きの声 〜1, 神と天使〜


〜帝国恋愛秘話〜
 2, 名前 に続く



 司法の「癒し」を司るアルテア家は、由緒正しい家柄である。
 にもかかわらず、そこの若いご当主さまは社交会の祝儀やら公式な宴席にはあまり顔を見せないことで有名だった。……その血に汚れた司法院〔ケルビム〕の最高審官という職務から、めでたい席では煙たがれることは必至であったし、何より「厭世家〔えんせいか〕」と噂されるほどの俗世嫌いとあっては、通常の社交会にもまるで興味がない。
 だから――彼は、突然訪問した彼の数少ない友人(というか、「悪友」により近い)に笑われても無表情に無視した。

「あはははははは。デルにしては、粋〔いき〕なことをすると思って立ち寄ってみたら、また似合わない客人を寝かせているじゃないかっ」
 粋なこと……というのは、つまり仕事への無断欠勤である。
 ご同業者である、司法の「裁き」を司るトラドゥーラ家のこれまた若い当主・アルザスは木漏れ日のような栗色の髪から亜麻色の瞳をからかうように細めた。
「まさか、あの 「俗世嫌い」「恋愛下手」 のキミが、若い娘と自宅でしけこんでいるなんて思わなかったよ、私は!」
 アルテア家当主・デルハナースの俗世嫌いとは対照的に、アルザスは社交会の華だった。
 社交会内外を問わず、ご令嬢のほとんどは彼に好意を寄せているし、アルザスも無下にはしないので浮いた話が平行して進行することはめずらしくない。
 しかも、「女性を泣かせるのは万死に値する」と豪語するだけあって、そのフェミニストぶりは徹底していた。  
 ――で、その彼に「人聞き悪く」評された鉄面皮のデルハナースは、長い黒髪から青灰色の瞳をわずかにしかめてポツリと一蹴。
「おまえと一緒にするな、アルザス」
 あまり使用頻度の高くないアルテア家の客間で、目の覚めるような金髪が寝台に波打っていた。
 頭と右腕に包帯を巻いた少女は、思ったよりも軽傷で今は寝息をたてて静かに眠っている。
「身元が分からないんだから、仕方ないだろう?」
「……そういうとこがデルらしいよなあ」
 ぷっ、とふきだしてアルザスは、前のデルハナースの自分に対する酷評を聞き流した。
(俗世嫌いのくせに、妙にお人好しなんだから……)

 そして。
 顔を寝台に眠る少女へと近づけると、微笑む。
「上玉だね」
「おまえは……」
 はあ、と黒髪を掻きあげると、デルハナースは呆れたように悪友を牽制〔けんせい〕した。
「私の客人だからな、変な真似は止めとけよ……それに」
「それに?」
「この娘、結構なお嬢様だと思う。服の仕立てがよかったからな」
 亜麻色の艶〔つや〕やかな瞳を一瞬鋭くして、アルザスは瞠目〔どうもく〕した。
「へぇ!」
 心持ち寝台から離れる。
「手出したら、処刑モノ?」
「……安心しろ、その時は私が担当してやるよ。「裁きの天使」」
 「癒し」の最高審官はニヤリ、と笑うと、「死神の涙」の異名にふさわしく冷え冷えと「裁き」の最高審官〔天使〕を見下ろした。


*** ***


 ぱちり、と目を開けると、少女はしばらくぼんやりとしていた。
「あ、起きた?」
「………」
 降った声に、ようやく男の存在に気づく。
 その手が伸びると、思わず身体が緊張する。
「私の名は、アルザス。で、こっちがこの家の主のデルハナース……君の名前は?」
 なでなでと少女の覚めるような色の金髪に触れる男の手はあくまで、紳士的だった。
 緊張がほぐれると、口を開く。
「……わ、たし?」
 そして、初めて考えた。
(な、まえ……わたしの名前は……? なんだった?)
 ぞくり、と寒気が走る。
「わからない……わたしは、――だれ?」

 途方に暮れた少女の琥珀の眼差しに、ぱちくりと亜麻の瞳は瞬〔またた〕いた。
「………」
 そして、同情にも似た生き生きとした表情でデルハナースをふり返る。
 ぽん、と自分よりも少し背の高い黒髪の男の肩に手を置くと、
「やったね、デル。彼女、ここに泊まっていくってさっ」
「その、ようだな……」
 悪友のどう見ても面白がっている物言いに、ほとほととデルハナースは頭が重くなる。
 厄介なことになりそうだと、直感した。
 ――いや、それはすでに路上で彼女を見た時から気づいていた。
「……ごめんなさい。ご迷惑、ですよね?」
 弱々しくうなだれる彼女に、相変わらずの愛想なしで淡々とデルハナースは言った。
「仕方ない」
(それは、放っておけなかった自分が悪いのだから……しかし)
 と、彼女の顔を見据えて思案する。
 あの時、気を失う寸前に彼女が見せたのは、深い「闇」――。
「記憶が戻るまでいればいい」
 薄く微笑んで、すぐにまた無表情に戻る。
 びっくりしたように琥珀の瞳を見開くと、あどけなく少女は笑った。
「ありがとう……」
 今は、「闇」は見えない。
 そんな無邪気な、溶けるような笑顔だった……。


 2, 名前 に続く

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