玄関が開いて、客人が出て行く気配を二階の寝室で聞いて、とんとんとんと階段を上がってくるよく知る人の足音を朱美は寝室のベッドでむくれたまま体で感じ取った。
扉が開く。
「帰ったよ?」
なによ、と思う。
「菫さんの、バカ! このこと、知ってて昨日あんなに……へ、変だと思ったわ」
「変、ってどのあたりが?」
「コレ! いつもだったら、見えるところになんてしないのにっ」
今回は首筋の高いトコロにまでキス・マークをつけた彼を、朱美はギッと睨んでバフッと枕に顔をつけた。
「なによ、わたしがヌードモデルを 簡単に 受けるような女だと思ったの!」
「ちがうよ。まあ、確かにモデルの話を聞いたから多めにつけておいたけど」
枕が飛んで、受け止めると菫はベッドに横たわる朱美の背中に微笑んだ。
「知らなかったから、悔しかったんだ」
背後から抱きしめると、ぴくりと朱美の身体がふるえた。
「何の話よ……知らなかったって?」
「朱美がモデルをしてたなんて、初耳だったんだ」
「 は?! 」
ビックリして身体を浮かすと、そこから彼の腕が前にまわった。
「え? ひゃっ、やっ……やぁん!」
服の上からまさぐられて、身をよじる。
「お義父さんの写真集に一枚、載ってるんだって?」
もがく彼女の首筋を吸って、訊いた。
「そ、そんなの知らない! 全然覚えてないもん……って。や、やだ! どこさわってんのーっ」
ここ、と示すように菫の指が朱美の脚の付け根を叩いた――と言っても、Gパンの上からだったけれど。
それでも、たまらなくて。
朱美は転がり仰向けになる。
真正面に面白がる菫の顔を見つけて、唇を尖らせた。
「わたし、モデルなんてしないから……」
「知ってるよ。――でもさ」
くすくすと笑った菫に、朱美は仰向けのまま首をかしげた。
「 なに? 」
ちろり、と紫がかった眼差しが閃いてキレイなアメジストになる。
「彼が言ったんだ。それも、いいかな? ってちょっと思った」
さらに眉根を寄せる朱美の耳元に唇を寄せて囁くと、彼女はその 話 に真っ赤になった。
「な、なに考えてるの?! あの エロ カメラマン!」
それじゃ、まるで何かのアダルト雑誌だ!
菫さんもやる気にならないでよ! となじって、朱美は夫の身体を押し上げて立ち上がる。
「写真集に載せるのはいただけないけどさ……きっといい写真〔絵〕が撮れるよ?」
と。
片肘で頭を支えた格好でベッドに横になった菫が、確信をこめた微笑で照れる妻を口説いた。
*** ***
真っ赤になった朱美は立ったまま硬直した。
「じょ、冗談よね? 菫さん」
「ん? 本気だけど?」
ベッドから身を起こした彼は首をかしげると、まるで当たり前のことのようにアッサリと それ を肯定する。
(ちょっと待って、ちょっと待って、ちょっと待ってよー!)
「やだやだやだやだ、ぜーったい、ヤダ!」
首をふって拒否すると、菫がくすくすとおかしそうに笑った。
「だから、なんでそんなに爽やかなのよ!」
(言ってるコトは 爽やかさ なんて微塵もないクセに……ほだされそうになるじゃないの!)
と、必死に自分に言い聞かせて朱美は菫を睨んだ。
「撮っちゃダメだからね! 菫さんん!!」
「はいはい、無断では撮らないから安心していいよ」
「……って、どういう意味よっ!?」
ぽんぽん、と頭を撫でられて、朱美は横切る夫に言い募る。
菫が扉を開けると、そこには父に言われたのか、礼儀正しく待っていた小学四年の長男・蒼馬が次男・由貴を抱いて立っていた。
いきり立つ母を見て、「どうしたの?」と物静かな父に尋ねた。
菫は、笑ってそんな息子の頭を撫でる。
と。
人差し指を唇にあてて、「もうちょっと待って」と声を立てずに示した。
流し目を愛妻に向ける。
「 ちゃんと事前に断るよ、「撮っていい?」ってね? 」
口をパクパクと開閉している朱美へと歩み寄ると、こそりと彼女にしか聞こえない艶っぽい声で耳打ちした。
「大丈夫、あの時の朱美が一番 キレイ なんだから」
って、だから!
朱美は、頬を染めてムゥと唇をすぼめた。
心の中では、(もうもうもうっ!)とか(安心する論点がそもそもちがうし!)とか(断ればいいって問題じゃないんだってば!)とかとか恨み辛みを思い浮かべてはみるものの、目の前の菫の幸せそうな顔にすべてが霧散してしまう。
( ずるいんだから……信じられない )
信じられないのは、そんな彼も 好き だということ。
「……菫さんも映らなきゃ、ダメ、だからね」
朱美の苦し紛れの譲歩に、菫は少し目を大きく開いて、細める。
「 はいはい 」
両親二人の会話に、小学四年の蒼馬が眉根を寄せて「もういい?」と父の袖を引っ張った。
おわり。
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