きの声 〜5,フェから路地に〜


〜帝国恋愛秘話〜
 6,気づかされた絶望 に続く



 注文をしてティナは、窓際のよく外の見える場所を選んで座った。
 その窓は通りに面していて、人通りや馬車の行き来がすぐそばに見える。
「お待たせしました」
 メイド服を着た若いウェートレスが、湯気の立つ珈琲カップをティナの前に置く。
「ありがとう」
 ふと、顔を上げてドキリとする。
(――なに?)
 ウェートレスはにこり、と微笑んでテーブルの間を器用に泳いでいく。
 カタカタとティナのカップに触れる手が震えた。目を閉じて、深く呼吸をする。
 胸がトクトクと早く波打った。

『旦那様、お茶をお持ちしました』
『×××様、旦那様がお呼びです……』
『…×××様。どうして、こんなに暗く?』

 顔の見えない影と、夢の若い男が脳裏に現れては消えていく。
 暗い部屋の中で、押し倒されたのは自分……たぶん、かなり昔の話だ。
 男は少年と青年の狭間のような若さで、屋敷の主人の子息だったのではないだろうか?
 記憶は判然としない。
 だから、はっきりと彼が何者なのか分からない。
(わたしはメイド? だったのだろうか……)
 押し倒され、愛を告白された。
 『愛している』と。
 拒否をして、それでも相手を拒むことはできなかった。
(どうして?)
 と、ティナはその気持ちの矛盾にゾクリとする。
(――「好き」だったのに、拒むのは「メイド」だったから?)
 違う。もっと……切実な何かが彼女を記憶から逃れさせ、ヒタヒタと追いつめる。
 通りを眺める琥珀の瞳に、酷薄な男の馬車はまだ現れない。
 代わりに、べリスの街の治安局の制服を着た男二人がカフェに顔を出す。
 何かをカフェの主人に話し、ティナは彼らと目があったような気がした。
 できるだけ動揺を押さえて、席を立つ。
 ちょうどいいことに、カップは今し方飲み干〔ほ〕して店内はごった返していた。

「失礼、少し……」
「 ッ! 」
 外に出てすぐ、肩に手を置かれティナは声のない悲鳴をあげる。
 彼らは確かに、何かを 「知って」 いる。
 ティナはその腕を、払いのけると逃げ出した。
 払われたことに「確信」した二人は駆け出し、路地に入る少女にわずかに舌打ちをした。


*** ***


 ティナは走りながら後ろをふり返る。
 治安局の二人は見えない。べリスの路地は入れば、迷路のように細い道の交差する場所だ。
 追いかける方となると、一度見失えば見つけるのは至難の技となる。
 息をあげて、ティナは路地の壁に背中をつけた。細い道の壁と壁……土壁が無惨に崩れかけたそこを見上げれば、おだやかな空。
 澄んだ青いそこに白い雲が流れるのを、一羽の黒い巨翼の鳥が追いかける。
 ズルズルと座り込むと、ティナは唇を噛〔か〕んだ。
(何をしてるの? わたしは……)
 目茶苦茶に路地を走って逃げて、戻り方など分かるはずもない。

 ザッ。

「………」
 人の気配に、ゆっくりと顔を上げる。
 にやにや、と笑う野卑な男は後ろに何人も仲間を従えていた。
( 逃げなくちゃ )
 予想外ではない彼らの襲撃に反射的に思う。しかし、思うように身体は動かない。
 路地を根城にする無法者の彼らからすれば、迷いこんだ女はみんな、獲物だ。
 選択権など、彼女たちにはない。
 あるのは、捕まる前に逃げること。
「いや!」
 立ち上がり、駆け出そうとした足を捕まれ、ティナは地面に転んだ。
「もう、いや!」
 足を掴む手をふり払おうとして、反対にその腕を捕られ、仰向けに転がされる。
 彼女の頬についた土を男が手で拭う。
「女だ」
 欲望に血走った目が、ティナの身体を値踏みするように観察し、壮絶に笑った。
 逃れようとする身体を何度戒〔いまし〕めたのか、ティナは悲鳴を上げて男の手を拒んだ。
 しかし、それも両の腕を掴まれ頭上に固定されてしまうと、できなくなる。
 その彼女の反撃で血の滲〔にじ〕んだ手の甲を舐めると、馬乗りになった男は土まみれになった彼女の服を乱暴に裂く。
 白い肌、ふっくらと膨〔ふく〕らんだ胸が片方こぼれ落ち、そして誘うような桃色の頂が見える。
「上等だぁ」
 にやり、と笑う男の口にティナは知っている快感が走り寒気が起こった。
「……ッ、やぁっ!」
 抵抗する。
 けれど、無駄だと覚えている。自分に権利はない……いつだって。


 6,気づかされた絶望 に続く

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