欠けはじめた月が、ぽっかりと空に浮かんでいる。
〜 Halloween Moon1 〜
「な、鳴海くん」
と、困ったように彼を呼んだ山辺志穂〔やまべ しほ〕の格好はメイド服だった。
今年の文化祭で、彼女のクラスがやった喫茶店の制服なのだが……夜の静かな闇と、ひんやりと心地のいい秋の空気、それに誰もいない家の沈黙がどこか艶かしく見え……鳴海広之〔なるみ ひろゆき〕は目を眇〔すが〕める。
窓の向こうの月から、電気のついた部屋へと顔を向けて、窓の縁に腰を落ち着けた彼は、「本物のメイドみたいだ」とくすりと笑った。
十月三十一日。
俗に言う、「ハロウィーン」のお祭りで有名な日だが……子ども達が「おばけ」に扮して家々を訪れ、お菓子をねだる……というのが、おおよそ一般的なイメージだろうか。
西洋のお祭りが日本で定着するのに、本来の宗教的な意味合いは必要ない。クリスマスがその最たる例だろう。
子ども達の遊びのため、家族団欒のため、果ては恋人達の恰好の愛の儀式のため……利用できれば それ でいい。
「よく似合うよ」
広之がそう褒めれば、志穂は頬を恥ずかしげに染めながらもおずおずと顔を上げる。
「そ、そうかな?」
「うん。志穂はもともとメイドみたいなところがあるしね」
あまり自我を出さないところ、命令には従順で……時々、ひどく下向きで自虐的。広之のことを王子様か何かのように崇めて、勝手に落ちこんでいるところなんかは、身分違いの恋の感覚に似ている。
広之のそばまでやってきた彼女の俯きがちな顎をとらえて、上に向けると薄ぼんやりとした眼差しが不思議そうに彼を映した。
おそらくは、正確に言葉を理解していないのだろう。
「俺のこと、ご主人さまって呼べる?」
「ご主人さま」
志穂の唇が、なんの躊躇〔ためら〕いもなく呼ぶ。
唇をそっと重ねて、その口を開かせる。舌を差し入れて、歯列を舐める。
それから、一旦離れて唾液の雫を吸うと胸を上下させている志穂に言った。
「よくできました。俺の言うとおり、志穂が 上手 にできたら……ご褒美をあげるよ」
「ご、ほうび?」
キスだけで、彼女は息を乱していた。
「そう、欲しい?」
とろんとした目が彼を映して、コクリと頷くから、自分から提案しておいてナンだが広之は内心、驚愕した。
(おいおい……)
まさか、すでに正常な判断ができないのだろうか?
それとも――こういう プレイ が好きなのか。
(……それこそ、まさか、だ)
ふくらみを強調するメイド服の大きく開いた胸元には、白いブラウスと大きめの漆黒のリボン。
斜めに首を傾けた志穂は、動きの止まった広之に「どうしたの?」という無垢な顔を近づける。
一年前よりも、ふっくらとふくらみを増した彼女の丸い胸が、彼の手の内におさまるほど近くにあって、触って欲しそうに見えた。
ミイラ取りがミイラになった。
堪え難い誘惑に頭をクラクラとさせて、それでも広之は志穂の方から自分を求めるように仕向けるため――思考をすばやく回転させた。
*** ***
胸の開いた黒の膝丈のワンピースに白いブラウスと黒のリボン。
レースのついた白いエプロンを腰のところでチョウチョ結びにして、頭にはエプロンと同じレースのカチューシャ。
今年の文化祭で着ていたメイド服は、華美な飾りなんてないシンプルなデザインだった。
けれど。
彼女のその格好を、彼は「可愛い」と言ってくれた。
昔から隣の家のシッカリ者である幼馴染は、志穂に対して手厳しい。もともと引っ込み思案で不器用な彼女だから、何でも要領よくテキパキとこなしてしまう彼にとっては、イライラする対象なのだろうと思う。
嬉しかった。
憧れだった彼と、付き合うことになって一年。
不釣合いだと、いまだに落ちこむことがあるけれど……それでも、釣りあう「彼女」になれるように頑張りたいと思うから。
「な、鳴海くん」
家族のいない彼の家のリビングで、山辺志穂は恥ずかしさにへこたれそうになりながら……メイド服で鳴海広之の前に立った。
窓から外を眺めていたらしい彼は、志穂の格好を確認するとくすりと笑う。
「本物のメイドみたいだ」
それから、似合うと言葉にしてくれて、それだけで報われた気がした。
彼が……喜んでくれるなら それ だけでいい。
「そ、そうかな?」
「うん。志穂はもともとメイドみたいなところがあるしね」
それは、どういう意味なのか……わからなかった。
手招きされれば、駆け寄って彼に顎をとらわれる。
「俺のこと、ご主人さまって呼べる?」
間近にある広之の毅然とした表情に見惚れて、脳内に響いた言葉を咀嚼すると少しも抵抗を感じなかった。
「ご主人さま」
きっと、彼は 本当に 志穂の ご主人さま なのだ。
唇を重ねられ、顎をとらえた彼の指がクイッと力を加えた。促され開いた口に、とろりとした熱が流れこんで歯の淵をなぞっていく。
溶け合う感覚。
うっとりとなって、舌を絡めようとすると離れた。
自分のものとも彼のものとも知れない唾液が 一筋 垂れて、彼がそれを丁寧に吸い上げて嚥下するのをぼんやりと眺める。
「よくできました。俺の言うとおり、志穂が 上手 にできたら……ご褒美をあげるよ」
胸のあたりが熱くて、言葉を理解していなかった。
ただ、――
「ご、ほうび?」
幸せだった。
こんな気持ちが、たくさん生まれるのなら、もっと。
「そう、欲しい?」
欲しい。
コクリ、と頷くとほんの少し彼が表情を強張らせたから、どうしたのだろうと志穂は首を傾けた。
>>>つづきます。
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