清葉.序之段
ユルサナイ…!
柳眉の下。開けられた瞳には、一見とろりとしながら、ゾクリとする黒い炎があった。つややかな黒髪が、彼女のほっそりとした顔を白く浮き上げる。
女は美しかった。
それは、美しすぎるというほどに整いすぎた、蠱惑の美貌。
烏の黒髪はこれ以上ないというほどに黒く、黒曜石の瞳は底のない闇のようにどこまでも深い。結い上げられた黒髪から落ちる幾筋かの線は、聖女のように清らかな彼女の美貌の下に、娼婦めいた昇華を与えた。
女は、野暮ったい言葉で自分を請う男を、静かな瞳で見下ろした。
壮年期に入ろうかという彼の皺のふえはじめた顔は、恋しい女の前だからか、見るのもはばかれるほどゆるやかに崩れ、その傍らには国の名品ばかりをあしらえた貢ぎ物が鎮座している。 (…馬鹿な皇帝〔オトコ〕)
柔らかな羽の扇の奥で彼女の口元が、恐ろしいまでに冷たく歪んだ。
「よろしいですわ」
鴬鈴〔オウリン〕と称される繊細すぎるほど繊細な声で、女は男に甘く答えた。
「真実〔マコト〕か!」 受諾の言葉にパッと顔をほころばせ、男は確認するように女の顔へと目線を上げる。
そこには恋い焦がれた女の美しい微笑がある。
「愛蓮〔アイレン〕」
言って、彼は彼女の手の甲に唇を押しあてる。それは繰り返し、繰り返し、愛しげに…。
「…余は、この日を待ち望んでいたのだ。ずっと」
立ち上がると、男は彼女にそう言った。
その瞬間、愛蓮の瞳がかすかに揺らいだことを、背中を向けた男は知らない。せつなげで、苦しげなその瞬きは、誰に知られることもなく、彼女の深い闇のなかにとけたのだ。
戸口のところでふり返った男が見たのは、やはり美しい女の微笑だった。
彼が去ったあと。愛蓮はその整った綺麗な顔をしかめ、汚れをぬぐうように手の甲を端切れでぬぐった。
そして、その使った端切れをいまいましげに灯籠の火にかかげる。
弱々しく揺れていた火がそれに燃えうつると、メラメラと燃え上がり、あっという間にその身の中に呑みこんだ。
「下劣の輩だわ」
燃える端切れを見つめ、愛蓮は冷たくその瞳を歪める。
それは、男に向けられた…というよりは、むしろ自分に。
さきほどまで浮かべていた自らのほほ笑みに対しての嘲笑だった。
(流〔リュウ〕…)
そして、何かから逃れるように瞼を伏せる。
貴方だけは、見ないで。
今からの私を。
スッと開かれた愛蓮の瞳には、どこか般若を思わせる……悲しみに澄んだ冷酷な黒い炎があった。
それは熱はもたぬ…ただ、悲しみだけを内に秘めた炎。
貴方が死んだ時、
私もまた死んだのです…。
彼女の頬を一筋の涙がつたい、その滴は彼女のまとった華やかな赤地の布を、どす黒く鮮やかな朱色に変えた。
この年を境に清葉〔セイハ〕の国は年号を蓮翔〔レンショウ〕と変える。時の皇帝、肖治敬〔ショウ チケイ〕が貴姫、青愛蓮〔セイ アイレン〕を迎入れての祝砲である。
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