残暑も落ち着いた、9月も半ば。
実家から阿部野橋(注、大阪にある駅名。ややマイナー?)に出ていた仁道小槙〔にどう こまき〕はJR「天王寺駅」と近鉄「あべの橋駅」の間に架かる陸橋の上、雑踏の中で足を止める。
「……なんやろ?」
誰かの視線を感じた気がした。
気のせい? とふたたび人波に押され歩き出すが、胸がやけにドクドクと鳴る。週刊誌の記者かもしれない、と嫌な予感が過ぎる。
彼女には、週刊誌に追われるような目立った容姿があるわけではない。今時めずらしいほどの手を加えていない黒髪は肩につく程度の長さで、普段は愛用の黒ブチ眼鏡をかけている。
そんな彼女が、週刊誌に追われる心配をするのは……付き合っている 彼 のせいだ。
彼――馳輝晃〔はせ てるあき〕は芸名・八縞ヒカル〔やしま ひかる〕の名を持つ若手の俳優だ。
二人が結婚を考えはじめたのは、付き合いはじめて一年目の去年の冬頃からだが、小槙の意思とは関係のないところであれよあれよと話は進んだ。もちろん、それに異論があるワケではないが……多少の、不安はある。
たとえば、彼がいま、一番の 注目度 を誇る 人気俳優 だということ。整った顔と類稀な人を惹きつける雰囲気は特に女性の間で不動の地位を築いている。
それに加えて、彼には小槙にはない 決断力 と 行動力 がある。
どちらかというと、のんびりとした彼女からすれば彼の行動は突拍子がない。
春に彼が、小槙になんの相談もなく「 結婚前提 」の話をマスコミにバラしたことが、その顕著な一例だった。
しかも、彼には それ を相手に認めさせるだけの確かな実力があり、普通ならば人気に影が差しそうなところをやんわりと回避してみせた。
マスコミに対しても、ファンに対しても、彼の対応はプロに徹していて一縷の隙もない。
だからこそ、発表当時の小槙に対する過剰な取材攻撃も最小限に抑えられたし、今も普通に生活ができる程度に 彼ら は節度を保っている。
(……落ち着いてきたからって、気を緩めすぎたやろか)
心の中で反省し、小槙は足をはやめて駅の改札を抜けた。
〜 Something for...1 〜
それからというもの、小槙は常に誰かから覗かれているような視線を感じるようになった。
自分でも、過剰反応だとは思いながら家の中にいても、何をしていても不意にやってくるその感覚はゾッとするようなモノがあった。
(……どないしたんやろう、わたし)
割ってしまった洗ったばかりの食器。床に散らばったそれを、ぼんやりと眺めて小槙は動けなかった。
「どないしたんよ、小槙……最近、変やよ?」
母に背中を叩かれて、ハッとする。
慌てて屈んで、大きな欠片を拾い……その手を母に止められた。
「あかん、手でも切ったらどうするの。待っとき、ほうきと新聞紙持ってくるから」
「う、うん……ごめんなさい」
「謝らんでええから。もうすぐ 結婚式 の花嫁〔あんた〕に怪我なんかさせたら、花婿〔かれ〕に怒られてしまうわ」
と。
やけに嬉しそうにウキウキした声音で言う母は、「怒られるのも悪くないわ」と足取りも軽く台所から出て行った。
――結婚式。
間近に近づいた それ が、原因かもしれないと小槙は思った。
よく、結婚前に不安定になる花嫁がいると聞くし……自分には関係ないと思っていたが、相手が相手だ。不安にならないほうが、おかしい。
「うん。きっと、それやわ……いやや、なんか 花嫁 みたいやん」
って、他人事のように口にする。今の今まであまり実感のなかった 事実 だが、あと一週間も経たないうちに彼女は花嫁になるのだ。
誰の。
もちろん、彼の。
ようやく、行き着いた結論に愕然となって彼女は真っ赤になった。
小学校の頃から、憧れていた 彼 と結婚するなんて考えてもいなかった。
きっと 夢 にちがいない。
と、思うのに。
小槙が「信じられない」と感じれば感じるほど、現実は「結婚」の二文字を突きつけて信じさせようとする。信じたところで落とすのが、彼女の生まれ育った地域の土地柄とは言え……そんな悪趣味なオチがあっていいものか。
(わたし……なに、バカなこと考えてるんやろう。今更、信じられへんなんてなあ?)
ため息をつくことが増えた彼女を周囲は、静かに見守っていた。
>>>つづきます。
Something for...1 ・・・> Something for...2
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