ガチャン、と乱暴に電話を切ってから、小夜原なつきは「また、やっちゃった」と自己嫌悪する。
現在、ドイツのドルツムジカ音楽院に留学中の千住貴水からの国際電話だった。
あと一年で卒業の彼は忙しく、なかなか日本に戻ることは難しい。その彼からの「 日本に帰る 」という連絡は、素直に嬉しかった。
それは、たぶん――もうすぐ来る、なつきの誕生日を意識してのことにちがいないから。
無理をしてくれたのだろう、と思う。
分かっているのに、素直に喜べなかったのには ワケ がある。
(だって、戻って来られたら困るんだもの……仕方ないじゃない)
電話の前にあるカレンダーを眺めて、なつきは印のついた日付を確認すると、自分の部屋へと上がった。
〜 亡き王女のためのパヴァーヌ 〜
空港に着いて、貴水への電話を切ったあとジロリ、となつきは隣に立つジャス・フレミングを睨んだ。
「どういうことなの? いまの……わたしは 千住くんに 迷惑なんてかけたくないって言わなかった?」
だからこそ、今回の日本への帰国も止めた。
そして、不本意ではあったけれど貴水の学友であるジャスに協力してもらって、貴水の予定を聞き出しできるだけ邪魔にならない日程でドイツに来たのだ。
「コレじゃあ、意味ないじゃない」
電話の向こうの貴水の困惑が見てとれる。
なのに、なつきの苦悩などまったく解さない青年は手を差し伸べるとにっこりと笑った。
「まあまあ、いいじゃないか。大丈夫――言うほど、迷惑なんて思ってないよ。ヤツは」
「あなたのその自信はどこから、来るのかしら?」
羨ましい、と息をついて、なつきは仕方なく彼の案内に従った。
(今回、協力してもらったのは確かだし……)
「それにね、なつきさん。僕は 貴女のために 協力してるんですよ?」
男のために動くなんて、美意識に反するとジャスは力強く断言した。
「――どういう意味よ?」
ほとほと疲れて、なつきは訊いた。
(きっと、この人に深い意味なんてないんだわ……)
「彼はあなたに甘えすぎている、僕はそう思っています。だから――」
「だから、なによ? 千住くんは甘えたことなんてないわよ」
むしろ、もっと頼ってもらえたらと願うくらいだというのに……目の前のジャスは自信満々でチッチッチッと人差し指を立てて左右に揺らした。
「そういう貴女の好意に甘えている。彼はもっと知らなければ、貴女のことを」
青い瞳は見透かしたように微笑んで、軽く言った。
「そして、貴女はもっとワガママになるべきだ。なつきさん」
ビクッ、と怯えた彼女は強く彼を拒絶して、目をそらした。
心のうちを知られたようで、なつきは落ち着かなかった。
ジャスに案内されたのは、何かの童話で知られるこじんまりとしたお城で、少し前までは廃墟だったと聞いて納得するような古城だった。
塔の下に立っていると、乾いた風が心地よく肌を撫でて、なつきの長い髪を攫っていった。
貴水の姿を見つけた時、驚きながら身勝手な心は嬉しさに跳ね上がっていた。
(ダメ、喜んじゃいけないのに……)
どうして、こんなにも笑いたい気持ちになるんだろう……となつきは、自分が信じられなかった。
迷惑はかけたくない。
でも、本当はこんなふうに確かめたいのだ。
彼の気持ちを――。
『センジュは優しい。だからこそ、君は不安なんだ――そうだろう?』
ジャスに囁かれた言葉は、 確かに なつきの心を言い当てていた。
*** ***
ジャスが貴水を煽るためにした頬へのキス。
なつきに寄ると、貴水はさして動じることもなく彼女の頬に触れそこを拭った。
「――大人よね。千住くんって」
「なんで?」
と、彼は何も分かっていない顔でなつきを見下ろした。
ダメだ、と思うのに口から出るのは、彼を責める言葉ばかり――。
( 千住くんは、優しいから )
「 君が好きだよ 」
降ってくるその 彼 らしい口づけに、瞼を閉じる。
そして、貪欲に貪った。
だって、本当はもっと、もっと欲しいんだもの。
( ねえ? 千住くん )
「私の目を見て……もう一度、言って?」
ベッドの上のなつきの要望に、貴水はくすりと笑って「いいけど」と答える。
ひどく爛〔ただ〕れた皮膚は、その顔から肩、胸、背中までの広範囲を侵していて、裸で抱き合えば傷痕の凄惨さはじかに感じられた。
裸の腕にすがって、すぐそばに彼の澄んだ瞳があった。
重なり合う身体の触れるそこかしこから新たな熱が生まれて、指先の動きひとつで波が起こる。
「僕からも、ひとつ小夜原さんに頼みがあるんだけど……いい?」
波に身をゆだねて、次第に吐く息は熱くなる。
「なに?」
「今度からは、ジャスじゃなく 僕に 先に相談してよ。こういうの」
切実な声は、掠〔かす〕れて真剣に言った。
fin.
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