きの声 〜6,づかされた絶望〜


〜帝国恋愛秘話〜
 7,現〔うつつ〕の夜 に続く



「あっれー?」
 すごい音と同時に、軽ーい声が上がる。
 目を開けたティナは、そこに黒と白の装束で立つ二人の男を見た。

 一人は栗色の髪に亜麻色の瞳をした天使の容貌。
 もう一人は、漆黒の髪に青灰色をした長身の死神。

 天使が微笑むと、ゾクリと空気が凍結した。
「私たちの前で、こんなことするなんていい度胸じゃないか」
 微笑の形はそのままなのに、前の夜に見たソレとはまったく別物の「裁きの天使」の姿。
 彼に蹴り飛ばされた男がひとり、壁に激突して気を失っている。
「うわっ!」
 と、男たちは飛び退〔すさ〕り、即座に逃げ出すものもいる。
「『ソイサーマルのアルザス』……お偉くなったモノだなあ。昔、この界隈でも有名だったチンピラがっ!」
 ティナに乗っていた親玉らしい男が、忌ま忌ましく口にした言葉に天使は笑う。
「ふふ、まあね。でも、チンピラはやだなあ……せめて、不良とかさ♪ 若気の至りだしねえ? デル?」
「私にふるな」
「あ、怒ってる?」
 失敬、と頭をかいて、にこりと目だけで凄〔すご〕んだ。
「って、コトだからさ。私たちが動く前に消えてくれる? じゃないと、仕事する羽目になっちゃうからねぇ♪」
 楽しそうだな、と悪態をつき、それでも形勢を把握した男は引いた。
 女は上等だが……こいつらに捕まっては、わりに合わない。

 ティナの前に立つと、デルハナースはそっと白の上着を彼女にかけた。
「どうする?」
「え?」
 頭が回らないティナは、デルハナースの言わんとすることが理解できない。
「君が望むなら、彼らを捕まえるけど」
「………」
 彼女の震える肩を見て、デルハナース眉をしかめた。彼らを殺したいほどの怒りが込み上げてくる。
 そして、

 (どうして、彼女を一人にした?)と。

 自分へ――。
「ううん」
 首をふると、気遣って一定距離までしかそばに来ない酷薄の彼にしがみつく。
「だって、もう会えないと思ったの」
「おい、あ? 何の話だ?」
 動けば霰〔あられ〕もない姿を曝〔さら〕す彼女に、困ってデルハナースは身じろいだ。
 しかし、その彼女を引き離すほど彼とて 野暮 でも 聖人 でもなかった。
 裸の肩に触れると、受け止める。
「大丈夫なのか?」
「うん、平気。何もされてないもの」
 と。ティナの言葉〔偽り〕に、無表情なはずのデルハナースの顔がしかめっ面になる。
 ぷっ、と傍観していたアルザスが、噴〔ふ〕き出した。
「ソレじゃ素直すぎるよ、デル」
「間に合ったようね、アルザス。この借りは、即相殺でお願いするわ」
 アルザスの背後から姿を現わせた黒い長衣の女性は、薄い黒のベールから長い銅色の髪を見せている。
 鮮やかな赤い唇が、誘惑的に弧を描いて言った。
「もちろん、 「夜」 でもいいけれど」


*** ***


 相殺は、「夜」で話がついたらしい。
 彼女、ファン=ファナの住居は仕事場と兼用であるらしく、少ない数のランプから青白い炎が室内を暗く照らしている。
「座って」
 中央のテーブルに案内すると、ファン=ファナはティナを促〔うなが〕した。

 デルハナースとアルザスの姿はない。
 「仕事」をする時、ファン=ファナは占う相手以外の同席を基本的に認めない。
 なぜなら、「占星術」とは時として、人の心を曝〔さら〕し暴露する「プライベート」な代物だから。
 色とりどりのカードを、テーブルの上に並べてファン=ファナはおずおずと椅子に座る少女を見る。
 黒のベールから見える瞳は、翠緑を思わせる青の瞳。
「あらあ、大変!」
「え?」
 突然大きな声をあげて、一枚のカードを机の中央に置くと、ファン=ファナは目を瞬くティナを可笑〔おか〕しげに眺めた。
「あなた、今、迷っているわね」
 見て、とばかりにカードを示すと、そこには暗闇をカンテラ一つで歩いている人の姿があった。
「そして、コレ。あなたが迷っている根よ」
 示すのは、崩れる塔。
 そして、最後。
「死神……」
「そう。あなたの未来」
 微笑をたたえると、占術師は「でも」とその最後のカードを逆さにしてみせる。
「死神のカードはね、逆さにすれば案外、悪くないわ。それに……」
 薄闇の中で、女は少女に顔を近づける。
「過去は変えられないけど、未来は刻々と変わるものよ……どんなに悪くても、悔いのないように思う通りにするの」
 ティナは、「死神」のカードを見つめたまま、動かなかった。
 あんなことがあったのだ。
 普通ならば、占いなどする心境にさえならないはずだというのに、「私の未来、それに「過去」を占ってくれませんか?」と申し出たのは、ほかならぬティナ自身からだった。
 こくり、とティナは頷いた。

「――悔いの、ないように」

 顔を上げた少女は、琥珀の瞳を強く輝かせて笑った。
「そうします。ファン=ファナさん」
 その手は、死神のカードに触れている。
「わたし、また逃げるところでした……ありがとう」
 ファン=ファナはふと目を細めると、首を振る。
「いいえ。わたしは仕事をしただけよ」
 二人きりのこの個室の向こうには、天使と死神がこの少女を待っているだろう。
「あなたに、幸せが訪れますように」
 彼女は視〔み〕ていた。
 この少女の……深い絶望を――。
 この祈りが、どれほどの気休めになるか……分からないけれど、この笑顔が絶えないように信じて。
 ほっそりとした背中を押す。
 「また、いらっしゃい」と。


 7,現〔うつつ〕の夜 に続く

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