イフリア帝国首都・ベリスにある中央治安局、玄関。
そこに姿を現した少女に、受付にいた若い職員は怪訝〔けげん〕な表情をした。 目の覚めるような金色の髪に、焦点の合わない琥珀の瞳が泳いでいる。華奢な彼女はふらふらと局内に入ってくると、倒れそうになった。 思わず、その体を支えた職員に彼女は彼にしか聞こえない細い声で告げる。 「あたし、人を殺しました。お願い、……殺して」 彼女の体はズシリ、と重くなって職員の腕に落ちる。 「おい? 君!」 ――気を失った彼女の身元が分かるまでに、そう時間はかからない。 「名前」は、リアナル・サー・シュガー。 治安局が追っていた――彼女は、 罪人 だったから。
*** ***
十歳の頃までは、シュガー卿の娘。 そのあとは、父の親友だという資産家・ガイザー卿に養われた天涯孤独の少女。 爵位を持つものの貧乏貴族だったシュガー卿の娘を、引き取ろうという人間はガイザー卿をおいてほかにはいなかった。 彼は稀に見る「資産家」ではあったが、爵位のない平民の生まれだった。 リアナルを引き取ったことによって、爵位を得る機会ができる。……それは、非人道的な方法だったかもしれない。 彼は彼の息子に、まだ十二にもならない少女・リアナルを抱かせたのだ。 そして、リアナルが婚姻可能な年齢に達したら、強制的に籍を入れ爵位を譲り受けるつもりだった。 この時、彼女はまだ不幸ではなかった。 リアナルは彼――ガイザー卿の息子、レインガルドが好きだった。最初こそ、無理矢理ではあったが……レインガルドは優しく、確かにリアナルを愛してくれていた。 何度も何度も身体を重ね合って、未来のことを話する時間が、とても幸せだった。 「父のためにじゃなく、君と結婚したいんだ」 と。少年のような瞳で囁いてくれるのを、リアナルははにかんで応えた。 「約束」 寝台の上で彼に乗り、彼を押し倒した格好でキスをする。 「あたしも、あなたが――レインが……」 あっあっと淫らな声が洩れる。 彼を知り尽くしていると思っていた。 すべてが、壊れるあの時まで――。
レインに舞い込んだ縁談に、ガイザー卿はすぐさま乗り気になった。 リアナルよりも高い爵位が相手にはあった……ただ、それだけで。 しかし、彼にとってはそれが「一番」重要なコトだった――。
「レイン!」 リアナルは、レインガルドを責めた。父親に縁談を断らないように言われた彼は、うちひしがれて自分の部屋に帰ってきたところだった。 その甘い瞳が、なぜかリアナルを歪んで映す。 「結婚するって、聞いたの……嘘よね。嘘、なんでしょう?」 薄暗い部屋の、扉まで駆け寄るとすがりつく。 「ねえ! レイン。答えて」 扉に重く背中をうちつけると、レインガルドは息を吐く。リアナルと視線は合わせずに、一言告げた。 「ごめん、リアナ」 ようやく目を合わせたかと思うと、レインガルドは少年のように笑う。 「僕には、君を選べない。だって、君は――誰とだって寝れるんだから」 「 ッ! 」 リアナルは耳を疑った。 確かに、そういうことがなかったとは言えない。自分はガイザー卿に養われている身分で、……断れば、レインと会えなくなる。 あからさまに、脅迫されたことだってあった。 しかし。 「どういう意味?」 スーッ、と何かが冷めていく。 片眉を上げて、ニヤリとレインガルドは口に意地の悪い笑みを浮かべる。 「君は誰にだって……僕とやっていたことを許していた。足を開いて、淫らな声を上げて、時には自分から求めた! リアナ! そんな君を僕は選べないよ」 悪いけど、と彼は言う。 違う! と言いたくて言えなかった。 喉が乾いて、言い訳などする気にもならなかった。 リアナルは、ようやく自分が笑っていることに気づく。 「そう! そうなのねっ」 涙が出た。 気づけば、リアナルは剣を持ち、誰の物とも知れない赤い血だまりに立っていた。 ふらり、と肉塊と化した恋人から離れて、よく知る道を歩く。 見られていた――。 見せられていた――。 あの、どうしようもない自分を、彼に――? そして、レインガルドはそれを黙って見ていたのだ。 ずっと……。 「いや……イヤ! 消して! いやぁぁぁああッ!」
9,ティナという名の少女 に続く |