「陽だまりLover」二人の、帰途。
「せんぱーい」と唯子はニコニコ顔で純也を見上げた。
「なに?」
校門を抜ける、ちょうどその頃。
後方には、二年の生徒会長とその彼女、そして会長の友人である書記が少し離れたところを歩いている。あと一つのカップルはまだ帰宅の準備をしている途中なのか、姿は見えない。
「純也先輩はナンの話をしてたんですか?」
「ん? んー、大したことじゃないんだけど……世間話っていうか」
どう答えたらいいか悩んで、当たり障りなく微笑むしかない。
そんな純也に、おっとりと「そうなんですかあ」と陽だまりのようにふわりと笑って、唯子は頬を染める。
「唯子、どうかした?」
「あの、ですね。先輩を待っている間、正美と二年の先輩たちと話してたんです。卒業式に仮装大会があるって言うから」
「ああ」
確かに、帝都浦川高校にはそういう伝統がある。もちろん、有志の試みだから強制ではない。
「……僕に何か、着てほしいの?」
「 はいっ 」
(よく、解かりましたね!)とばかりに唯子は元気に返事をしたから、純也は(そりゃあね)と笑うしかない。
(そんな、期待にキラキラした目で見られたら……知らないフリなんてできないし、断れない)
「 タキシード! 」
「はいはい」
「それに、……ウサ耳!!」
「は……なにそれ?」
困惑顔の純也に、唯子は「似合うと思うんです」と嬉しそうに足を弾ませる。
「先輩の時計ウサギ」
「アリスの?」
「はい。ダメですか?」
ふわふわと彼女のやわらかな髪がなびいて、振り仰ぐ愛らしい茶色の瞳。
「ダメじゃないけど……」
にこり、と純也は微笑んで、去年の文化祭を思い出した。
(そういえば、唯子のクラスは喫茶店だったな)
ウェートレスの格好は、どことなくあの 少女 に似ている。
「当然、アリスは 唯子 だよね?」
キュッ、と握っている手を引いて、純也は首を傾げ……おだやかな風のようにフワリと誘った。
「背徳の姫君・番外」二人の、帰途。
下駄箱で上履きを下履きに履き替えて、広之は準備の遅い志穂を待った。ちなみに、歩くのも 彼女は 人並より遅い。
「ごめんなさい」
と、懸命に早く支度をしてやってきた彼女は広之に謝った。
手を握ると俯いて、ゆっくりと歩き出す。もう、視界にほかの人影は見えない。
「何の話してたの?」
「え?」
広之の問いに、ビックリして顔を上げる。
「俺を待ってる間」
「あの、えっと……べつに、何も。春日さんの付き合ってる先輩がもうすぐ卒業だから、寂しがってて、その相談とか……祥子ちゃんがイロイロ、アドバイスしてたかな?」
「ふーん」
「あ、それでね。春日さん、三崎先輩に「時計ウサギ」の仮装してもらうってすっごく張り切ってた。なんか男の人にウサギって嫌がられそうだけど」
ふふ、と志穂は笑って、「でも、あの先輩なら似合いそうだね」とめずらしく自分の意見を口にする。
「そうだな――じゃあ、志穂は赤ずきん?」
「え?」
「俺たちも来年は卒業だし、何かやっとく?」
志穂は頬を染めて赤くなり、コクンと頷く。心持ち(何故か)嬉しそうだ。
「鳴海くんは?」
何に仮装するの? と暗に訊く。
「何が、いい? 赤ずきん」
ニヤリ、と笑ってうかがうと、志穂は少し考えて「猟師さんがいい」と小さく答えた。
「――オオカミじゃなくて?」
その答えが、少し意外だった。
「鳴海くんはオオカミじゃないもん。助けてくれる猟師さんのほうが ずっと 似合うよ」
「……なるほどね」
ふっ、と息を吐いて広之は(そこまで信頼されるのも、どうかと思うけど)と自嘲した。志穂にはイロイロ強引な行為〔コト〕にも及んでいるのだが……元来のイメージが、彼女にとって まだ 根強いらしい。
「じゃ、赤ずきん。来年の卒業式は 期待 してるから」
「……う、うん?」
よくわからないながら、志穂は律儀に頷いた。そんな彼女の真っ赤になって、狼狽〔うろた〕える、潤んだ表情〔かお〕を広之は脳裏に浮かべて涼しげに顔を近づける。
「 下着は 猟師 の喜ぶ色っぽい モノ にしろよ? 」
と、優等生の眼差しを艶っぽく細めて、囁いた。
「背徳の姫君」三人の、帰途。
目の前を歩く陽だまりのようなカップルを見つめて、「へぇ」と真希が相槌を打った。
「卒業式が楽しみですね」
あの先輩ならウサ耳にタキシードも難なく着こなしそうだ、と清乃に笑いかける。と、清乃はくすくすとおかしそうに答えた。
「名越くんも十分似合いそうだと思って」
「そ、そうですか?」
と、頬を染めて頭を掻く。
「ええ、王子さまの格好もピッタリはまりそうよね」
清乃の清純な黒の眼差しに見つめられ、そんなことを言われては……真希は有頂天になった。いつもできるだけ動じないように、彼女の前では冷静沈着であろうと努めているのに格好悪いなと思いながら、口は勝手に動くのだ。
彼女は きっと こんな男は好きにならない。
そう、切なく思う。
「汐宮さんは白衣の天使とか似合いそうですよ!」
声が裏返らなかったことだけが 救い だろうか? と、情けない心の内を隠して笑う。
(やはり、耀〔アイツ〕のようにはいかない――)
彼女は少し目を瞠って、小首をかしげた。
短くなった黒髪がサラリと落ちる。
「ナイチンゲールとか?」
「そう。あとは「かぐや姫」とかね」
人の世とは隔絶した存在、月の住人である日本の昔話にある気高い姫を思い描いて、まさに清乃だと真希はため息をつく。
「ホント、そんな感じ」
「名越くん」
紅を引いたような唇が弧を描いて、彼の名前を呼んだ。
ドキリ、とするような澄んだ声だ。
「 かいかぶりよ 」
と、清乃は笑って「わたしは 天使 でも お姫さま でもないもの」ととてもそうは見えない儚いほどの美しさで否定した。
(確かにな)と耀は肩をすくめた。
真希と清乃は電車通学だが、彼の家は高校から(バイクで通えば)ほど近かった。
踏み切りを通り抜けて歩き、隣にいる彼女に言った。
「タチが悪い」
白衣の天使とか月のお姫さまとか、そういう清らかな存在ではないだろう。ある意味、意地の悪さでは月のお姫さまといい勝負か?
「貴方、ほどではないわ」
清乃は答えて、彼の手に指を絡めてくる。
ゾッ、として。
けれど、振り払うには 少し 足らなかった。
(なんてこった……)
「――天使、というより 吸血鬼 に近いな」
と、耀は手を繋いだままぼやいた。
「じゃあ、貴方はオオカミ男ね」
「はっ、化け物同士って言いたいのか。今更だな」
面白くもない冗談だ、と笑う気にもならない。
「そうね。でも、一番の理由は――わたしの 願望 よ」
その眼差しが寒気がするほど妖艶だったから、耀は舌打ちする。彼女の意図は訊かなくても解かった。
同類、だから。
気は進まないが、断る 理由 もない。
「 手、くらい繋いでやれよ 」
オオカミみたいな獰猛なキスのあと、首に腕を絡める彼女の耳に囁くと「心外ね」と清乃は耀の首筋に歯を立てた。