12月31日、午後6時48分ちょうど。
「ねえねえ、きみきみ」と声をかけられて、春日唯子〔かすが ゆいこ〕はふり返った。
ふわふわっとした栗色の髪を結い上げて、少しだけ垂れさせた髪型。薄いピンクの小さな花を集めた髪飾り。
いつもはあまり念入りにしないけれど、淡いピンクの口紅とグロスを塗った唇にうっすらとのせた頬紅が、より一層、彼女を愛らしく華やかに彩っていた。
もともとが「美少女」と名高いだけに、着飾れば周囲の視線を独占するなど容易い。というか、本人があまりその 事実 に気づいていないから 大変 だった。
(なんだろう? 今日はやけに声をかけられる……やっぱり、この 格好 が目立つのかな?)
と、ある意味ではもちろん 当たって いるのだが、やはり 的外れ なことを考えて唯子は首をかしげた。
花のあしらわれた華やかな振袖姿は、さすがに大晦日の駅前の人ごみでも目をひくかもしれないが……それよりも、そんな彼女が 一人 で待っているというのが周囲の男からすれば気になって仕方ない存在なのだ。
しかもである。相手の男はなかなか現れない。
その間に、何人かが彼女に声をかけては、アッサリと断られるという茶番を演じていた。
〜 除夜の鐘1 〜
さて。
今回の彼は……というと、断っても断っても食い下がってくるから、唯子も途中から コレ が ナンパ なのだとようやく気づき始めていた。
(この人、しつこい。せんぱーい、どうしたらいいんですかっ?!)
「あ、あの……だから、わたし、 彼 を待っているんですっ」
「暇じゃありません!」と唯子は必死に、睨みつける。
が、相手はヘラヘラとした気味の悪い笑みを浮かべたまま、引き下がらない。どころか、彼女の了承も得ずに手首を掴んだからゾッとする。
「は、離してくださいっ」
「そんな顔しないでさー、君みたいな可愛い娘を待たせるなんてロクな男じゃないって」
カチン!
と、きてムッと唯子は唇をすぼめた。
「 何も 知らない人に、そんなこと 勝手に 言われるなんて 不愉快 ですっ!」
離して、と唯子はさらにきつく言ったが、彼女の手を取る男の力はゆるまない。
「いいから、いいから」
「よくないですっ!」
唯子の怒りなどどこ吹く風とばかりに、男はぐいぐいと彼女の腕を引っ張って駅から連れ出そうとする。
( せ、せんぱい…… ピンチ です! )
「離して」と涙目になって訴えても、相手は嬉しそうにするばかりだ。
が。
しばらくして彼は(あれ?)と、思う。
男の力に対して、彼女が少しも動いていないという 事実 に気づいたからだ。
「 唯子 」
「せ、先輩っ」
助かった、とばかりに唯子は相手の腕を振り払い、人ごみを割ってやってきた三崎純也〔みさき じゅんや〕に抱きついた。
*** ***
12月31日、午後7時前。
「よくないですっ!」
予備校からすぐに、彼女との約束の駅に戻ってきた三崎純也は、駅の人だかりから聞こえた声に(やっぱり……)と思った。
彼女である 春日唯子 と付き合うようになってから、じつはこういう場面はめずらしいことではなく……むしろ、日常茶飯事と言ってもいい出来事だった。特に、こういった人の集まる場所で待ち合わせをすると、十中八九彼女は連れ去られそうになっていたり、絡まれていたり、一番まともなタイプで口説かれいたりと気が気ではない。
今日も今日とて、本当は 待ち合わせ にする予定ではなかった。
けれど。
初詣をする神社が、純也の住むマンションの近くにある神社であることや、その日は純也に予備校があるということもあり、唯子は断固として譲らなかった。
『ダメですっ! そんなことしたら、会ってる時間が ずっと 減ってしまうじゃないですか!!』
ブゥ、と頬をふくらませた彼女は、上目遣いで純也を一喝すると、ちょっと恥ずかしそうに『いいんですか?』と訊いてきた。
何を、と言うと、もちろんアレだ。
純也が唯子の家に迎えに行って、それから純也のマンションに行けば到着時間は当然だが、駅で待ち合わせるより遅くなる。
そうすれば、当然の帰結として 二人きり でいる時間も短くなってしまう。
『わたしは イヤ です』
と、ハッキリと口にする彼女が愛しくて、それ以上純也は反対することができなかった。
受験生で見た目柔和な彼とて、男。据え膳をわざわざいただかないほどの 甲斐性ナシ ではない。
『先輩、わたし、着物着てきますから……大丈夫です。これでも、着付けできるんですよ?』
(……これでも、急いで戻ってきたんだけどな。遅かったか)
と、純也は後悔をして人だかりを「通してください」と掻き分けた。
「 唯子 」
「せ、先輩っ」
強引な男の手を振り払い、着物姿の彼女は潤んだ瞳を純也に向けてパタパタと駆けてくる。
「ごめん、遅くなった」
謝ると、抱きついてきた彼女はブンブンと首を振った。ふわふわとした髪が鼻先をくすぐって、
「平気です」
にっこりと顔を上げた唯子に、純也は微笑む。
「そ。よかった」
と。
ほんわかムードの二人だったが、ただ一人空気を読まない「KY(←2007年「流行語」にノミネートされたので使ってみました)」な人がいた。
「よかーないね! おにーさん」
唯子を連れ去ろうとしていた男は、純也の肩を掴んで不穏な笑みで「可愛い彼女、ちょいと俺に譲ってよ?」と迫った。
絵筆しか持ったことのない純也はもちろん 喧嘩 が得意なワケではない……そう、得意なワケではないが。だが、しかし。
「――あの、さ。唯子」
「はい、先輩」
ふり返った唯子は、無邪気に答えて後方に投げ飛ばした男には目もくれない。
(僕も男だし、唯子を守るくらいしたいんだけど……な)
本音を言えば、それくらいのことは思う。
けれど。
幼少の頃から柔道・合気道と護身術を身につけている唯子に、純也の出る幕はあまりない。というか、どちらかと言うと守られているのではなかろうか?
彼女の弟である、春日真〔かすが しん〕の話では唯子は昔から 人攫い といった物騒な 人種 に遭遇しやすかったがために 父親が 心配して慌てて道場に通わせ始めたのだそうで……現在では、黒帯持ちの有段者。おおよそ、武道の心得がない男では相手にならない、らしい。
師範代からの教えで、あまり誇示することはないのだが――。
「先輩?」
純也が黙りこんだので、心配そうに唯子が覗きこむ。
(まあ……唯子が無事なら、いいんだけどさ)
男の沽券〔プライド〕なんて、大したモノではないのだから。
なんでもないよ、と首を振ると、彼女は「ホント?」と花がほころぶように笑った。
>>>つづきます。
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