「 は? 」
うっかり思考が停止して、反射的に仰いだ彼女の前に彼の顔があった。 うっとりするような澄んだ色素の薄い瞳は、少し紫がかってみえる。 あとずさり、その先にある柱にぶつかりそうになるのを彼の手が防いだ。 「朱美?」 問いかける優しい瞳は、それでも有無を言わさない熱を帯びている。 彼女のニットのセーターから覗いた裸の肩をシッカリと抱いた彼は、そのまま彼女を幅のある廊下の壁へと追い込んで抱きすくめた。と、硬くなった彼女の身体をほぐすように触れてくる。 「アっ! す、すみれさんん??」 「なに?」 「あの、ちょっと。ちょっと、待って! さっきの アレ はどういう意味なの?」 「 どういうって? 」 彼の手を制するように彼女は腕をとると、訊いてきた。 彼は首を傾げて、 「言った通りの意味だけど?」 今の状況と考えて、 ソレ はどう鑑〔かんが〕みても疑いようのない事実だろう。しかし、彼女はさらに混乱した。 (ま。待って、待ってよ! どうして「今」なのよっ。全然そんな予告なかったじゃないっ。わたしの心の準備がっ――それ以上に身体の準備がまだなんだってばっ!!) 彼女の切なる眼差しに、くすりと彼が微笑んだ。 「朱美、お願いだから。頷いてよ」 その声と顔、何よりキスに彼女は恨めしく上目遣いで非難した。 「 ずるい 」 唇が離れ、間近で見る彼の瞳にさらに頬を染める。 怒りだけではない。はじめて感じる溶けるような感覚にどうしたらいいか分からず、身体だけが知らない生き物のように反応する。 「こんなのって、ずるい……す、みれさんにそんな風に、言われたら……わたし。が断れるワケ、ないのに」 ぷく、と口を膨らませて彼女は小さく、目をそらしたまま頷いた。 そんな不本意そうに拗ねている彼女に少し目を瞠って、彼はフッ、と息をついた。 「――分かってる? 俺を高みに昇らせるのは朱美だよ」 切実な声とともに、彼女を抱く力を強くする。 「………ぅんん」 背中に入った冷たい指先からの愛撫に、白濁してくる頭の中。 「なあ、俺を。高みに――誘ってよ」 首筋にかかる低音の声に身体が火照る。 そこにあるのはさっきの彼の言葉〔プロポーズ〕と――これまでの、出来事だった。
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向陽大学の奇術サークル「メッフェ・ブランシュ」の打ち上げ合コンで貸し切られた場所は、学生がよく使う明るい飲み屋だった。 『ドロンズの洞窟』 と、 看板の掲げられたそこは、名前こそ謎だったが中は健康的に明るい装飾が施されている。 奇術サークルなだけに、現在は披露会へと移行しており余興にはことかかない。 そんなざっくばらんな飲み会で、向陽大学幼児教育学部一年の会沢朱美〔あいさわ あけみ〕は、手にノン・アルコール(のハズである)赤いカクテルを弄びながら、隣の恋人をどうしたものかと息をつく。
向陽大学経済学部一年、竜崎菫〔りゅうざき すみれ〕。 付き合い始めた頃は中学生だった。そして、すぐに高校がバラバラになり……今年、ようやく同じ大学に進学したはいいのだが。 「竜崎くん、そんなトコロにいないでこっちで飲みましょうよ〜」 「そうよそうよ、一年はもっと中心にいなくっちゃ! 馴染めないゾ」 「あはは、すごいセンパイ。カワイコぶりっ子じゃないですかっ」 「いいでしょー。キレイな子にはコレくらいしないと」 華やかな集団の誘いに菫は微笑むと、やんわりと断った。 それは、反面潔いとも思えるくらいにハッキリと。 「いいえ、僕はここで――朱美がいますから」 ( ………えーっと ) 大学の女というのは、中学生とも高校生とも民族が違うらしい……とようやく、最近朱美は分かってきた。 目が違う。 まるで、それは雌豹〔めひょう〕というか。妙な間とともに注がれる眼差しは、朱美が「痛い」と感じるほどに鋭い。 そして、発せられる言葉は冷ややかだった。 「会沢さん、いたの?」 ( ……… ) はっはっはっ、とヤケクソぎみに豪快に笑ってみせると、朱美はスックと立ち上がった。 「ええ。――いたんです、そりゃあもう、さっきからずっと。ぴったりと」 にぎっ、と右手で拳を作り掲げると宣言する。 「よしっ、注〔つ〕ぎましょう。センパイ方! さあ!」 「え? あ、どうも」 差し迫る気迫に思わず頷き、注がれる日本酒を先輩と呼ばれた彼女たちは眺めた。 「変な娘〔こ〕ね?」 「よく言われます。でも、コレにはちょっと策がありまして」 とくとくと流れこむ透明の液体の向こうで、朱美がにこりと笑う。 先輩は目を見開くと、細めた。 「それは――どうゆう策かしら?」 「はい、センパイを酔い潰そう 大 作戦です!」 シルクハットから飛び出すハズの白いハトが、仕掛けの台から飛び出してくるのと同時に朱美はキッパリと高らかに言い切った。
1 ・・・> 竜崎家の裏事情。2
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