アンコールの演奏も終わって、今日の仕事がようやく終焉を迎えようとしていた。
鳴り止まない拍手も……ツアーの終盤ともなると、精神が疲労してくるため嬉しいと思うよりは、億劫ささえ感じるようになる。
控え室で正装の上着を崩し、タイをほどくと葉山貴水はフゥと息をついた。
顔と身体のほとんどを醜悪な傷痕で蝕まれた姿は、現在ではトレードマークとして認識され、皮肉なことにコンサートの舞台で晒す分にはもう誰も顔をしかめる者はいなかった。
ただ、やはり普段の生活の中では……そうも割り切ってはくれない。
移動の道中やホテルの中、人前に出ればいらぬ注目、奇異の眼差しを向けられる。
慣れている、とは言え疲れている状況ではキツイものがあった。
だから。
扉をノックされて、ツアーのスタッフに食事に誘われても……とても、行く気にはならなかった。
「悪いけど、遠慮するよ」
と、閉じられた扉の向こうに返事をして、貴水は遠く目をすがめる。
遠のく足音。
(……疲れたなあ)
――扉の向こうの喧騒が、早くなくなりますように。
そう、願って目を閉じた。
〜 夢 〜
舞台のライトは落とされ、わずかの非常灯が青く舞台を照らす。
人のいなくなった舞台の上、ピアノに触れてホッとようやく緊張が解けていく。
鍵盤に指を滑らせながら、とりとめのないメロディを奏でて貴水は彼女のことを想った。
電話口で『たまってない?』と訊く彼女、『浮気なんか絶対、許さないから!!』なんて馬鹿げてる。
「たまってるよ。でも、 僕に そんなことができるワケがないんだ」
だって―― 君 じゃないと 意味 がない。
できるなら、今すぐにでも君のところに帰りたい。
「 帰ろうかな 」
ポツリ、と呟いて……それは、とても名案のように頭に浮かんだことだった。
今からなら、今夜遅くの飛行機のチケットがとれる。二時間ほど乗れば、日本に着くだろう。
幸い、今は日本のほど近くに滞在している。
「帰って、君を抱きしめたいんだ。なつきさん」
彼女は許してくれるだろうか。
と、考えて(いや、それはないな)と思う。
ツアーを放棄してきた……なんて本当に知ったら、彼女の逆鱗に触れる。
そして。
「 バカ! 」
って、叩かれるのが関の山だ。
はじめて彼女に平手をくらった時のように、彼女は叩く。
自分の手のひらが一番痛いのに、まるで平気なフリをして僕を睨むんだ。
「 ……そういう人なんだよね、あの女性〔ひと〕は 」
くすくすと思わず笑みがこぼれて、貴水は(すごいなあ)と感心した。
「傍にいなくても、この 威力 だし」
いつの間にか、浮上している気持ちに我ながら驚いた。
*** ***
『 聞いてる? 』
いきなり電話をかけてきた夫に、不機嫌な妻の声が訊いた。
それと言うのも、かけてきたのは彼の方のクセに何を話すというワケでもなく、黙って彼女の話を聞いている だけ だったからだ。
「うん」
それでも、貴水からすればなつきの声が聞けるだけでよかった。
彼女の声はどんどん険しくなっていくけれど。
『もう! 本当、なんなのよっ』
「うん」
頷いて、彼女の声に癒されながら、臨月間近の奥さんはちょっと情緒不安定なのかもしれない……と勝手なことを考える。
「なつきさん」
『なによっ!! バカっ』
「……もうすぐ、ツアーが終わるから」
なつきの『ふーん、そう?』という気のない返事にも愛しさを覚える。
(ねえ、なつきさん。君も僕と同じ気持ちだよね)
そう、感じられる。
それくらい、この時間は 幸せ だと思う……。
そして、
「 そしたら、帰るよ 」
もうすぐ会える 幸せ を噛みしめて、貴水は微笑んだ。
!注意! イラストの著作権はあやさまに帰属しています。勝手に持って帰らないでネ★
fin.
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