ホテルのツインルームにある二つのベッドの内、一つのベッドには大きな荷物が放り出されたままだった。
年内の仕事であるピアノ公演も今夜終えて、あとは帰るだけとなった夜。
キスをして抱き合うと、ふわりとしたタオル地のガウンを解〔ほど〕かれて、先ほど浴びたシャワーによって温められた裸の肌が露にされた。
照明は絞られていて、互いの肌が薄い闇の中にぼんやりと溶けていく。
〜 月の光 〜
「 ねえ、知ってた? 」
頬にかかる髪を彼の細く長い指で避〔よ〕けられて、そのままそこを指の腹で撫でられると、小夜原なつきは気持ちよさそうに笑った。
「何を?」
彼女の身体をベットに横たわらせ、長い髪がシーツに泳ぐのを目に映して、葉山貴水〔はやま たかみ〕は首をかしげた。
ベッドの端に座る彼の顔から全身には、醜悪な引き攣れが巣食っている。
目を背けたくなるほどの異様な姿……だけれども、下で躊躇いもなく彼を受け入れる彼女は、子どもがヒミツを打ち明けるように彼の腕を引いて唇を寄せると、声をひそめた。そんなことをせずとも、この部屋には二人しかいないのに。
と、貴水は前髪が彼女にかかる程度に前のめりになって、苦笑した。
(なつきさんらしい、というか――)
「高校のあの場所、覚えてる?」
あの場所と聞いて、まず浮かぶのは旧校舎の舞台だが……あそこは、かなり前に建て直されたはずだし。
「ヒントはね、文化祭の夜よ」
「ああ、じゃああそこか。……あそこがどうかしたの?」
くすくす、と笑うとなつきはギュッと貴水に抱きついてきた。
深く、密着する。
気持ちいい体温に誘われて、指を裸の肌に這わせるとなつきの身体は泳ぐように動いた。
「ジンクスがあるのよ。あの桜の木の下で告白したら、両想いになれる。キスしたら、ずーっと一緒にいられるって」
「ふーん」
そんな話があったのか、と貴水は初耳だったが、特にそういう話に詳しいワケでもないので不思議にも思わなかった。学校という場所には、怪談と同じくらいそういった話がよくある。
それよりも、いま、なつきが それ を口にしたことの方が不思議だ。
「じつはね、それ……わたしのせいみたい」
「……は?」
なんでも、大学を卒業したあとで高校に顔を出した時に、貴水とのことを聞かれ……「好きだと自覚した場所」にあの桜の木の下を話に出したのだと言う。
「それが、いつの間にかそういうジンクスになっちゃったみたいなのよね」
「僕たちが、そこで キス どころか 告白 だってしてないのに?」
「そうなの」
問題よね、となつきは上目遣いで貴水を見上げて、懐かしいと思える拒否権のない口調で言った。
「だから、ね。日本に帰ったら、「真実〔ほんとう〕」にしに行かない?」
「 わざと君の罠にかかるのも悪くないものだね 」
懐かしい場所で、軽く合わせていた唇を離すと貴水が綺麗に笑った。
日本に戻った二人は入籍を済ますと、その足で母校に立ち寄った。
身に沁みる寒さと、年明け間もない時候のせいか、校門に近い場所にも関わらず そこ は人影がなかった。
遠く、グラウンドの向こうで練習をする生徒がいる程度。
吐く息も、白く、濃くなる。
「もう、一回」
と、なつきはねだって、
「君が、好きだよ」
と、貴水は あの頃 には望むことさえできなかった心地いい…… 確かな存在 をそっと強く抱きしめた。
fin.
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