2-0-序.忘れ草


■ 本編「月に棲む獣」の続編挿話です ■
この「雲に翳る月のように」は、
本編「月に棲む獣」の続きです。
大国「清葉」の皇帝に仕えていた女官・春陽と、
後宮を騒がせていた刺客・榛比。
皇城の根回しした手配書のため(?)に方々を流浪する二人は、やがて運命の場所「月山」に
……その手前であった、ちょっとした騒動のお話。



 その集団に襲われたのは、月山に入る手前の寂れた里をあとにした時だった。
 ……いや。
 寂れたというのには、語弊がある。
 「寂れた」とは、そこに人が住んでいてこそ形容するもので、無人となった里は「廃墟」と言った方が正確だろう。

 しかし、里に入った時点で春陽〔シュンヨウ〕も榛比〔ハルヒ〕もその気配を感じていた。
 無人ではあったが、棲〔す〕んでいる者がいないワケではないらしい。
 ただ、姿を現さないだけのことだ。
 どうして――? などという愚問はこの際、口にするのも馬鹿らしいので、出てこない。
 皇帝の統治力を失った国境では、よくある話だとさえ思う。
 その時は、まだそれがよくある予想の範疇だったのだが…… 彼女たち の狙いがまったく想定外だった。
 そうだと確信した時には、遅く。

「 春陽! 」
 咄嗟〔とっさ〕に、榛比は春陽をかばって腕に傷を負った。
 舌打ちする。

 か弱い風情の女が小刀を構えなおして、口角を上げた。飾り気のない娘に近い可愛い女がそんなふうに微笑うと、狐にでも化かされたような妖艶な雰囲気が立ち昇る。
「っ……」
 榛比はにわかに襲った立ち眩〔くら〕みに膝を折る。
 油断をしたつもりはないが、不意をつかれたのは確かだ。
 相手が戦闘慣れしていないただの里女集団だと、軽んじていた。
( 女ほど、怖いものはないというのに…… )
「榛比!」
 その最たる存在である 春陽 が叫ぶ声が聞こえて、「馬鹿か? 逃げろ」と口走ったような気がしたが判然とはしない。
「毒か」
 と、自嘲気味にこぼすと女たちがくすくすと笑って答えた。
 それも、夢の中のような混濁とした記憶に呑みこまれる。

『 いいえ、ちがうわ。ただの忘れ草……全部、忘れてしまうのよ 』

 そうか。
 やはり、狙いは「男」。
(毒よりも、タチが悪い――)
 榛比は明確にその意図を察して、意識を失った。


*** ***


 廃墟と化した里に戻ってきた人影は、憎々しげに舌打ちをして夕闇に暮れようとする空とその下にある鬱蒼とした樹海を睨んだ。
 下士官らしい二人と、深い傷を負った一人。
 片腕を失ったひどくアンバランスな身体を両脇から支えて、二人の下士官は途方に暮れたように前を行く高官を仰いだ。
 その彼は、いまだ怒りが治まらないと息巻いている。
「くそっ、あの男! 躊躇いもなく腕を切り落としよった!! 女集団に騙されたわ」
 いまだ、大量に血を流し続ける一番の手練だろう男に目もくれずに、告げる。
「もう使い物にならん、捨て置け」
「し、しかし」
 二人の下士官は、目をわずかに瞠って言いよどむ。
「旅程の邪魔だ。なに、死にはしないだろう」
 根拠のない慰めに、ほどなく二人はため息まじりに「御意」を示した。いつ、この仲間と自分が同じになるか分からない。そんな哀れみの交じった顔を見合わせる。
 と、急に気配がした。
 ハッと身構えた時には遅く……彼女は、彼ら二人を押しのけて腕を失った男の傷口に鼻先を近づけて見入っている。
「 タイヘン! 」
 言うや、自らの袖を裂いて縄とし、腕の付け根を強く縛って止血する。
「こっちへ運んでください。手当てします……応急処置ですけどしないよりはマシでしょう」

「……何者だ? 女」

 訝しく訊く高官に、女はにっこりと笑って答えた。
「春陽と申します。お役人さま」



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