昼の三時を過ぎてからやってきた千住久一〔せんじゅ きゅういち〕は、予期せぬ救援があったせいか想像よりもはるかに荷物の片付いた甥夫婦の新居に踏みこんで、はっはあ! と可笑しくてたまらなかった。
「叔父さま、いらっしゃい……まだ、すこし片付いてないんですけど」
久一を出迎えたなつきは、不機嫌だった。
もちろん、久一をあからさまに厭〔いと〕うワケではなかったが……。
〜 ピアノ・ソナタ 第15番ハ長調K.545 〜
(なるほどねえ、原因は コレ か)
と、まだ少し煩雑とした……しかし、くつろげる程度に家具の配置が決まったダイニングホールに通されて、そこで見つけた顔に納得する。
「あ! 貴水くんの叔父さま。お久しぶりですー」
跳ねる声で手を振ってきた鈴柄愛は、ちょうどキッチンの中で食器類のひとつをどこに仕舞うか貴水に確認しているところだった。身重のなつきは極力動かないことを言い渡されているのか、手持ちぶさたに椅子に座ったり、窓につけられたカーテンを手にして肌触りを確認したりしていた。
これでは、どちらが夫婦なのか分からない。
「なつきさん」
「……叔父さま」
自分でも、どうしたら抑えられるのかと思案している表情でなつきは久一を仰いで、「すみません」と謝った。久一は苦笑して、「どうして謝るんだい?」と問う。
「だって、叔父さま……わたし、心が狭いんです。あんなの見てたら、ムカムカしてきちゃって! 叔父さまにも当たってしまいそう」
「仕方ないよ、なつきさん。むしろ、私は貴水を責めてやりたいね――お腹に子どものいる奥さんを不安にさせるなんて」
「貴水くんは……優しいから。叔父さまったら、ワザとですか?」
困ったように微笑んで、なつきはようやくいつもの調子で首をかしげた。
「いやいや、そうでもないよ。実際……私は全面的になつきさんの味方だからね? 貴水のヤツときたら、不甲斐ないったらないじゃないか」
「叔父さまったら」
くすくすと笑って、なつきは思案げにお腹を押さえた。
「どうしたんだい? 動いた?」
「いいえ、まだ……。でも、時々蹴られているような、そんな気がするんです」
「もうそんな時期か、早いものだな」
「叔父さま――」
感慨深そうに目を細める久一をなつきは見つめ、「本当に わたしの 味方、ですか?」と真剣に訊いた。
*** ***
キョロキョロ、と 誰か を探す愛に、ダイニングのソファーに座るくつろいだ久一が苦笑いをした。
「叔父さま、貴水くん見ませんでした?」
「ああ。ヤツならピアノの調律をしに……と、お待ちなさい」
「なんですか?」
早速、リビングの方へと足を動かした彼女を止める。
「野暮なことはしなさんな。分かっているだろうに――」
「イヤなヒトですね」
愛は唇を曲げ……不承不承、彼の言葉に従った。向かいのソファーに座って、頬杖をつく。彼女からしても、二人の邪魔をしている自覚はある……事実、昼近くに一回、引っ越しセンターのスタッフをけしかけて 二人きり のところを割って入ったのだから 十分 だろう。
これ以上は、嫌がらせになってしまう。
「あーあ。やっぱり 小夜さん なんだよなあ、貴水くんは」
ちぇー、と唇を尖らせながら、本当にはそれほど悔しがっていなかった。彼女にも望みがないことくらいは、とうの昔に分かっている。
ただ、それでも 憧れる くらいは自由だろう。
「彼はウソがつけない男なんだよ」
久一が諭すように言うのを愛は聞いて、(でも、そこがまたイイんだよねー)と複雑に相槌をうった。
fin.
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