「とりあえず、名前だよなあ」 と、アルザスが呟いた。 記憶のない少女が、首を傾げている。 「デル、何かいいのをつけてあげなよ」 「………」 「拾ってきたのはキミなんだから、責任もっていい名前考えてあげないとさあ。可哀想じゃない?」 「………」 静かな青灰色の瞳が、何とも言えないふうに悪友を眺めていた。 まさか、コレを本気で言っている……なんてことは、ないだろうが――いや、珍しく真剣な目が怖いと言えば怖い。 (――そんな犬猫のようなことを本気でさせる気か?) と。 疑わしげに睨む。 亜麻の瞳は、くるくると軽やかに動くと、デルハナースの反応に満足してふわり、と笑った。 「天使」と呼ばれる笑みだ。 が、コレの真価は処刑の際に発揮されるモノであって、通常はただの垂れ流しの色目に近い。
「ってコトだから、名前のことは気にしちゃ駄目だよ。――今日は、ゆっくり休むんだ」 ゆっくりと少女の顎〔あご〕を持ち上げると、アルザスは早業でその頬に唇をつける。 「 ! 」 ひゃっ、と少女は腰を引いた。 「アルザス……!」 「あはは★ じゃ、私は帰るよ。ごゆっくり〜」 凶器のような家主の鋭い視線をひらり、とかわしてアルザスは手の平を振った。 「あ、こら――」 バタン、と扉から出ていった同僚を追いかけようとして、デルハナースは止まった。 怪我を負った……しかも、記憶のない客人を放ってはおけない。 はー、と深く息をつく。 「悪い。こんなところで何だが、ゆっくり休んでくれ」 「あ。いえ……こちらこそ助かります」 言って、二人は沈黙する。 「……じゃあ、何かあればそこの呼び鈴を」
沈黙から口火を切ったデルハナースが、扉に向かって歩き、ゴンと何かにぶつかった。 何のことはない……壁とご対面しただけだったが。 鉄面皮をしかめると、ボソボソと呟く。 「――参ったな、アルザスのヤツめ、人をからかえばいいと思って……くそっ」 「………」 わずかに覗いた無表情な家主の照れた表情に、少女は驚き、次に彼が部屋を出ていってから声を出して笑った。 笑ってしまった。 「――わたし、笑ってる?」 落ち着いてきたところで、寝台に寝転び唇をなぞった。 (なんだか、笑い方も忘れていたみたい……そんなワケないのに) 目にぼんやりと天井が映る。 (…わたしは、何者なんだろう?) いつしか少女は丸くなり、深い眠りに落ちていった。 *** ***
「……ッアッ」 太股から上へなぞって上がる指に、声を押さえられず赤くなる。 「我慢するなよ、聴かせて」 薄暗い闇の中で、男の瞳が可笑〔おか〕しそうにわたしをのぞきこむ。 その色が何色かは分からない。 分かるのは、それがよく知っている男の顔だということ……。 そう――とても、好きな顔だった。 わたしはわずかに恥じらったのかもしれない。 彼の片手が、わたしの動きを規制すると、もう片方の手で股の付け根に触れた。 静かに……時に乱暴に。 声が溢〔あふ〕れでた。 規制を解いた彼の手が、素肌の胸をとらえていた。 「! あん……ッはっ」 潤〔うる〕んだ瞳で彼を見る。 「もっと、……鳴いて」 彼は言った。 「 *** 」 抗いがたい身体の感覚に、判然と音は聞こえない……わたしの、それは名前? ねぇ? 教えて。 もっと、はっきり――…。
「 ! 」 目が覚めて、朝の光を感じた少女は、あまりに生々しい夢にしばらく動けなかった。 まだ、身体が余韻を感じるように熱い……。 ぞくり、と背中が寒くなる。 (男に抱かれる夢を見るなんて……) これは、きっと失くした記憶の残像――。 なぜか、それが彼女を戦〔おのの〕かせた。
3,現〔うつつ〕の解放 夢の束縛 に続く |