参列したイフリア帝国の大臣卿は、その「洗礼」の儀式をハラハラとした面持ちで見守った。
イフリア国教会の大聖堂にある、煌びやかな洗礼台にはイフリア国教会の教皇が立ち、やってくるだろうイフリア帝国皇帝レイドイーグの第一子を静かに待っていた。
朱色の道を第一子を抱いて歩くのは、レイドイーグの第二妃であるツゥエミールであるのだが……華やかな舞台に慣れていない地味な彼女は、すでにその国教会独特の厳かな雰囲気に呑まれていて、周囲のことなどまるで目に入っていなかった。
彼女の目に映っているのは、洗礼台の上で教皇と並んで待つレイドイーグと、自分の腕の中で眠る自分の子どもイグダリオくらいだろう。
「ああ! とても見ていられない……」
と、内務卿が手に顔を埋めた。
今にも、足元を崩しそうな、その頼りなげな様子に頭を抱えたくなる。
今となっては、彼女と皇帝レイドイーグの「婚礼」の儀式を内密に行ったことを後悔するしかない。
ほとんど参列者がいなかった婚儀からすれば、今回の「洗礼」の儀式は雲泥の差だ。
しかも、婚儀の場合は皇帝が側に控えていられるが、「洗礼の儀」ではそれも叶わない。
――ということは。
悪意の集中する参列者の中を、場慣れしていない 病み上がりの 彼女一人で凌〔しの〕がねばならないということ。
大変、外聞の悪いことではあるが……彼らの主であるレイドイーグには 敵が 多い。
無論、皇帝という高貴な地位にあるのだから、政局の敵があるのはある意味当然である。が、それよりも――彼には、女性の敵の方がはるかに多かった。
いや、「敵」というには語弊があるかもしれない。
なぜなら、彼女たちは一度は皇帝と「関係」をもっているからだ。もっと言うなら、彼女たちは彼と愛し合ったという……「恋愛経験」の持ち主なのだが、当の皇帝は まったく そうと思っていない。
彼にとって、女性と「関係」を持つことは暇つぶしにも似たタチの悪い お遊び であって、「恋愛」などという意識は最初から欠けている。
このあたりの価値観の相違が、大きな溝となって今でも私恨の柵〔しがらみ〕として頭を悩ませる問題となっている。
少なくとも、大臣卿たちにとっては政局と同じほどの 大問題 なのだ。
「あっ!」
ドレスの裾を踏まれたツゥエミールはあっけなく、体勢をくずした。
こんな大衆の目のある厳かな場面で醜態を晒せば、彼女だけでなく王宮の威厳にもかかわり、ひいては皇帝の求心力にも影響するだろう。
もちろん、彼らの皇帝のことだから……大して心配はしていないのだが、それでも国教会やら貴族連やらからの執拗な圧力がかかってくるのは必至だった。
「あ、ねうえさま?」
体勢を崩しかけていたツゥエミールの腕をそれとなく掴み、最悪の事態を回避させたのはレイドイーグ皇帝の正妃であるルーヴェだった。
大臣卿たちは、その光景に目を見開き、信じられないと思わず嘆息した。
本来なら、レイドイーグ皇帝の敵として筆頭に並べられるべき「正妃」が……事実、ツゥエミールの出産に際して起こった一連の事件の首謀者とも言われている姉妃が、妹妃を助けようとは思わなかった。
神々しいまでの銀の髪と、深い青の瞳をツゥエミールの後方に滑らせて、裾を踏んだ大貴族の娘であるサリーヌ・モーガンに何事かを言ったようだ。
真っ赤になったサリーヌはそれでも、口を噤〔つぐ〕んで顔を背けるしかなかった。
これ以上は、ツゥエミールではなく彼女の醜聞となってしまうからだ。
礼を言おうとするツゥエミールを冷たく見返したかと思うと、またルーヴェは何事かを言って嘲笑した。
青くなるツゥエミールを突き放し、朱色の道へと戻す。
「ツゥエミール、来い!」
壇上ですべてを見ていた皇帝が、呆然としている第二妃を呼んだ。
煌びやかな金髪に、冷ややかに澄んだ青き炎の瞳……ツゥエミールは、くすんだ青の瞳にその姿を映して歩き出した。
参列者の最前列に並ぶ姉姫に後ろ髪をひかれながら、強く前を見る。
灰色に近い銀髪に、その強い眼差しが印象的に瞬いた。
泣いていたのかもしれない……と、大臣卿の誰かが言った。
*** ***
レイドイーグの責めに、ツゥエミールは頑〔かたく〕なに首をふって口を閉ざした。
「……何も」
「下手な嘘をつくな、おまえはそのような器用な女ではないのだから……ツゥエミール」
「……レイっ」
唇を噛んで顔を背けるツゥエミールへ、レイドイーグはのしかかる格好で国教会の大聖堂にある控え室……つまりは、二人が初めて結ばれた場所にあたる……、そのドレッサーの上に彼女を押し倒していた。
頭上に両腕をまとめて固定し自由を奪うと、簡単に脚を開けさせ付け根に指を挿入する。
「 アッ 」
と、ツゥエミールは小さな悲鳴を上げて、レイドイーグを見た。
くすんだ瞳が涙に潤んで、首をふる。
「レイド、いや……ァ、ア!」
「ならば、言え。ルーヴェに何を言われた?」
ふるふると首をふって、ツゥエミールは拒む。
その間も彼女の中を皇帝の巧みな指が抽挿を繰り返し、彼女の感じる場所を心得て擦り上げるからたまらない声が閉ざされた口から洩れる。
『命拾いしたわね、ツェム』
『あの 馬鹿な 貴族の女がいなかったら……わたしがもっと上手く、あなたを苦しめてあげたのに』
『さあ、早くお行きなさい。皇帝〔かれ〕にこれ以上恥をかかせないで!』
( ……姉上さま )
レイドイーグの指に翻弄されながら、ツゥエミールは先ほどの「洗礼」の儀式での姉姫とのやり取りを思い出していた。
「ツゥエミール、どうしても言わないつもりか?」
言えない、と思う。
首をただ横にふりながら、ツゥエミールは胸を締めつけられる痛みを覚える。しかし、コレは自分の胸の痛みではない。
(姉上さまは、本当に――この人を愛しているのだ)
それが、解かる痛みだった。
「ツェム!」
「アッ!」
ビリビリとした電流が走りツゥエミールは背中を仰け反らせて身体をふるわせた。
彼が入ってくる……一度、絶頂を迎えた彼女には強すぎる刺激に脳は思考のほとんどを溶かしてしまっていた。
「ア、アア! レイドっ、ダメです……もう!」
「ツェム、コレは報復だ。おまえへの――俺に隠し事する 報い だと思え。手加減をするつもりはないからな」
言葉どおりの激しさに、ツゥエミールの意識は朦朧とした。
腰が揺れる、それさえも無意識だった。
(でも、姉上さま。わたしも……)
「好き。……愛しているんです……あなたを――ッァア!」
果てる寸前に発した彼女の言葉に、レイドイーグは目を丸くして……予想外に下半身へ興奮が伝わった。
「やってくれる……」
もっと耐えられると思っていたが、早々に終わってしまったことに苦い笑みがこぼれる。
彼女に終わらされた、という方が正しいか?
彼を翻弄した可愛い女は、眦〔まなじり〕から一筋の涙をこぼして意識を失っていた。
上の乱れはほとんどない。
なのに、その下は清純な彼女にはまったく似つかわしくなかった。
ツゥエミールの涙を指にすくいとって、レイドイーグは口に運んだ。
「女の涙は好きじゃないんだ、本当は」
女の涙ほど、信用ならないものはない……と、レイドイーグは思っている。
それは、今でも基本的には変わらない。
が。
「どうしてだろうな……おまえの涙〔コレ〕には弱いんだ」
臨月だったツゥエミールが階段から落ちた時も、彼女は「自分で落ちた」の一点張りで口を噤〔つぐ〕んだ。
時期が時期だけに、あやまって落ちるには不注意がすぎる。臆病な彼女が、そんな無茶をするハズがないのだ。
特別な 何かが ない限り――状況から判断して、階段の上で見ていたという正妃・ルーヴェに突き落とされたと考えるのが、自然だろうが……当の本人が、認めないのでは話にならない。
何度、レイドイーグが話せと脅しても、命じてもツゥエミールは弱弱しく首をふって、
『わたしが、自分で落ちたんです。お願いです、レイド……ゆるして』
嘘をつく、その口が憎らしかった。
許せだと? 許せるワケがない。
口を割らせる方法はいくらでもあったが……見上げてくるくすんだ青の瞳に浮かんだ彼女の涙に、目を奪われた。
ツゥエミールの涙には、打算も何もない。
ただ、必死なのだと思うと守ってやりたくなる。
ふ、と微笑みを浮かべてレイドイーグはすっかりと眠ってしまったらしいツゥエミールの頬に手の甲をあてて自嘲的に呟いた。
「――ただ、それがあの女のためというのが、……私としては妬けてしまうがな」
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