「きゃー! 比奈さん、ありがとー」
手離しで喜ぶと、亜希は菫に向き直った。
「って、コトですから。竜崎さん! もう少し、付き合ってくださいねっ」
まさに抱きつかんばかりの勢いの彼女を背後から、篠響子〔しの きょうこ〕が腕を掴んで止める。
もとい、話しかけた。
「あ、じゃあ灘さん。撮影準備したいので指示お願いしますね、イマスグ!!」
「え? でも、わたし……まだ、竜崎さんに話がっ」
「時間がないんです! イマスグ、指示お願いしますっ」
有無を言わせない総合スタイリスト・響子の訴えに、メイク担当の森早奈恵〔もり さなえ〕、照明担当の菅加世〔すが かよ〕、ヘアメイク担当の流瞳子〔ながれ とうこ〕、それに本来は音響担当の補佐役・一〔にのまえ〕つなみの「一文字シスターズ」がウンウンと 強く 呼応したので、亜希は眉をしかめた。――この五人からの風当たりが妙に強い、と撮影に入った当初から感じている。
気のせい?
では……どうやらないらしい。それでも、「時間がない」と言われては仕方がない。
仕事は仕事だし。
「分かったわよ」
ぐいぐいと引っ張られるままに、連れ去られた。
その場に残されたのは、初対面同士の男二人。
最初に口を開いたのは、比奈東吾の方だった。
「 私も。確かに、いい写真を撮るのはカメラマンの腕だと思うよ 」
撮影スタッフを集めて、指示をする灘亜希を遠目に眺めながら口の端を上げた。
*** ***
「君か。朱美さんの旦那っていうのは」
と。
比奈東吾はくるりと踵を返すと竜崎菫をまっすぐにとらえ、そう……静かに確認した。
「 そうですが? 」
それが、なにか? とでも言いたそうな菫の彼らしからぬおだやかではない声。
確かな変化を感じた東吾は嬉しそうに笑った。
「ああ、ちゃんと彼女は愛されているんだね……安心したよ」
「貴方は? ……朱美の知り合いですか?」
疑わしげに眉根を寄せて、菫は訊いた。
妻である朱美とは「幼馴染」と言ってもいいほどの長い付き合いなだけに、その辺の交友関係は把握している。くわえて、開けっぴろげな彼女の性格からしても隠し事ができるタイプではないのだ。
――それだけに、自分の知らない 男の 知人が 彼女 にいるとは思えなかった。
「知り合い、ではないなあ。私が一方的に知っているだけだから……おっと、ストーカーではないよ。勘違いされちゃ困る」
剣呑になった菫の眼差しに、東吾はつとめておどけてみせた。
「そう。言うなれば、ファンかなあ? 最初は会沢美彦〔あいさわ よしひこ〕先生の被写体として興味を持ったんだけどね?」
(どっちにしても、あやしいんじゃないか?)
菫は東吾を睨んだまま、不信感を露〔あらわ〕にして警戒した。
「ひゃっ!」
ちゅっ、と首筋にキスを落とされて、竜崎朱美〔りゅうざき あけみ〕は怯〔ひる〕んだ。
「な、なに?! すみれさんん??」
飛び退ろうとして、できない。
強い菫の腕に閉じこめられる。
高崎町にある竜崎家の一軒家、その玄関先で……夫の帰宅を出迎えた彼女はいきなりのその抱擁にジタバタするばかりだった。
「ちょっ……菫さんっ。やっ!」
あまりに執拗なそれに、朱美は思わず本気で抗った。
背後にある長男の目を気にしてのことだ。ふり返ってみれば、思ったとおりに二人の小学四年になる息子がギュッと目を瞑〔つむ〕って見てない見てないと自己主張をしている。
「ヤダってば! ねえ、どうしたの?」
耳元で呟かれた言葉に朱美はムッと口をすぼめて、憤然と息をついた。
情熱的な抱擁をした彼は、執拗かと思えばアッサリと彼女から離れた。今は、物静かな父親の顔に戻っている。
「 な。なんなのよ、もう! 」
蒼馬をなだめつつリビングへと促す菫の背中を睨んで、朱美は玄関に備えつけられた姿見の鏡に映る 自分の 姿に「あ」と口をぽっかりと開けた。
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