「いってきまーす!」
金曜日の午後、4時。 高崎町にある竜崎〔りゅうざき〕家に元気な男の子の声が響いた。かと思うと、玄関の扉が開き、竜崎家の長男・竜崎蒼馬〔りゅうざき そうま〕が飛び出してくる。 「あ、こら! 蒼馬!!」 続いて飛び出してきたのは、黒髪を頬の辺りで短く切りそろえた母、朱美〔あけみ〕。 蒼馬のまだ細い少年の腕を引っつかむと、何かを渡そうと躍起〔やっき〕になる。 「もう! 強情な子ねっ。このわたしに黙って日向〔ひなた〕ちゃんからチョコ貰〔もら〕っていたのは、分かってるんだから。――持っていきなさい」 「だぁからっ!」 頬を赤くした照れ屋な少年は、反論しようとして黙る。 「何よ? 日向ちゃんから情報は得てるんだから、言い逃れしようとしても 無駄 よ」 ふふん、と胸を張ると、朱美は子ども相手に勝ち誇った。 「――あの、バカ」 ぽつり、と蒼馬は呟いて、ほんの少し顔をしかめた。 「アレは、そういうチョコじゃないんだって……母さんは、分かんないかもしれないけど、さ」 息子のはっきりしない物言いに首をかしげて、朱美は「変ねえ」と息をつく。 「何が?」 母の言葉に、次は息子がその首を傾〔かたむ〕けた。 「日向ちゃん、あんたのチョコにはすっごく力を入れたって言ってたのに……そうじゃないの?」 「げ!」 「何よ、ソレ?」 少年の失礼な反応に、眉を寄せて朱美は戒めた。 蒼馬の手の甲をつねると、肩をすくめる。 「ホント、日向ちゃんもこんなオクテな相手じゃ、チョコ渡しても甲斐〔かい〕ないわよねえ」 「……ほっといてよ」 はぁ、と息を吐く蒼馬は、疲れたように呟いた。そして、母の差し出したリボンのついた箱を改めて突っ返す。 朱美は怪訝〔けげん〕な顔をする。 「いらない。……ちゃんと、自分でやるから」 目を丸くして、朱美は突っ立ったまま「そう?」と小学三年生の息子を見送ると……、しばらくして「あらあらあら」と慌てて、家に駆け込んだ。 *** ***
ばたん、とリビングの扉が開き、朱美が駆け込んできた。 本日は半ドンで会社から帰宅した夫が、不思議そうに雑誌から目を上げる。 仕事柄、雑誌の種類はほとんどがファッション誌であったが、時々経済誌やゴシップ誌……息子の読みかけのマンガなども嫌いではないらしい。
「菫さん、菫さん、菫さーん!」 顔を上げた彼が見たのは、頬を上気させて抱きついてくる妻だった。 ソファに座る菫〔すみれ〕の胸に飛び込むと、ぎゅぅぅぅう、と背中に腕を巻きつけてくる。 そして――。 「どうしよう、菫さん」 と。ふかいため息をひとつ、こぼす。 胸に顔をうずめる朱美に、菫は困惑した。 とりあえず、手に持っていた雑誌はテーブルに置くしかなさそうだが。 「朱美?」 「蒼馬って、やっぱり菫さんの子どもだわ……」 「………何か、あった?」 扉のところで、ぽろりと落ちている箱を見て菫は訊〔き〕いてみる。 (――なんとなく、察しはつくけど) 苦笑して、ポンポンと朱美の背中を叩いた。
1 ・・・> ホワイト・デーの午後。2
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