Moonlight Piano #番外-lines


〜小夜原なつき主視点「君に伸ばされた手を握った事で、初めて知った……涙にも、温度があったのだと言う事を」〜
■拍手ページから落ちてきました■
こちらの 「#番外-lines」 は、
「HPでセリフなお題」を使用した「Moonlight Piano」の
拍手用オマケ番外/加筆修正版です。
冒頭だけは貴水視点の、なつき主視点番外です(^^ゞ。
彼らの高校時代の初々しい話――#1「月光」の直前の文化祭の出来事。



 僕は。
 君に伸ばされた手を握った事で、初めて知った……涙にも、温度があったのだと言う事を。


「 千住くん! 」

 呼び止められた千住貴水は、ふり返り追いかけてきた小夜原なつきに瞠目した。
 てっきり引っぱたきに来たのだとばかり思っていた彼女は、すぐに それ を拭って「ごめんなさい」と謝罪する。
「千住くん?」
 急に腕を取られたなつきは、驚いて彼を仰ぎ、まだ少し潤んだ瞳を瞬〔しばた〕かせる。
 貴水は、自分が何をしたのか理解しないまま、彼女の指に残る温度を自分の指に移して確かに感じる。

「涙……」

 貴水がぼそりと言ったことに、なつきはよく聞こえなくて「え?」と問い返す。
 そして。
「 なんでもない 」
 と、貴水はまたもぼそりと呟くと、なつきから離れた。
「千住くん……」
「小夜原さん、君が気にしなくてもいいんだ」
 あんなことは――慣れている。
 だから。
 貴水の醜悪な傷を隠す白い包帯が、わずかになびいた。
 その表情は、やはり読むことができない。
「さよなら、小夜原さん。僕はもう帰るよ」
 背を向ける、華奢な長身になつきは「またね!」と立ち尽くしながらも、必死に言った。

 高校三年の、それは文化祭最終日。
 日がすっかりと落ちた……けれど、騒がしい夜の校庭での出来事。



〜 月の光 〜


 亀水〔きすい〕東高校の文化祭実行委員長・真田誠〔さなだ まこと〕から、直々に小夜原なつきへ打診があったのは、夏休みの最中だった。
 登校日の朝、早々ということもあり、彼女の返事は芳〔かんば〕しくなかった。

「後夜祭の?」

「そう、最後のパーティで流す音楽なんだけど……生演奏なんていいんじゃないかって話になってね」
 高校最後の文化祭だし、大変だとは思うけどお願いしたいんだと、彼は言った。
 同じ学校とは言え、普通科の彼と音楽科の彼女はあまり面識がなかった。
「……それって、わたし一人でってこと?」
 流石に、2時間以上弾き続けるのは体力的にも無理があるとなつきは難色を示す。
 真田委員長は慌てて、付け加えた。
「ああ、いや。そうじゃない……ほかにも、何人か声をかけるつもりではいるんだ」
「……そう。あの、じゃあそれ……わたしに任せてもらえない?」
 急になつきが乗り気になったので、真田委員長は目を瞬〔しばた〕かせた。
「もちろん、そうしてもらえると助かるけれど?」
 にっこりと笑った美しい少女は、嬉しそうに「よかった」と声を弾ませる。
 少し、興味をひかれて真田は訊いた。
「小夜原さん、いいツテでもあるんですか?」
 んー、となつきは天を仰いで、意味深に彼へと視線を流した。
 ドキリ、とするほど色っぽい目でここにはいない 誰か を見る。

「ツテっていうか、いい口上をもらえて感謝してるわ―― あなた にね」



 教室に戻って、なつきは夏休みの登校日のまばらな人影の中、いつものように席で静かに本を読んでいた千住貴水を呼びつけて、教室から連れ出した。
「千住くん、 暇 よね?」
 と、相変わらずの問答無用さに貴水は目をわずかに瞠〔みは〕った。
「どうして?」
 その疑問は、彼からすれば……こういう手合いの彼女の頼み事は大抵、どっかの大会に一緒に出場しろだとか、コンクールが近くあるから参加しろだとかの類だからなのだが、時期が時期だけにもうないだろうと踏んでいた。
「秋にある文化祭でね、ピアノの生演奏を頼まれちゃったの。それで、一人じゃ無理だから千住くんにも協力してほしいのよ」
「……あのさ、小夜原さん」
 貴水は困惑を隠さない眼差しで、嬉々と頼みこむなつきを見下ろして言った。
「なんで、そんなこと引き受けるの?」
 呆れたとばかりに。
「なんでって……ダメかしら?」
 なつきはワザとなのか本気なのか、小首を傾げて貴水を上目遣いで見た。
「ダメっていうか。君って、カザバナの推薦を受けるんだろう? そんな大切な時期に学校行事なんてしてる時間がもったいないよ」
 むっ、となつきは唇を尖らせた。
「千住くんにそんなこと言われるなんて、心外だわ」
 なつきさえも嫉妬するピアニストの才能を持ちえながら、本気で弾こうとしない彼には 一番 言われたくなかった。
「――ごめん。だけど」
 貴水がそれでも言い募ると、なつきは手を挙げて止めた。
「あのね、わたしが引き受けたんだから何て言われてもやるわ。もちろん、カザバナの推薦だって真剣に受けるし、練習だってするわよ。大変なのは分かってる。だけど、高校最後の文化祭だもの……やりたいの」
 まっすぐな彼女の眼差しが、貴水をしっかりと見据えた。
「だからね、千住くんに協力してもらえると とっても 助かるの」
 と。

「 ……わかったよ 」

 深いため息とともに、貴水は受けて包帯の下で(またか)と一人ごちた。


*** ***


 なつきのキッパリとしたお断りに、また一人背中を落として去っていった。
 文化祭が近くなったある日の昼休みに、友人である宍戸美代〔ししど みよ〕はそんな彼らの背中を何度となく見送って、「あーあ」と嘆いた。
「いいのー? 後夜祭の生演奏に協力してくれるなんて奇特だよ? まあ、下心がないとは言わないけどさー」
 長い黒髪に、整った目鼻立ちはピアノクラス・トップという肩書きとは別に、よく目立つ。その目立つ容貌のわりには、あまり告白をされないのは彼女の態度があまりにハッキリしているからだ。
「いいのよ。本当なら、わたしと千住くんだけでもなんとかなるんだから……美代がいて万全ってコトよ」
「そーおー?」
 半信半疑に美代は相槌を打つ。と、いうのも貴水の実力をそれほど買ってないからだ。
「そりゃ、下手だとは思わないけど……二台ピアノって大変よ? しかも、2時間以上となると精神的にも肉体的にもツライと思うけどなあ」
 美代の言葉に、なつきの唇がうっすらと弧を描いた。
「……大丈夫よ。心配しないで」
「なつきってさあ、そういうとこハッキリしてるよね?」
「どういう意味?」
 美代は肩をすくめて、笑った。
「脈があるか、脈がないか。認めてるか、認めてないか。どうして、なつきが を気に入ってるのかわたしには分からないけど」

「そのうち、分かるわよ」
 と、なつきは確信めいた微笑を浮かべて、それが近ければ近いほどいいんだけど……と異様な姿とは対照的に、存在感のまるでない教室での彼の背中を睨んでみせた。



 選曲は、最近の流行曲からノリのいいジャズ、ガーシュインなどのクラシックから適当にアレンジもくわえて織り交ぜた。
 後夜祭パーティも終盤に入って、生徒たちのボルテージも上がってきていた。
 だから、たぶんなつきにしかこの変化は分からなかっただろう。
 時々、ゾクッとする響きが彼のピアノから生まれた。
(もう、ちょっと……)
 と、なつきは自分もそんな余裕はないのに、疲労を感じながら夢中になる。
 本気で弾くよりも、手を抜いて弾くほうがはるかにツライ。力をセーブしながら、ちょうどいい加減で演奏をすること……慣れているとは言え、ほぼ2時間ぶっ通しではほころびも見えてくるというもの。
 あとは、おびき出すだけだとなつきは待った。
 彼をおびき出せるほどの演奏をすれば、きっと――。
「千住くん、最後の曲いける?」
「……うん」
 長い前髪と、白い包帯に隠された彼の表情は読めなかった。
 なつきもうっすらと汗をかいて、最後の曲に息を整える。
 そして、指をキーに添えた時、貴水に絡む声で邪魔された。
「千住、まさかソレで小夜原さんに似合ってると思ってるのか?」
 と、彼はなつきに体〔てい〕よく今回の演奏を断られた一人で、それなりに実力を持っているピアノクラスの生徒だった。
「ちょっと、塩田くん……」
 黙ったままの貴水に対し、なつきが彼へと不快感を示した。
 しかし、彼はなおも黙ったままの貴水に冷ややかに言った。
「小夜原さんのピアノとおまえのピアノじゃ、その 化け物 じみた外見と一緒で まったく 彼女に似合わないんだよ!」

「 塩田くん! 」

 一瞬、貴水の前髪から覗く闇の瞳に影が差したような気がした。
 なつきは、声を荒げて因縁をつけてきた彼の口を遮って、やはり黙ったままの貴水を気遣った。
「その通りだと、思うよ」
 と、貴水は認めた。
「千住くん……」
 目を細めた、彼の眼差しは澄んでキレイに笑う。
「小夜原さん、最後の曲は僕じゃなくても大丈夫だから」
 そう言って、椅子から立つと彼女に背中を向けた。
 華やかなパーティ会場の喧騒の中、去っていく彼になつきは胸が痛くなる。
「なつき、行っておいでよ。謝りたいんでしょ?」
 後ろに控えていた美代はやれやれと肩をすくめて、なつきを追いやり自分がピアノの前に座った。
「最後の一曲なら、弾いとくから」
「うん! ありがとっ」
 駆け出したなつきに美代は苦笑いして、隣のピアノに勝手に座っている男へと目配せした。
「ホント、ハッキリしてると思わない? 眼中にあるか、ないか。相手にしてるか、してないか」
 それが、恋愛感情であるのかどうかは、分からないけれど。
 ぶすったれた彼は弾く気配がないので、美代は一人で最後の曲を弾きはじめた。


*** ***


 ふり返った彼を見て、なつきは(そうなんだ)と気付いた。
 黒髪と――白い包帯がなびいて、その狭間から覗く闇の瞳に囚われる。

( わたしは、千住くんが好きなんだ )

 手を取られて、胸が高鳴った。
 そして。
 彼の言葉に、一気に冷える。

「 さよなら、小夜原さん。僕はもう帰るよ 」
 なんて、言われたら身動き一つできなくなる。
 この、小夜原なつきともあろう者が。

「またね!」

 貴水の向けた背中に、それだけを言うのが 精一杯 だった。



 その時は――。


fin.

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