『ねえ? わたしのこと――好き?』
ドルツムジカ音楽院の公衆電話、日本からの問いに千住貴水は息を呑んで、笑い混じりに答えた。
「好きだよ。どうして?」
本当は、彼女がなにを求めているのか知っている。
もうすぐ、彼女――小夜原なつきの誕生日なのだ。
大学院の卒業を控えていて、なかなか日本に戻ることができないことを彼女もよく分かっている。だから、貴水が「日本に帰る」と電話してきたことに不安を覚えたのだろう。
「だったら、それだけで十分だよ。わたし、千住くんには無理して欲しくないの」
なつきの声は、いつだって明るい。
だからこそ、その奥にある感情は見えにくく、貴水を困惑させた。
「無理なんかしてないよ……僕は」
「いいの! 戻ってこないでねっ」
有無を言わさずにガチャン、と切られた国際電話に貴水はため息をついて、受話器を置いた。
そばで、誰かの気配を感じてふり返ると悪友のジャス・フレミングがニヤニヤと笑っていて、貴水は知らず顔を険しくした。
「お姫さまはなんて言ったんだ? センジュ」
「君には、関係ないだろう。ジャス」
貴水の冷たい一言にもめげる様子はなく、むしろ可笑しそうにジャスは言った。
「いやいや、ひとつ忠告してやろうと思ってね」
余計なお世話だ、と思いつつ、貴水は黙っていた。
「お姫さまには、溢れるほどの 愛の言葉 を囁くんだ。いいかい?」
「……はあ?」
「お姫さまは、塔の上でそれを待ってるんだよ」
と、金髪碧眼の貴公子は謎めいた微笑を浮かべてポン、と肩に手を置いた。
〜 亡き王女のためのパヴァーヌ 〜
それから。
朝、電話が鳴って、貴水は瞠目した。
「小夜原さん?」
『うん。今、空港についたの……会える?』
「それは、大丈夫だけど……」
答えながら、自分の素っ気無い言い方に少なからず後悔する。
(ジャスに言われたせいじゃないけれど……)
「小夜原さん――」
『なに? あ。ちょっ! ……』
電話の向こうの異変に貴水は慌てて、声をかける。
「小夜原さん? どう……」
聞こえてきた声に、愕然とする。
『お姫さまは預かったよ、センジュ』
「ジャス?」
『ノンノン! 私の名前は……流離〔さすらい〕の騎士とでも呼びたまえ』
誰が呼ぶか、と思いながら、貴水は訊いた。
「小夜原さんをどうするつもり?」
くっくっくっ、とそれはそれは嬉しそうな声が聞こえてきて、貴水は憮然となった。
『そうさな。エスコートさせてもらうよ……騎士とはそういうモノだしね』
そして、彼から受話器を奪い取ったのか、なつきの声が貴水に言った。
『千住くん、心配しないで。適当に相手して帰してもらうから――』
横から、ひどいなーというジャスの声が聞こえて、電話は切れた。
「 心配しないで――か 」
無理だな、と呟いて、貴水は今日の自主レッスンを諦めた。
ドイツには、古い城が数多く残っている。有名なのが、ロマンチック街道と呼ばれる場所に位置する「ノイシュヴァンシュタイン城」……ディズニーランドのお城のモデルになっていることでも知られている……白い古城だが、ほかにも大小あわせて2万以上点在している。
ドルツムジカ音楽院のある地域にも、いくつかあってその中でも比較的観光しやすい場所にあるのはひとつだけだった。
すこし前までは荒廃していたらしいその城は、こじんまりとしていて……何かの童話の「お城」として紹介されていたが、のんびりと詳しい説明を読むほど貴水はゆっくりしていられなかった。
ジャスが、なつきをどこにエスコートするつもりなのかは、想像するしかなかった。
ここ最近、やけに「お姫さま」だとか「騎士」という単語を連呼していたことを考えると、 ここ しか頭に浮かばなかった。
そして。
「塔」の上という、あの言葉――。
空気が乾燥しているものの、十分に熱い日中に貴水はうっすらと汗ばんで……塔の下、ようやく二人を発見した。
貴水がやってくるのを見つけて、なつきは驚いたとばかりに目を見開いた。
「 千住くん! 」
逆に、貴水を誘い出した張本人は飄々と彼女の横で笑っている。
『やあ、センジュ』
と、ワザとらしく手を振って、その手をそのままなつきの肩へと廻した。
引き寄せる。
「 ! 」
なつきの頬に朱が散って、キッと頬に軽くキスをしたジャスを睨んだ。
ふっ、と笑ったジャスが『まあ、疲れたら僕のところにおいでよ?』と誘うと、彼女の平手が飛んだ。
『じゃあ、騎士はこのへんで退散するよ。お姫さまは王子さまがいいらしいからね』
表情の読みにくい傷痕のある貴水の横を通り過ぎると、その剣呑な闇の瞳にジャスはひょいと肩を竦めてみせた。
『おお、怖い怖い』
『ジャス……彼女の耳元で何を言ったんだ?』
キスをする前に、表情を強張らせたなつきが貴水は気になった。
くっ、とジャスは口の端を持ち上げると、
『さあ。直接、彼女に訊いてみな? それと、忘れるなよ――』
青い瞳は、笑みをかたどったまま真剣に念を押した。
『 愛の言葉をな、王子さま 』
*** ***
ジャスが去ったあと、お城の塔の下で貴水はなつきの頬を親指で拭った。
「――大人よね。千住くんって」
むぅ、と唇をすぼめたなつきが不満げに、見上げた。
首をかしげて、貴水は「なんで?」と彼女を見下ろした。
「だって、すっごく平静だもの。あんなの見たら、わたし……絶対、普通になんかできないわ!」
ホラ、なんでわたしの方が興奮してるの?! と、なつきは真っ赤になって、貴水から顔を背けた。
「……平静ってワケでもないんだけど。ねえ? 小夜原さん」
「なによ?」
尖った声で訊きかえすと、なつきはチロリと貴水を見た。
「先刻〔さっき〕、ジャスに何を言われたの?」
その問いにビックリして、なつきはおだやかな貴水にどう答えたものかと思案する。
「……べつに、大したことじゃないよ?」
「そう?」
貴水は静かに自嘲して、なつきの顎を持ち上げた。
「……千住くん?」
戸惑うなつきの瞳は、揺れて化け物じみた彼の顔を映していた。
( 王子さまなんて、僕の柄じゃない )
むしろ、それならジャスの方がよっぽど「王子さま」に見合っているように思えた。
( 僕 に君を 束縛する 資格はあるんだろうか? 小夜原さん……僕は――)
「僕は『大人』なんかじゃない。『君が好きだよ』――この一言さえ、素直に言えない。大人ぶって、ただ……笑っていることしかできないんだから」
「それでも、いいよ」
と、なつきが言ってまっすぐに彼を受け入れた。
「 君が好きだよ 」
と、囁いて貴水は彼女の唇に自分のそれをそっと重ねた。
fin.
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