きの声 〜8,ざされた記憶〜


〜帝国恋愛秘話〜
 9,ティナという名の少女 に続く



 イフリア帝国首都・ベリスにある中央治安局、玄関。

 そこに姿を現した少女に、受付にいた若い職員は怪訝〔けげん〕な表情をした。
 目の覚めるような金色の髪に、焦点の合わない琥珀の瞳が泳いでいる。華奢な彼女はふらふらと局内に入ってくると、倒れそうになった。
 思わず、その体を支えた職員に彼女は彼にしか聞こえない細い声で告げる。
「あたし、人を殺しました。お願い、……殺して」
 彼女の体はズシリ、と重くなって職員の腕に落ちる。
「おい? 君!」
 ――気を失った彼女の身元が分かるまでに、そう時間はかからない。
 「名前」は、リアナル・サー・シュガー。
 治安局が追っていた――彼女は、 罪人 だったから。


*** ***


 十歳の頃までは、シュガー卿の娘。
 そのあとは、父の親友だという資産家・ガイザー卿に養われた天涯孤独の少女。
 爵位を持つものの貧乏貴族だったシュガー卿の娘を、引き取ろうという人間はガイザー卿をおいてほかにはいなかった。
 彼は稀に見る「資産家」ではあったが、爵位のない平民の生まれだった。
 リアナルを引き取ったことによって、爵位を得る機会ができる。……それは、非人道的な方法だったかもしれない。
 彼は彼の息子に、まだ十二にもならない少女・リアナルを抱かせたのだ。

 そして、リアナルが婚姻可能な年齢に達したら、強制的に籍を入れ爵位を譲り受けるつもりだった。

 この時、彼女はまだ不幸ではなかった。
 リアナルは彼――ガイザー卿の息子、レインガルドが好きだった。最初こそ、無理矢理ではあったが……レインガルドは優しく、確かにリアナルを愛してくれていた。
 何度も何度も身体を重ね合って、未来のことを話する時間が、とても幸せだった。

「父のためにじゃなく、君と結婚したいんだ」

 と。少年のような瞳で囁いてくれるのを、リアナルははにかんで応えた。
「約束」
 寝台の上で彼に乗り、彼を押し倒した格好でキスをする。
「あたしも、あなたが――レインが……」
 あっあっと淫らな声が洩れる。
 彼を知り尽くしていると思っていた。
 すべてが、壊れるあの時まで――。


 レインに舞い込んだ縁談に、ガイザー卿はすぐさま乗り気になった。
 リアナルよりも高い爵位が相手にはあった……ただ、それだけで。
 しかし、彼にとってはそれが「一番」重要なコトだった――。

「レイン!」

 リアナルは、レインガルドを責めた。父親に縁談を断らないように言われた彼は、うちひしがれて自分の部屋に帰ってきたところだった。
 その甘い瞳が、なぜかリアナルを歪んで映す。
「結婚するって、聞いたの……嘘よね。嘘、なんでしょう?」
 薄暗い部屋の、扉まで駆け寄るとすがりつく。
「ねえ! レイン。答えて」
 扉に重く背中をうちつけると、レインガルドは息を吐く。リアナルと視線は合わせずに、一言告げた。
「ごめん、リアナ」
 ようやく目を合わせたかと思うと、レインガルドは少年のように笑う。
「僕には、君を選べない。だって、君は――誰とだって寝れるんだから」

「 ッ! 」

 リアナルは耳を疑った。
 確かに、そういうことがなかったとは言えない。自分はガイザー卿に養われている身分で、……断れば、レインと会えなくなる。
 あからさまに、脅迫されたことだってあった。
 しかし。
「どういう意味?」
 スーッ、と何かが冷めていく。
 片眉を上げて、ニヤリとレインガルドは口に意地の悪い笑みを浮かべる。
「君は誰にだって……僕とやっていたことを許していた。足を開いて、淫らな声を上げて、時には自分から求めた! リアナ! そんな君を僕は選べないよ」
 悪いけど、と彼は言う。
 違う! と言いたくて言えなかった。
 喉が乾いて、言い訳などする気にもならなかった。
 リアナルは、ようやく自分が笑っていることに気づく。
「そう! そうなのねっ」
 涙が出た。
 気づけば、リアナルは剣を持ち、誰の物とも知れない赤い血だまりに立っていた。
 ふらり、と肉塊と化した恋人から離れて、よく知る道を歩く。

 見られていた――。
 見せられていた――。

 あの、どうしようもない自分を、彼に――?
 そして、レインガルドはそれを黙って見ていたのだ。
 ずっと……。
「いや……イヤ! 消して! いやぁぁぁああッ!」


 9,ティナという名の少女 に続く

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