新学期――。
体育館に繋がる渡り廊下で、春日唯子は三崎純也を恨みがましく睨んだ。
「ひどーい! もう、出品しちゃったんですかっ」
完成したら一番に唯子に見せるといっていた作品を、純也が早々に出品してしまったと言うのだ。
彼が約束してくれたから、極力作品には背を向けていた彼女の努力は無残にもうち捨てられてしまった。
「こんなことなら、見とけばよかったー! 先輩の嘘つきー」
涙目で訴える唯子に、純也はポリポリと頭を掻く。
「うん、ごめん」
「ごめん、じゃなーい!」
ポカポカ、と純也の胸を叩き睨み上げる。彼女の涙目を彼の指が拭って、くすりと微笑む。
「僕の絵よりも、生身の君のほうがずっといい」
〜 10.躊躇いの日々に手を振って 〜
せ、先輩……と頬を染めて固まる唯子に、「おいおーい」という物怖じをしない声が飛んだ。
「公衆の渡り廊下で ナニ をやっとるか……こんの 高校生バカップル め」
金原柚月〔かねはら ゆづき〕が呆れたように近づいてくる。
「ナニって?」
「なんかやった?」
と、唯子と純也が顔を見合わせたものだから、さらに柚月は渋面になった。
二人の周囲で人だかりになっているギャラリーのみなさんに目をやって、はーと息をつく。
髪を伸ばしたまま、手入れをしていない頭をかきむしると、「始業式はじまるぞー」といまだに首をかしげている二人をせっつく。
「ホラホラ、通行人の邪魔だから。動け、二人とも」
柚月が二人を先導して歩き、それについて行きながら唯子は純也の腕にしがみついた。
「で、純也先輩。それ、いつ見れるんですか?」
「うーん、さあ……?」
ハッキリしない純也に、唯子は「もう!」とむくれる。
と、その時。
前を歩いていた柚月がニヤリ、と笑って顔だけを後ろに回した。
「まあまあ、唯子ちゃん。純也のヤツの 気持ち も察してやってよ」
「柚月」
先輩が牽制するように友人である柚月を睨むけれど、当の彼はそ知らぬふうに唯子へ視線を落としてニッコリと笑った。
「気持ち、ですか?」
「つまりさ。俺たち絵描きとしては、モデルを頼むってのはよっぽど気に入らなきゃしないワケよ。向こうから志願してくるのと、こっちから頼むのとじゃ雲泥の差がある……それだけ、力も入るワケだけど」
ふんふん、と一生懸命理解しようと唯子は聞き入った。
「しかも、コイツの場合 相手 が 君 なワケじゃない? 見せるにはちょっと勇気がいるだろうね」
よくよく考えたが、唯子にはわからなかった。
「……金原先輩。 全然 わかりません」
助けてください、と懇願すると、彼はおかしくてたまらないと喉を鳴らして声をひそめる。
ちょうど、体育館に着いたからだろうか?
「つまりさ」と純也を暗に目線で指し示す。
「 絵描き が好きな人の絵を描くって、ある意味 ラブレター だと思わない?」
って。
「そうなんですか?」
唯子は顔を上げて純也を見つめ首をかしげた。
先輩の頬が赤い……ような気がする。
いくら柚月が声をひそめたとしても、すぐそばにいる彼には聞こえたに違いない。
ふたたび、腕にしがみつく。
「ねえ、先輩」
「そう、かもね」
覗き込むと……さらに、ちょっと照れてる?
「先輩、わたし絶対! 観に行きます。観に行きますよ!!」
ピョンピョンと跳ねて嬉々と訴えると、純也が仕方ないなあというふうに肩をすくめた。
「はいはい」
まだちょっと難色みたい。
でも、あともう一押し……。
「唯子ー!」
バシン、と背中を叩かれてふり返ると、紺野正美が立っていた。
「一年の集合場所はアッチだって! 早くしないと、点呼始まるよっ」
「はぁい!」
そんなこと、わかってるもん! と唯子は思った。
が。
言うが早いか、正美は唯子の腕を掴んで、純也と柚月に頭を下げると彼女を連れ去った。
「ま、正美ーいーやぁぁあっ!」
「情けない声出さないの!」
唯子が恨みがましく叫ぶと、彼女はピシャリと言い放った。
「だ、だって。わたし、先輩に重要な 話 がまだ……」
「そんなの始業式のあとでもできるでしょ。今は、とりあえず笑って手でも振ってなさい!」
ひどーい、と嘆きながら、唯子は 素直に 純也へと手を振ったのだった――。
「――余計なことを」
せんぱーい、と嘆く表情とはアンバランスに手を振りながら連れ去られていった唯子をあくまでにこやかに見送り、純也はおしゃべりな友人に静かな抗議を口にした。
「いいじゃないか、連れて行ってあげれば」
人の気を知らない彼は、あくまで楽観的だ。
「愛情表現は大切だぞ」
「わかってるよ」
と、友人の善意の忠告に……恋愛にいくつかのトラウマがあるらしい純也はほんのすこし難しい顔をした。
>>>おわり。
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