「あっれー?」 すごい音と同時に、軽ーい声が上がる。 目を開けたティナは、そこに黒と白の装束で立つ二人の男を見た。
一人は栗色の髪に亜麻色の瞳をした天使の容貌。 もう一人は、漆黒の髪に青灰色をした長身の死神。 天使が微笑むと、ゾクリと空気が凍結した。 「私たちの前で、こんなことするなんていい度胸じゃないか」 微笑の形はそのままなのに、前の夜に見たソレとはまったく別物の「裁きの天使」の姿。 彼に蹴り飛ばされた男がひとり、壁に激突して気を失っている。 「うわっ!」 と、男たちは飛び退〔すさ〕り、即座に逃げ出すものもいる。 「『ソイサーマルのアルザス』……お偉くなったモノだなあ。昔、この界隈でも有名だったチンピラがっ!」 ティナに乗っていた親玉らしい男が、忌ま忌ましく口にした言葉に天使は笑う。 「ふふ、まあね。でも、チンピラはやだなあ……せめて、不良とかさ♪ 若気の至りだしねえ? デル?」 「私にふるな」 「あ、怒ってる?」 失敬、と頭をかいて、にこりと目だけで凄〔すご〕んだ。 「って、コトだからさ。私たちが動く前に消えてくれる? じゃないと、仕事する羽目になっちゃうからねぇ♪」 楽しそうだな、と悪態をつき、それでも形勢を把握した男は引いた。 女は上等だが……こいつらに捕まっては、わりに合わない。 ティナの前に立つと、デルハナースはそっと白の上着を彼女にかけた。 「どうする?」 「え?」 頭が回らないティナは、デルハナースの言わんとすることが理解できない。 「君が望むなら、彼らを捕まえるけど」 「………」 彼女の震える肩を見て、デルハナース眉をしかめた。彼らを殺したいほどの怒りが込み上げてくる。 そして、 (どうして、彼女を一人にした?)と。 自分へ――。 「ううん」 首をふると、気遣って一定距離までしかそばに来ない酷薄の彼にしがみつく。 「だって、もう会えないと思ったの」 「おい、あ? 何の話だ?」 動けば霰〔あられ〕もない姿を曝〔さら〕す彼女に、困ってデルハナースは身じろいだ。 しかし、その彼女を引き離すほど彼とて 野暮 でも 聖人 でもなかった。 裸の肩に触れると、受け止める。 「大丈夫なのか?」 「うん、平気。何もされてないもの」 と。ティナの言葉〔偽り〕に、無表情なはずのデルハナースの顔がしかめっ面になる。 ぷっ、と傍観していたアルザスが、噴〔ふ〕き出した。 「ソレじゃ素直すぎるよ、デル」 「間に合ったようね、アルザス。この借りは、即相殺でお願いするわ」 アルザスの背後から姿を現わせた黒い長衣の女性は、薄い黒のベールから長い銅色の髪を見せている。 鮮やかな赤い唇が、誘惑的に弧を描いて言った。 「もちろん、 「夜」 でもいいけれど」
*** ***
相殺は、「夜」で話がついたらしい。 彼女、ファン=ファナの住居は仕事場と兼用であるらしく、少ない数のランプから青白い炎が室内を暗く照らしている。 「座って」 中央のテーブルに案内すると、ファン=ファナはティナを促〔うなが〕した。
デルハナースとアルザスの姿はない。 「仕事」をする時、ファン=ファナは占う相手以外の同席を基本的に認めない。 なぜなら、「占星術」とは時として、人の心を曝〔さら〕し暴露する「プライベート」な代物だから。 色とりどりのカードを、テーブルの上に並べてファン=ファナはおずおずと椅子に座る少女を見る。 黒のベールから見える瞳は、翠緑を思わせる青の瞳。 「あらあ、大変!」 「え?」 突然大きな声をあげて、一枚のカードを机の中央に置くと、ファン=ファナは目を瞬くティナを可笑〔おか〕しげに眺めた。 「あなた、今、迷っているわね」 見て、とばかりにカードを示すと、そこには暗闇をカンテラ一つで歩いている人の姿があった。 「そして、コレ。あなたが迷っている根よ」 示すのは、崩れる塔。 そして、最後。 「死神……」 「そう。あなたの未来」 微笑をたたえると、占術師は「でも」とその最後のカードを逆さにしてみせる。 「死神のカードはね、逆さにすれば案外、悪くないわ。それに……」 薄闇の中で、女は少女に顔を近づける。 「過去は変えられないけど、未来は刻々と変わるものよ……どんなに悪くても、悔いのないように思う通りにするの」 ティナは、「死神」のカードを見つめたまま、動かなかった。 あんなことがあったのだ。 普通ならば、占いなどする心境にさえならないはずだというのに、「私の未来、それに「過去」を占ってくれませんか?」と申し出たのは、ほかならぬティナ自身からだった。 こくり、とティナは頷いた。 「――悔いの、ないように」 顔を上げた少女は、琥珀の瞳を強く輝かせて笑った。 「そうします。ファン=ファナさん」 その手は、死神のカードに触れている。 「わたし、また逃げるところでした……ありがとう」 ファン=ファナはふと目を細めると、首を振る。 「いいえ。わたしは仕事をしただけよ」 二人きりのこの個室の向こうには、天使と死神がこの少女を待っているだろう。 「あなたに、幸せが訪れますように」 彼女は視〔み〕ていた。 この少女の……深い絶望を――。 この祈りが、どれほどの気休めになるか……分からないけれど、この笑顔が絶えないように信じて。 ほっそりとした背中を押す。 「また、いらっしゃい」と。
7,現〔うつつ〕の夜 に続く |