スラリとした長身。薄い眼鏡と鋭い眼光、歩く姿は流れるように完璧で一縷の隙もない。
少し重厚な感じの男っぽい骨格に、よく似合う黒髪はいつもピシリとオールバックに撫でつけているのだけど……繭子は、午後の少し乱れたところが 好き だった。
勿論、一番好きなのは――。
*** ***
「あー、経理部の里宮さんね……」
入社してすぐ。
茅野繭子〔ちの まゆこ〕が社内の廊下ですれ違った その人 に一目ぼれをしたと話したら、同期で友人の市巻羽月〔いちまき はづき〕がすぐに察しをつけて教えてくれた。
それくらいに、その 彼 は社内でも有名な人物らしかった。
里宮秋人〔さとみや あきひと〕。
経理部所属、凄腕の経理マンで入社して3年目でありながらすでに彼に逆らえる人間は、この服飾関連企業『苑』の社内には いない とまで称される。
数字に関してはどこまでも厳しい上に、理路整然と不備を指摘していくその手腕も只者ではない。相手が誰であろうと容赦をしないし、しかも彼の場合は入社して3年で社内の経理システムを再構築して効率をサクサクっと上げた実績がある。
期末の際にごり押しで入ってきた伝票を片手間に片付けてくれたり、多少の無理難題も彼にかかれば融通がきくとあっては……頭を下げた方が得、というもの。
「里宮さん、かあ。素敵よね」
「まぁねー。ちょっと近寄り難いけど 顔 はいいわよね」
ほわん、となった繭子に呆れたように羽月は言って、お弁当のおかずを咀嚼する。
その最中も、うんうんと子犬が散歩を強請るようにキラキラとした眼差しで頷くから、羽月の心配は倍増した。
ごくんと呑みこんでから、忠告する。
「あんたの好きそうな「強面の美形」だとは思ったわよ、でも、いい加減 それ で選ぶのはやめるんじゃなかったの?」
そう。
繭子は自他共に認める「めんくい」だった。そのせいで、これまでの男運はことごとく悪い。
顔で選んでいるのだから、自業自得だと皆は言う。
「わかってるわよ」
繭子とて、過去の苦い経験があるから「素敵」だとは思うが、あえて「付き合いたい」とまでは言っていない。
(でも、目で追うくらいはいいわよね? 目の保養じゃない)
里宮秋人の同期で昔馴染みである鴇田聡史〔ときた さとし〕から、彼に「彼女」がいるという情報が流れたのもちょうどこの頃のコトだった。
(やっぱり……彼女、いるんだあ)
そりゃあ、あれだけの美形〔かお〕だもの。いないワケがないか?
昔の繭子なら、この程度では諦めない。けれど、やはり縁がないのだとこの時は思った。
大体、彼女持ちの人を好きなって「良かった」経験なんてない。結局、「二股(あるいは、それ以上)」をされて終わりだった過去〔こと〕を思い出すと、ダメダメと自らを自制する。
でも、そんな繭子の気持ちとは裏腹に里宮秋人という彼を目で追って、知れば知るほど好きなった。
甘いものに目がなくて、案外子どもっぽくて、時々不器用。人の好意に鈍くて、見えないところで本当はとても優しい。
たぶん、今まで好きになった人たちとは 全然 違う。
見た目も勿論好きだけど、内側をもっと知りたいと思った。
「あ、あの……里宮さんに彼女がいてもいいんです。受け取ってもらえるだけでっ」
我慢できなくて、バレンタインデーにチョコレートを手渡したら、彼は怪訝な顔で「彼女?」と首をかしげた。
「どこで、そんな冗談が……」
「え? でも、鴇田さんが新入社員の歓迎会の席で流してましたけど」
しばらく固まった秋人に繭子は「どうしたんてすか?」と訊ねてみた。
すると、「いや」と首を振って……なんて、絵になる苦笑い。見惚れちゃう。
「こっちのことなんだ、ありがとう」
と、彼は繭子からのチョコレートを快く受け取ってくれた。
*** ***
――「友達から」って、体のいい断り文句よね。
昨日の夜、相談に乗ってもらった羽月の言葉を思い出して、(やっぱり、そうかな)と繭子は息をついた。
『そりゃあ、そうよ! あの 顔 で今まで 彼女 がいなかったなんて、ありえないしっ。あんた、それ、絶対! 騙されてるわ。いーい? 繭子は可愛いんだから、顔じゃなくて もっと ちゃんとした男を選ばないとダメよ』
力いっぱい説教されて、繭子も 確かに 見た目だけで選ぶことにはリスクがあると学習している。
(でも、里宮さんはそんな人じゃない……と思ったんだけどな)
そう、考えると胸がキュゥンと引き絞られるように痛んだ。
と。
受付のカウンターに居た繭子の目の前に人影がさす。
「茅野さん」
え? とその聞いたことのある、落ち着いた低音に顔を上げると彼女の大好きな精悍な顔がそこにあった。
少し緊張したように、差し出されたのは「交換日記」だった。
しかも、昔、小学生の頃に買ったようなシッカリと鍵のかかるタイプ。
(もしかしたら、この人は……本当に女の人と付き合ったことがないのかも)
彼を信じてもいいような気がした。けれど、本当には信じられなかった。
男の人は、誠実な フリ をして簡単に 嘘 をつく――彼は 違う と心の中で願いながら、過去のトラウマが完全には拭いきれずにあたりさわりのない付き合いに甘んじた。
そんな時、急に無視をされるようになって最初、やっぱりと思った。
裏切られても、まだ、引き返せると思っていた。
でも――。
ごめん、という言葉に傷ついた。
(バカ……全然、引き返せてないじゃない。わたし、ホントに バカ みたい)
すでに、深みはまっていたのだ。
泣いて、廊下を歩いていたら、心配した優しい人が声をかけてくれた。ティッシュまで差し出してくれて、いい人だ。
次に恋するときは、こういう人を好きになろう。
「すみません、ありがとうございます」
「はは、いいって。根がおせっかいなもので……うわっ」
(……うわっ?)
「好きだ」
と、低く耳元で囁かれ、その 相手 に抱きしめられる。
「さ、里宮さん?」
「君が、好きなんだ。茅野さん」
男っぽい逞しい体にギュッと強く、包まれて(嘘だ)と反射的に思う。
問うように視線を上げれば、彼は鋭い眼光を気弱げに伏せた。
「俺以外の男は、見ないで欲しい」
胸が、絞られた。
( ……この人は、違う )
今までに付き合った男の人とは――それは、勿論、当たり前のことだけど。
願望、かもしれないけれど。
信じたいと思うのは、引き返すことができないくらい 好き になってるから……。
その唇に唇を重ねて、怯む彼に繭子は強引に舌を絡めた。
そのたどたどしい反応に、無性に 手に入れたい という想いが強くなる。
(ううん。絶対、手に入れるから……ねえ? 里宮さん)
こんなにも、「外見」と同じくらい「中身」を 欲しい と思った人は 初めて だった。
あなた、みたいな人は きっと 他にはいない。
この世に、たった一人の 特別な 人だわ――。
「 好きです 」
ペロリ、と最後に彼の初心な唇を舐めて繭子は笑った。
そのあと。
「キスするの……初めてですか?」と訊いたら、困ったように「いや」と首を振った。
(なーんだ)と。ちょっと拗ねて問い詰めてみたら、秋人は(何故か)ひどく不本意そうに答えた。
「されたのは、初めてじゃないんだ……自分からしたのは、初めてだけど」
「ふーんだ、うまいんですね」
だったらいいや、と思わせる巧妙な言い回しはきっと、計算じゃなく、彼の正直な言葉なのだろう。
(――いいわ。それならそれで、早めにいただいちゃえばいいんだもの)
彼の「 初めて 」を全部、ね。
おわり。
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