1月1日、午前0時50分すぎ。
春日唯子〔かすが ゆいこ〕が三崎純也〔みさき じゅんや〕のマンションを出た頃、すでに年は明けてしまっていた。
神社の境内ではなく、温かいベッドの中で「おめでとう」を言って「今年もよろしく」の挨拶をしたのは 予定外 ではあったけれど……幸せだったから、いいかと上機嫌で考える。
頬が自然にほころんで、冷たくさす外気に心地よささえ感じてふり返る。
「せんぱーい、はやくはやく」
後ろからやってくる彼は、そんな晴着姿の彼女を手招きしてダークブラウンのコートの前を広げた。
『 こっちにおいで 』
という、彼の合図だ。
〜 除夜の鐘5 〜
吐く息は白い。けれど、この大好きな人の腕の中にいれば 寒い なんて、まるで思わなかった。
足の底から冷えこむ冬の夜。心の中は いつだって ポカポカ陽気の常春だ。
「寒くない?」
純也が訊いて、唯子は「平気」と微笑む。
「ずいぶん、遅くなっちゃったな。残念だけど初詣は早めに切り上げて、家まで送るから」
「先輩、心配のしすぎですよ」
ほんの少し、不満顔で見上げると彼は苦笑いした。
「心配性にもなるよ」と困ったように口にする。
「唯子のご両親に嫌われるワケにはいかないし」
「……どうせ、真〔しん〕が変なこと言ったんでしょ。先輩が嫌われるワケないのに」
ぶつぶつ、と弟に対して愚痴をこぼす彼女を純也は「まあまあ」と宥〔なだ〕めて、心中では(あながち 的外れ な忠告でもないし)と姉思いの弟に同情した。報われない、のもいかがなものか。
「形だけでも 節度 をわきまえた フリ くらいはしないとね」
「 え? 」
新年の闇を仰いだ彼が呟いた言葉を聞き逃して、天使を思わせるふわりとした笑顔で唯子が首を傾ける。
ふわふわとした栗色の髪と、淡く色づく小さな唇。ほの明るく浮かぶ、透けるような白い肌。
茶色くてまあるい瞳が、闇の中でも無邪気にキラキラと輝いている。
彼女の両親……特に 父親 が過保護になるのも、頷けるというモノだ。
彼女の腰を抱いて純也は笑い、「ひとりごと、だよ」と触れるだけの ちょっぴり物足りない キスをした。
*** ***
年が明けて、おおよそ3時間後。
家の玄関の呼び鈴を鳴らすと、最初にやってきたのは母親だった。
「ただいま。お母さん、あけましておめでとうございます」
「あらあら」と振袖姿の娘の帰宅に可笑しそうに目を細めて、彼女は「おめでとう」とチラリと隣の彼に目をやると、意味深に唯子の耳元に唇を寄せて呟いた。
「もっと、遅くなるかと思ったわ。お父さん、すっごくヤキモキしてたから……よかったけど」
「……そうなの?」
目を瞬いて、唯子は不思議に思った。
どうして、父親がヤキモキするのかわからない。
娘のそんなあどけない表情に、母親は苦笑して困ったように傍らに立つ三崎純也に頭を下げる。
「三崎さん、娘を送ってくださったんですね。ありがとうございます」
「いえ――夜分遅くまで連れまわしてしまったのは、こちらですから。申し訳ありません」
礼儀正しく、ぺこりと頭を下げた純也は「今年もよろしくお願いします」と続けて……玄関にやってきた気配に佇まいを新たにする。
「こんばんは。夜分遅くに失礼しています」
「娘が世話になっているそうで……君が、娘と付き合っているという先輩か?」
ゆっくりと奥から玄関にやってきた父親は、頭を下げ、しかし表情はニコリともしないで訊いた。
純也は唇を引き結んで、頷く。
「はい。お付き合いさせていただいてます……帝都浦川高校三年の三崎純也と申します」
「そうか――」
しばらく、真意を探るように純也を眺めていた父親だったが、目をそらさない彼にとりあえずは納得して「よろしく頼みます」と低く言った。
そうして、
「娘とは 学生らしい 健全な 付き合い をしていただきたい」
と、釘をさすことも忘れない。
「 心掛けます 」
内心、苦笑いするしかない答えだが、仕方ないと純也は表面的には真摯に頷いた。
「もう! お父さんっ」
頬を染めた唯子が照れて、「なに、言ってるのよ!」と父親を制する。
「先輩に変なこと、言わないで」
「変なこととはナンだ、おまえを大切にしてくれと頼んでいるだけだろう?」
父親として当然、と胸を張る彼に、娘はムゥと頬を膨らませてみせる。
「そんなこと頼まなくても、先輩は 十分 優しいから大丈夫だもん。先輩、気にしないでくださいねっ」
「唯子、僕はいいから」
「よくないですっ!」
宥めようとする彼をキッと睨んで、袖を取り「全然よくないもん」と俯いた。
「お父さんが 失礼 なんだもん、先輩は全然……そんなんじゃ、ないのに」
うるうる、となった唯子の大きな目に、指を添え純也は涙をすくうと「ありがとう」と呟いて、憮然となっている彼女の父親と目を丸くして眺めている母親に頭を下げた。
「すみません、娘さんをあと少しお借りしてよろしいでしょうか」
ムッ、と渋面になった父親に代わって、母親がにっこりと許諾した。
「ええ、どうぞ」
「ありがとうございます――唯子、門のところまで送ってくれる?」
「 うん 」
コクン、と頷いて唯子は手を引かれるままに玄関を出ると、純也が「お邪魔しました」と扉を閉めた。
玄関から門まで、なんて――すぐそこだった。
「せ、せんぱい」
「ん? 落ち着いた?」
って訊いてくるから、唯子はふるふると首を振った。
落ち着けるワケがない。
「先輩は……いいんですか。健全な付き合いって、わたしは イヤ です」
ギュッ、と握った手に不満をこめる唯子に純也はくすくすと笑った。
「ものはとらえようだよ。唯子と僕は恋人同士なんだし……好き合っていたら、しないほうが 不健全 なことも ある と思わない?」
なんて、ちょっとご都合主義かな? と思いつつ、純也は唯子の頬を手で包んだ。
ふわり、と泣いた瞳で笑った天使は、嬉しそうに訊いた。
「キス、とか?」
「セックスとかね」
戯れに唇を重ねた彼に抱きついて、唯子は「うん」と深い口付けを強請〔ねだ〕るように目を閉じた。
>>>おわり。
除夜の鐘4<・・・ 5(完)
|