世の中には色んな記念日ってあるけれど、あたしと龍也先輩の記念日はやっぱりあの日だと思う。
あたしが足を滑らせて階段から落ちてしまったあの日。
もしもあの時、階段から足を踏み外さなかったら。
もしもあの時、龍也先輩があたしを抱きとめてくれなかったら。
もしもあの時、彼が怪我をしなかったら。
あたし達の時間は重なっていただろうか。
朝から降り続いていた銀色の雨粒がようやく顔を出した太陽に反射して緑を色濃く染めている。
休日の昼下がり、龍也先輩はあたしの膝枕で本を読んで過ごし、あたしは先輩の飼い猫のアッシュを構って遊んでいた。
朝からの雨がウソのように晴れ上がって梅雨とは思えない綺麗な青空が広がっている。雲の切れ間から差し込む光が天使の階段を作り、光の筋が差し込む窓から金色の太陽が雨粒の名残を反射してキラキラとまぶしく視界に差し込んでくる。
硝子粒のように反射する陽の光が龍也先輩の少し長くなった前髪を照らし、紫がかった髪をより鮮やかに見せているのを、とても綺麗だと思わず溜息を付いてしまう。
すっと通った鼻筋にかかる銀のフレームの眼鏡の奥に隠される、僅かに切れ長の瞳は人を惹き付け吸い込むような漆黒の闇。
薄く微笑む唇は、男の人にしては血色が良く、思わず触れてしまいたくなる。
その唇が動き『聖良』と甘く呼ばれたりしたら…
もう思考は完全にフリーズ状態で、抵抗なんてできなくなってしまう。
あなたのその瞳に囚われてしまう。
あなたのその微笑に心を捧げたくなる。
彼は本当に綺麗だと思う。
ニッコリと綺麗に微笑む笑顔なんて、時々人間(ひと)では無く、天使じゃないかと本気で思ってしまうくらい。
こんなにもあなたを愛しく思うことになるなんて、出逢ったあの日には想像も付かなかったけれど、あの日の偶然を今は神様に感謝したいと思う。
癖の無いサラサラの髪を剥くように指を滑らせると、龍也先輩は読んでいた本から視線を外してあたしを見上げてくる。
深い深い夜の闇のような瞳に吸い込まれそうで、ドキドキと鼓動が早くなる。
「どうした聖良。構って欲しくなった?」
あなたに見惚れていました。何て言えるハズも無く言葉に詰まってプイと視線を逸らしたあたしに『なんだよ?』と不思議そうな龍也先輩。
深くは追求しないけれど頭の良いあなたのことだから多分あたしの表情(かお)を見ればあなたの事を考えていたって事くらいお見通しなんでしょう?
彼はクスッと笑うと悪戯めいた表情でパタンと本を閉じて、おもむろにあたしの手を取り引寄せた。
手の甲に優しいキスを一つ…。
驚いて思わず手を引こうとすると、それを制するよう力を込められる。
手の平に軽くもう一つ…。
頬を染めて口をパクパクしている隙に素早く身体を起した龍也先輩に肩を引寄せられると耳元に唇を寄せられた。
『好きだよ…。』と耳朶に痺れるようなキスを一つ…。
心臓が一気に胸から耳元へと移動して、頭の中にドクンドクンと脈打つように響く。
あたしの鼓動の事などお構いなしに、龍也先輩はトドメと言わんばかりに唇にキスを落とす。
あなたに出逢った時にはこんな風に抱きしめられてキスをするなんて事、想像も出来なかった。
綺麗だけど冷たくて、頭が良いけど意地悪で、嫌味でニコリともしない冷血人間で、あたしの事を嫌っている陰険な生徒会長だと思っていた。
だけど、クールビューティといわれたあなたの仮面の下にはとても意外な顔が隠されていて、あたしはあっという間にあなたに心を奪われた。
本当のあなたは綺麗で頭が良くて、確かに意地悪だけど…
それでもとても優しくて、意地っ張りで、強がりで、少し甘えん坊で、意外に嫉妬深いところがあったりする。
ふわりと抱きしめられる時に向けられる彼の満面の笑顔は、誰も知らないあたしだけのとても大切な宝物。
あたしと二人だけの時、あなたは冷たい仮面を脱いで自分の心を解放するように本当に幸せそうに笑うから、あたしまで幸せになってしまう。
唇の触れる一瞬手前で『愛してる…』なんて幸せそうに囁くあなたの甘い声を知っている人なんて、この世であたし以外にはいないから…
あなたがいつでも、いつまでもあたしの傍で笑っていてくれるように、心の闇から護ってあげたいと思う。
あなたと出逢ったあの日の偶然を神様に感謝したい。
ねぇ?龍也先輩。
世の中には色んな記念日ってあるけれど、あたしと龍也先輩の記念日はやっぱりあの日だと思う。
もしもあの時、階段から足を踏み外さなくても。
もしもあの時、あなたがあたしを抱きとめる事がなくても。
きっとあたしはあなたに恋していたと思う。
でもね、時々思うの。
あの出逢いでなかったらこんなにも深くあなたを愛したかしら…って。
窓辺で煌く硝子粒が乱反射してあなたに降り注ぐ。眩しさに目を細める表情が艶めいて見えて、今まで知らなかった表情にまた、ときめいて惹かれていく。
どれだけあなたを好きになったらこの気持ちは止まるんだろう。
眩しげに細めた瞳をゆっくりと閉じてあなたの唇が降りてくる。
瞳を閉じる刹那、窓の外の新緑が目に鮮やかに焼きついた。
再び巡ってくるあたし達の出逢いの季節。
銀の雨の季節が終わりこの緑がもっと濃くなったら、金色の太陽が降り注ぐ中、あなたと最初のStepを踏み出したあの夏がやって来る。
あなたとLove Stepを踏み出したあの日をあたしは一生忘れない。
初めての恋も
初めてのキスも
初めての夜も
あたしの初めては、いつだってあなたの傍がいい。
ねぇ?龍也先輩…。
これまでの初めても、これからの初めても
いつだってあたしの手を引いてStepを登ってくれるのはずっとずっとあなただけよね。
「ずっと一緒に歩いていこうな。」
何も言わなくてもあたしの表情を見ただけで思っていることを分かってしまうあなたってやっぱり本物の天使なんじゃないかと時々思うの。
どんどん深くなっていくキスに戸惑うあたしに見惚れてしまうほどのビューティスマイルを一つ。
「なに?キスだけで済むと思ってたの?」
ニッコリ♪と微笑む綺麗過ぎる笑顔のあなたは…
天使じゃなくて悪魔だったみたいね
fin.
|