「……あのおばけみたいな?」
と。
つい口に出たのか、相手は千住久一〔せんじゅ きゅういち〕の顔に気付くと、言葉を濁した。
しかし、そう表現されてしまうのもあい仕方ないと唯一の肉親である久一は思う。
あいつは身体のほとんどを包帯で巻いて――その下にある醜く爛〔ただ〕れた皮膚を隠している。しかもである。
そんな目立つ一種異様な姿かたちをしているにも関わらず、存在感は希薄でまるで人間界を拒絶するかのようだった。
もともとが亡き父親似の整った顔の持ち主だし、人懐っこかった過去を思い出すと、久一の知らない「何か」が学校であったのだろうと思わせた。
もちろん、父親の死と母親の拒絶に精神的に参ったのは確かだろうが。
それだけではない……と、感じていた。
貴水〔たかみ〕は中学三年の高校進学を控えていた。
〜 キラキラ星変奏曲 〜
夏の初め、放課後の教室であった三者面談でよくある進路についての相談に呼ばれた久一は、貴水の公立進学を担任の男の先生から告げられて(やはりな……)と思う反面、どうしようもない危機感を覚えた。
夜、聞こえてくるピアノの音色はさらに深みを帯び、噴出する高温の蒸気のようにほとばしっているのに。
(いや、もちろん……こいつの気持ちを尊重するつもりだが)
もったいない。
いやいや、コレは何も音楽プロダクションの社長をしているからってワケではない。純粋な、感想だ。
盗み見た、包帯を巻いた物静かな甥の横顔からは感情らしい感情を得ることはできなかった。
無理をしているのではないか。
そう思うのだが、逆にあの事件のことを考えるとまったく違う分野に進んだ方が幸せなのではないか? とも思う。
「千住くんの成績なら大丈夫でしょう……休みの間に油断をしなければ、合格圏内だと思いますよ」
と、彼は柔らかに請け負った。
何事にも慎重で真面目な貴水は、成績も安定していて教師からすれば姿かたちはどうあれ扱いやすい生徒らしかった。「はい」と素直に頷く貴水に、「ランクの高い高校に進めば、程度の低いイジメもないでしょうしね」と苦く告げる。
「そうですか」
久一は息をついた。
小学校に転入した時、それに中学に進学した時と貴水は目立つ外見から同級生から激しい中傷を受け、机や鞄に落書きされたりモノを隠されたり、時には暴力にもあっていた。が、時が経てばいつしか沈静化した。
それは、貴水があまりに何も言わず、淡々としていたからだろう。
やっても反応が薄くては、彼らとて面白くもなんともない。
それに。
同級生たちだって成長する……見るからに異端な彼を完全に受け入れることはできなくても、端から拒絶することは流石〔さすが〕に躊躇〔ためら〕われたのかもしれなかった。
「そうかな?」
くすり、と小さく笑って、貴水は二人の大人に冷静に呟いた。
「ランクの上下なんて関係ないですよ……でも、それは仕方ないことだから……僕は、いいと思ってるんです」
自分のような人間を拒絶するのは、当たり前のことだと貴水は言った。
だから、どこに行っても同じ事なのだと。
そのまま、消えてなくなりそうな存在感にゾッとする。
「どこに行っても同じか。だったら、私にも考えがある」
絶句していた担任に向き直り、久一は伝えた。
「先生、亀水〔きすい〕東高校ってありましたよね?」
「え? ええ。でも、あそこだと少しランクが下がりますよ?」
と、戸惑う口調で訝〔いぶか〕った。
「心配はご無用です、先生。この子が受けるのは、普通科ではなく音楽科のピアノクラスですから」
「叔父さん?」
ぎょっ、とした貴水に久一はニッカリと笑って、有無を言わせずに立ち上がった。
「どこに行っても同じなのだろう? だったら、私は得になる方を選ぶ」
日の長くなった夏の日の校庭を面談を終えた二人が歩いていた。
夕刻だというのに、まだまだ明るいグラウンドを部活動にいそしむ生徒たちが駆け回っていた。
傾いている太陽に手のひらをかざして、片目をすがめた久一は隣を歩く貴水を見てイヤそうに顔をしかめた。
「おまえ、暑くないのか」
包帯だらけのその姿は見るからに、暑苦しい。
「叔父さん、僕は――」
「ごめん……」
すまないという気持ちはあったが、久一は引き下がるつもりもなかった。良くも悪くも貴水が感情を表すのはピアノに関わった時だけだから。
「これは、私のワガママだよ。私は、兄さんが死んだ時のような気持ちを二度としたくない。だから、貴水?」
ぐい、と甥の頭を太陽をかざしていた手のひらで引き寄せ、ガシガシと撫でる。
「 生きていて 」
口にすると、泣きそうなフレーズだ。
それほど感傷的な人間ではないつもりだが、生きていても……今のままの貴水では幽霊みたいなモノだ。
生き方を知らない。
いつか、兄のように死を選んでしまいかねない危うい存在。
「生きてるよ? 僕は」
心外そうな甥の言葉に、「そういう意味じゃないよ」と久一は彼の首に腕をかけてヘッドロックを試みた。
*** ***
頑なな甥の心を溶かす相手が現れることを、願っていた。
最初、「 彼女 」の名前を彼の口から聞いた時は、まだそうとは考えていなかった。
高校時代、貴水の話の間に上がる「小夜原さん」という名前は頻繁ではなかったが、のぼればすぐに言葉を濁してしまうので久一の中では興味深い相手だった。
(さては、片思いでもしてるのか?)
とも、実は不憫に思っていた。好かれるには、貴水の外見はあまりに不利だ。
しかし。
そうではないのだと知ったのは、貴水が風花音楽大学を受けると連絡してきた時である。
「カザバナ? あの名門の?」
プロになることを拒絶している貴水が、そんな名門に受験することを意外に思った。
『うん。まあ、成り行きっていうか……小夜原さんに脅されたっていうか』
おいおい。
久一は電話口で呆れて、確信した。
「まさか……おまえ、知られてるのか? 彼女に」
『たまたま、ね』
観念したのか、ぼそりと呟く。
「 なるほど 」
と、相槌をうって「それはいい!」とケラケラと笑ってやった。
「――叔父さま?」
小首を傾げて、心配そうに仰いでくる小夜原なつきに一瞬、過去を思い出していた久一はハッとした。
風花音楽大学一年目の今現在、猛アタック中だという彼女の相談に乗ったりするのは生真面目な甥には内緒の機密事項だったりするが……にしても、驚いた。
「あいつが、君と?」
なつきによると、親睦会のあった夜に強引に関係を結んだらしい。
「男の人ってどうなんですか? そういう女ってやらしい? 萎えちゃったりしますか?」
(いやいや、なかなかどうして……)
久一からすれば、彼女の要求に応えた時点で男は落ちていると考えるのが妥当だろう。
その「 男 」が貴水なら、なおさら。
(あいつは、中途半端な気持ちでどうこうするタイプじゃないからな――)
相当好きなんじゃなかろうか。
とは言え。
口にするには、少し時間がかかるだろうな。
「大丈夫。貴水の場合、多少強引なくらいでちょうどいい……君が相手なら文句もないだろうからね? なつきさん」
「……そうでしょうか」
強気な彼女も、こと甥の気持ちに関しては不安らしい。
やれやれ、と久一は肩をすくめて……ふと、気になることを投げてみた。
「避妊は? ちゃんとやったかい?」
強引にそういう関係になったとなると、やはり問題なのは準備のことだった。貴水のことだから、部屋にそういうモノを持ち合わせているのかどうか疑わしい。
「やだ! 叔父さま!!」
バシッ、と背中を叩いて頬を愛らしく染めた彼女は、盛大に照れたあと「しましたよ」と肯定する。
「わたしが持っていましたから」
なんとまあ、豪儀な。
くすくすと笑って、久一は「そうか」と頷き、今度からちゃんと用意しておくように伝えておこうと心に決めた。
fin.
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