2‐6.継承


 わたしのお腹の中で、ひとつの命が育っている。
 その事実を聞いた時は、不思議な気持ちだった。
 ぽかりと、灯った小さな火は、身体に変化をもたらしてその存在を自己主張しはじめる。
 その炎がか細く揺れて、ふっとかき消えた。
 どうして、大事に育てなかったのだろう。
 ――かけがえのない宝。
 もっと、大事にするべきだったのに……そう思うと、涙が出そうになる。

 お願い、逝ってしまわないで。
 ここにいて。



「玉……」
 蓮が悲痛に呟くのを、ぼんやりと見つめて玉妃は後悔した。
 蒼い表情をした彼をもう、二度と見たくない。
 略奪の王にこんな顔は似合わない。
「蓮」
 見慣れた天蓋を見つけて、玉はいつの間にか王宮の自室に戻っていること気づく。
「辛くないか?」
 と、やけに彼らしくない気遣いに答えあぐねていると禍々しい赤の眼差しが険しくなった。
「体、辛くはないか?」
「からだ?」
 咄嗟に思いつかず、また玉は問い返してしまった。
 神妙だった蓮の顔が、舌打ちする。

「 ここだ 」

 と、言った口で彼の手は半ば寝台のシーツの中を侵略するように進入して、玉の体のある部分を指し示してなぞった。
 たまらず、玉は声を上げて身を引く。
「何を……」
 蓮の手は逃れることを許さずに彼女をとどめて、強引に唇を合わせた。
 その激しさに呼吸さえもつくことができず、倒れこんだ玉は蓮の体の下で喘いだ。
「蓮、いや」
「なぜ?」
 その赤の眼差しが問いかける。
 知ってるくせに――玉は、彼のその表情から察して、赤くなる。
「いるのよ。そこに赤ちゃんが」
「ここか?」
「やっ!」
 脇腹あたりをなぞられて、玉の体は跳ねてキッと馬乗りの王を見た。すると、蓮は深く思案するように彼女を見下ろしていて、息を呑んだ。
「今回のことで、俺は反省したんだ。玉妃――おまえに分かるか?」
「え?」
 くっ、と野卑た笑みを浮かべる男の顔にドキリとする。
「体を重ねるべきだった」

 と、シーツの中で妃の足を撫であげる。
「どんなに忙しくても、スキンシップは大切だろう? おまえは無茶をしすぎるんだ」
「それは――だって、藍閑の手段に腹が立ったのよ」
「おまえが、腹を立てるようなことではないだろう? 俺が演じればいいだけのコトだ」
 不思議そうに言う蓮王を、玉妃は燃える黒の眼差しで見つめた。
「蓮は知らないのよ、わたしがどんなに厄介な女か……わたしからあなたを奪おうとするなんて、許せなかった」
 まさか、と瞠目して蓮は、鮮やかに笑った。
「そんなに俺と離れるのが、イヤか? 姫」
「……イヤ」
 目に涙をためて、玉は訴えた。

「 そばにいて……ずっと 」

 しばらく、蓮はそんな泣きじゃくる妃を抱いて途方に暮れた。
 頭を撫で、乱れた髪を梳く。
「なるほど、体に訊いて分かることもあるってことか。気をつけよう」
 と。
 頬を寄せて、呆然と呟いた。


     *** ***


 寝台の上。

 主治医から絶対安静を指示された玉は、侍女頭からの長いお小言に殊勝に聞き入って、最後に「ごめんなさい」と素直に謝った。あまりにすんなりと自分の非を認めた妃に、侍女頭の方がしどろもどろとなる。
「わ、解かっていただけたらよいのです。そのお体で馬に乗るなど、ゾッとしない話ですわ。……今回は大事には至らなかったからよかったですけれど、次も大丈夫とは限らないのですから」
「そうね、反省しています」
「……そうしてください。赤ちゃんの命に関わる問題は、ひいては姫さまの命に関わることなのですから」

「もう、しないわ」

 きっぱりと誓った玉は、侍女頭に向かって真剣な表情で目を合わす。
 その握られた拳が震えて、深く寝台のシーツにシワを作った。
「いま思うと、自分でも怖くなる……ただ、あの時はまったく心配してなかったのよ。蓮の子どもだからと、信じていたのかも。わたしがこの子を離すわけがないと――」
 浅はかな、過信。
 母体の無理によって流れそうになった命を食い止めたのは、 医者 であり、お腹の中にしがみついてくれた 小さな命 そのものだった。
「 ――だから、もう絶対にしないわ 」
 と、母親の顔になって姫は強く微笑んだ。



 それから、玉の体調が落ち着いた頃になって鳳夏商人の長二人が面会にやってきた。
 床に両膝をついて、深く頭を下げる。
「我々は、玉姫さまを信じます」

「玉姫さまが、あの王を信じるのであれば、我々も信じます」
「あの王を愛するのではあれば、愛します」
「あの王を殺すのであれば、殺すでしょう」

 商人の長、稜明〔りょう めい〕と沙遥〔しゃ よう〕は静かに繋げて、姫を仰いだ。
「そして、今は愛している」
「我々も愛することになるでしょう、……あの 王 を」
 静かな笑い声が上がり、玉が二人の商人に訊いた。
「それは、ありがたいことね。でも、どういう風の吹きまわしなのかしら?」
「いえ、べつに。免罪の借りがあるワケでは……」
「わっ、馬鹿。ははっ、ちがいますよ。我々とて王のあの姿を見れば、姫を本当に愛していることくらいわかります」
「そうですとも! 母となる姫の体に無理を強いた無礼、寛大にお許しいただいて感謝こそすれ。いやなに、王の人柄が180度変わったというか……」
 何を思い出したのか、明と遥はそれぞれにニヤついた。
 そして、

「姫、愛されてますね」

 と、二人は最後に揃って口にして、訝〔いぶか〕しむ玉妃を驚かせた。


     *** ***


『 礼を言う 』

 玉妃を抱き上げた蓮王が商人二人に告げた、短い言葉。
 その禍々しい赤の眼差しにユラリ、と不安が揺れているのを見て、彼らは負けた。

 咎め よりも先に 礼 を受けては勝てるワケがない。



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T EXT
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