二学期の始業式の始まる前、金原柚月〔かねはら ゆづき〕が口にしたのは二年以上前の彼女のことだった。
「おまえがモデルを頼んだって言ったら、一年の頃の 野田さん 以来だもんな。本気なんだろ?」
今は、もういない彼女の名前。
野田――那智。
久方ぶりに聞いて、胸が痛くなる思い出。
僕は、君に何をしてあげられたのか……したことと言えば、君の気持ちも考えずに絵を 描いた ことだけだった。
「 ああ 」
唯子が好きだ、それだけは間違いない。
あの瞬間〔とき〕から――。
〜 01.突然、視界に飛び込んで来た君 〜
三月の終わりだった。まだ、時々思い出したように冷えこむことがあって、空からは最後の雪が降りていた。
朝、休みに入った学校に絵を描くためにやってきた三崎純也〔みさき じゅんや〕は……天使に会った。
本当は、天使じゃなかったけれど。
(だいたい、口をあんな大きく開けて雪を食べてたら 普通 だったら 絶対 天使だなんて思わない)
けれど、その少女は白いセーラー服を着て、降ってくる白いモノに口を広げていた。
その仕草がやけに楽しそうで、背中に羽がついているように見えた。
「唯子ー」
「はぁい!」
呼ばれてふり返った彼女は笑って、首をかしげる。
栗色の長い髪、まあるい目、ふわふわとした存在すべてが彼女をどこか別の世界の住人のように思わせる。きっと彼女のそばだけ、時間の進み方が違うのだ。
「もうすぐ貼り出すってさー、合格発表」
「うん、わかった。すぐ行くから!」
のんびりした彼女をたしなめるかのような友人の声に、しっかりと答えて……けれど、やっぱりふわふわと去っていった。
まるで、天に昇るように――。
「………」
本当にあったことなのかどうか。
目の前から彼女が消えて、純也は自分の目を疑った。白昼に夢でも見たような形のない感覚……なのに、次には忘れてしまうような淡い記憶ではなく、一日が過ぎても、一週間が経っても……その光景は、くりかえし繰り返し彼の胸を締めつけた。
(あの娘は……誰なんだ? 本当にいるのか? 僕の妄想か……それなら、どうして絵にできない?)
彼女を描こうとしても、筆が一向に動かなかった。
一瞬の出来事だったからかもしれない。けれど、その場面は写真のように純也の脳裏に焼きついて、何度となく苦しめていた。
なのに、筆に映し出そうとすると逃げていく。
彼女は。
(――こんなことなら、あの時……探しておくんだった)
そう、後悔した。夢だと思おうとして、早々に諦めたことを今更に思い返す。
埒もない。
しかし。
春になって 彼女 は再びやってくる。
純也の通う高校に、新入生として――彼女は――春日唯子〔かすが ゆいこ〕は現れた。
*** ***
「 せんぱーい。はやく、はやく! 」
少し先に行っては跳ねて急かす唯子を、純也は笑って「はいはい」と軽くあしらう。
「そんなに慌てなくても大丈夫だよ」
と、言い聞かせるものの当の彼女はどうしても早く見たいらしかった。
うずうず、と体を動かすと、ゆっくりはしていられないと駆け出して……そして、繰り返すのだ。
展示会は少し離れた街の公民館で催されていた。こんなことがなければ、純也も唯子もこんな大きな街中には縁がない。それだけに、唯子は道行く人にぶつかったり、あるいは声をかけられたりして展示会場に辿りつくのに案外時間をくってしまっていた。
すでに会場から帰る人影もあり、二人はそんな人の群れと何度かすれ違った。
「?」
その人たちがおおよそ唯子を見て、「あ」という表情をするから……彼女は不思議そうだった。
けれど。
展示会場に入って、唯子はすぐに立ち尽くす。
突き当たりの壁に掲げられた作品は、淡い陽光と優しい緑の下で目覚める天使の少女だった。
栗色の髪とあどけない瞳、白い肌……今にも、飛び立ちそうな白い羽を広げて、唯子を見つめる。
「や、やだっ」
思わず唯子は、頬を染めた。
「先輩! どーして、何も着せてないんですかっ」
ズビシと天使に指をさして、怒る。
「恥ずかしいじゃないですかっ!」
真っ赤になって訴えると、純也は困ったように言った。
「なんとなく?」
「いやーいやー、そんな理由で 裸 にしないでくださいっ。しかも、こんな大きく!」
唯子の訴えはもっともだが、諦めてもらうしかない。
「だから、止めたのに」
「って。先輩が乗り気じゃなかったのって、これが 理由 なんですかっ!」
「うーん、まあ。でも、……唯子。心配しなくてもこういう絵では裸のことなんて気にしないから……」
ショックを受ける唯子は先輩のその言葉に「ホント?」と顔を上げ、潤んだ瞳で確かめる。
「……たぶん」
と、純也が最後に悩んだ末に付け足すと、唯子は恨めしげに睨んで「責任、取ってくださいね!」と胸に飛びこんできた。
ふわふわとした栗色の髪と、やわらかな体を受け止める。
純也はホッと息をついた。
自分の感情に――。
「いいよ」
と、さも当然と答えると唯子はビックリして「え?!」と身を引いた。
「いいよって、……いま。言いました?」
うん、と頷いて彼女の腕を捕まえる。
ほかの誰にも抱かなかった感情を、唯子にだけは感じる。それが、純也を安堵させた。
(君だけは、逃がさない――)
「 責任取るから、許してくれる? 」
真っ赤になっていた唯子は純也を見上げてさらに赤く頬を火照らせると、その微笑みに満たされてコクンと頷いた。
>>>つづきます。
clap1‐1 ・・・> clap1‐2
|