしながら、この司法院にすぐに馴染んでしまった。
 穏やかな微笑をたたえて、「天使」が艶やかな亜麻色の瞳を細めた。
「ははっ、そう?」
 アルザスの柔らかな栗色の髪で遊ぶ赤子は、鈍い銅色の髪によく澄んだ青の瞳をしている。
「だぅ、だぅ」
 ご機嫌な幼子〔おさなご〕の声に、ぷっと女士官が笑う。
「ケイン?」
「いえ、似たもの同士ってコトかと……失礼しました」
 見るからに態度が硬化したデルハナースに、ケインは丁重に礼をする。
 少々、丁寧すぎるのが、嫌味か?
「アルテア卿は、単にわたしを「女」とは見てないということですね」

「………」

「冗談ですよ」
「……ケイン」
 心底、困ったような主人の低音の声に、薄い青の瞳がサラリと笑う。
「だって、トラドゥーラ卿が「男」士官を側に置くのは、もっと 酔狂 でしょう?」

 もともと言葉を使うのが得意ではない長身の大審官は、部下に何かを口にしようとして息をつく。
 どうやら、諦めたらしい。
 そのやりとりに、くすくすと笑い声を立ててアルザスが肯定した。
「いや、その通りだよ。ケイン――男なんて、側に置くもんじゃない」
 と、胸を張った。

fin.


 あとがき

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