海外ツアーのために日本を離れてから定期的にしているなつきへの国際電話にでた、よく知る男の第一声に葉山貴水〔はやま たかみ〕は眉根を寄せた。
「……叔父さん?」
その気持ちが声に出ていたのか、電話口の千住久一〔せんじゅ きゅういち〕はあてつけるように言った。
『なつきさんじゃなくて悪かったな。昔はかわいかったが、今はふてぶてしいヤツだよ、おまえは』
いきなり、何を言い出すんだ? と貴水は不可解に思い、(まあ、叔父さんだしな……)と深く追求するのはやめておいた。国際電話もタダではないのだ。
それより、問題は別にある。
「どうでもいいけど、なんで そこ にいるの?」
電話をしたのは、確かになつきの住む自分の家だったハズだ。
貴水の素っ気無い態度に気分を害したらしい久一が、さらに嫌味ったらしくあてつけた。
『いちゃあ悪いか? おまえの 新居 だ、叔父としては見ておかねばなるまい』
「いや。引っ越しの時に来てるだろ? それなら」
たぶん、にやにやと笑っているにちがいない叔父の声が貴水の心を逆撫でする。
『そりゃあ、もちろん 身重の なつきさんのためだ。遠くの夫より近くの親戚……国際電話するくらいなら、早く戻ってきてやるんだな』
〜 水の戯れ 〜
『 叔父さま! 』
と。なつきの大きな声がそれを遮って、電話口に出た。
『ごめんね、叔父さまったら……からかってるのよ?』
つとめて明るい彼女の声が、言った。
もちろん、久一のタチの悪い挑発だとは思う。
「本当に? 無理してない? なつきさん」
しかし、彼女が頑張りすぎる性格だということも確かだった。『大丈夫だから……』となつきは言うけれど、それを真に受けるほど付き合いが浅い関係でもない。
「君は我慢しすぎるから……ちゃんと検診に行ってる?」
『順調だってば、気にしないで』
貴水くんにそんなこと言われるなんて心外だわ! と、なつきは強く反発した。
『ツアー中なんだから、無理して電話してこなくていいんだから……時間、大丈夫なの?』
「うん、まあ。終わってホテルに戻ったところだから」
アメリカのシカゴにいる貴水は、手元にある時計を見て苦笑いした。もうすぐ、日付が変わるからそろそろ眠った方がいいのは確かだ。
明日も、朝は早い。
( でも―― )
『それなら、いいけど……』
歯切れの悪いなつきの様子に、首をかしげる。
「どうかした?」
『うん。あのね……たまってない?』
「は?」
なつきの言っている意味が理解できなかった。
「たまるって、何が?」
『だから。貴水くんだって男じゃない? だから、浮気しないか心配なのよ……わたしがツアーに同行してた時は、結構イロイロしたしさ……ねえ、平気?』
貴水は自分の爛〔ただ〕れた頬に指を滑らせて、なつきの言葉に絶句した。彼女のすごいところというのは、こういう微妙で繊細な生理をサラリと言ってのけることだ。
「平気って言うか……そうだな、時々飛びそうになることはあるけど」
息を呑むなつきの気配がして、貴水はくすくすと笑った。
『嘘っ! ダメだからねっ、浮気なんか絶対、許さないから!!』
「大丈夫、飛びそうになるのは 君 と電話している時、だけだから」
『どういう意味よっ?!』
「 その声だけで、理性が飛びそうだよ…… 」
( どんなに身体が疲れていようと、明日の朝が早かろうと……この時間だけは譲れないな )
と、貴水は、電話の向こうで 彼女 が真っ赤になっているとは露〔つゆ〕とも知らずに、「おやすみ」をそっと優しく口にした。
fin.
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