注文をしてティナは、窓際のよく外の見える場所を選んで座った。 その窓は通りに面していて、人通りや馬車の行き来がすぐそばに見える。 「お待たせしました」 メイド服を着た若いウェートレスが、湯気の立つ珈琲カップをティナの前に置く。 「ありがとう」 ふと、顔を上げてドキリとする。 (――なに?) ウェートレスはにこり、と微笑んでテーブルの間を器用に泳いでいく。 カタカタとティナのカップに触れる手が震えた。目を閉じて、深く呼吸をする。 胸がトクトクと早く波打った。
『旦那様、お茶をお持ちしました』 『×××様、旦那様がお呼びです……』 『…×××様。どうして、こんなに暗く?』 顔の見えない影と、夢の若い男が脳裏に現れては消えていく。 暗い部屋の中で、押し倒されたのは自分……たぶん、かなり昔の話だ。 男は少年と青年の狭間のような若さで、屋敷の主人の子息だったのではないだろうか? 記憶は判然としない。 だから、はっきりと彼が何者なのか分からない。 (わたしはメイド? だったのだろうか……) 押し倒され、愛を告白された。 『愛している』と。 拒否をして、それでも相手を拒むことはできなかった。 (どうして?) と、ティナはその気持ちの矛盾にゾクリとする。 (――「好き」だったのに、拒むのは「メイド」だったから?) 違う。もっと……切実な何かが彼女を記憶から逃れさせ、ヒタヒタと追いつめる。 通りを眺める琥珀の瞳に、酷薄な男の馬車はまだ現れない。 代わりに、べリスの街の治安局の制服を着た男二人がカフェに顔を出す。 何かをカフェの主人に話し、ティナは彼らと目があったような気がした。 できるだけ動揺を押さえて、席を立つ。 ちょうどいいことに、カップは今し方飲み干〔ほ〕して店内はごった返していた。 「失礼、少し……」 「 ッ! 」 外に出てすぐ、肩に手を置かれティナは声のない悲鳴をあげる。 彼らは確かに、何かを 「知って」 いる。 ティナはその腕を、払いのけると逃げ出した。 払われたことに「確信」した二人は駆け出し、路地に入る少女にわずかに舌打ちをした。
*** ***
ティナは走りながら後ろをふり返る。 治安局の二人は見えない。べリスの路地は入れば、迷路のように細い道の交差する場所だ。 追いかける方となると、一度見失えば見つけるのは至難の技となる。 息をあげて、ティナは路地の壁に背中をつけた。細い道の壁と壁……土壁が無惨に崩れかけたそこを見上げれば、おだやかな空。 澄んだ青いそこに白い雲が流れるのを、一羽の黒い巨翼の鳥が追いかける。 ズルズルと座り込むと、ティナは唇を噛〔か〕んだ。 (何をしてるの? わたしは……) 目茶苦茶に路地を走って逃げて、戻り方など分かるはずもない。
ザッ。 「………」 人の気配に、ゆっくりと顔を上げる。 にやにや、と笑う野卑な男は後ろに何人も仲間を従えていた。 ( 逃げなくちゃ ) 予想外ではない彼らの襲撃に反射的に思う。しかし、思うように身体は動かない。 路地を根城にする無法者の彼らからすれば、迷いこんだ女はみんな、獲物だ。 選択権など、彼女たちにはない。 あるのは、捕まる前に逃げること。 「いや!」 立ち上がり、駆け出そうとした足を捕まれ、ティナは地面に転んだ。 「もう、いや!」 足を掴む手をふり払おうとして、反対にその腕を捕られ、仰向けに転がされる。 彼女の頬についた土を男が手で拭う。 「女だ」 欲望に血走った目が、ティナの身体を値踏みするように観察し、壮絶に笑った。 逃れようとする身体を何度戒〔いまし〕めたのか、ティナは悲鳴を上げて男の手を拒んだ。 しかし、それも両の腕を掴まれ頭上に固定されてしまうと、できなくなる。 その彼女の反撃で血の滲〔にじ〕んだ手の甲を舐めると、馬乗りになった男は土まみれになった彼女の服を乱暴に裂く。 白い肌、ふっくらと膨〔ふく〕らんだ胸が片方こぼれ落ち、そして誘うような桃色の頂が見える。 「上等だぁ」 にやり、と笑う男の口にティナは知っている快感が走り寒気が起こった。 「……ッ、やぁっ!」 抵抗する。 けれど、無駄だと覚えている。自分に権利はない……いつだって。
6,気づかされた絶望 に続く |