きんこーん♪
無駄にだだっ広い司法院の敷地内に入った一人の若者は、その「司法院〔ケルビム〕」という場所には似つかわしくない華やかで大きな花束を手にしていた。
頭上を舞う大きな黒鳥に首をすくめて、開いた扉に姿勢を正す。
対応に姿を現したのは、白い士官装束を身につけた美人だった。
頬のあたりで切りそろえられたクセのない金髪に青い瞳の彼女は、花屋の息子らしい彼を見て少し驚いたような顔をしたが、すぐに「ご苦労さま」と花を受け取った。
そして、すぐに花に添えられた封筒に気づく。
早々に辞したいと考えた花屋の息子は、「じゃあ」と一礼して踵を返した。
が。
「あ、あの……?」
襟首を引っ張られてふり返る。
キレイなお姉さんに呼び止められて嬉しくないワケはなかったが……にっこりと笑う彼女の顔を見て、何か企んでいるのだとすぐに分かった。
彼女は、封筒に入っていた手紙を丁寧にたたんで戻すと、花束に元のように差し入れて、花屋の彼にふたたび渡した。
「直接、彼に渡していただける?」
ビックリして、目を瞬〔しばた〕かせた。
「直接って、アルテア卿にですかっ」
真っ青になる。一介の花屋が御貴族さまに会うのだってかなりの大事件だったが、アルテア卿と言えばこの司法院の最高審官であり、別名「死神の涙」と称される厭世家の人嫌いとされている。
きっと、とても気難しい方なのだろうと有名だった。
最高審官という立場柄、気に入らなければ殺される可能性だってある。いや、これは巷の噂だけど。
「大丈夫、とって喰いはしないわ」
くすくすと笑って、金髪の美人は花屋の心配を否定した。
「い、いえ! そんなことは……」
「ふふふ、無理しなくてもいいわよ。有名だものね?」
「はあ……そうですか?」
ここまで友好的な士官に、彼はいまだかって会ったことがなかった。
何しろ、士官といえばどんなに下っ端といえど、エリートの一団で……貴族の子息子女か、とんでもなく頭の切れるずるがしこい人間しかなることができない職業だ。
だから、そんな輩〔やから〕はだいたいにおいて平民を見下していて、同じ人間とは扱ってくれないもの。
話すどころか、目さえ合わせてもらえないのが常だった。
「わたしが渡すより、あなたから渡した方がきっと 面白い わ」
「………」
面白いって、なんですか?
デルハナース・ジン・アルテア。
冷たい青灰色の瞳に、長い闇色の髪。その動かぬ仮面から、「死神の涙」との異名を持つ……司法の「癒し」を司るアルテア家の最高審官。
こんこん、と扉を叩くとひやり、とした冷たい男の声が入室を許可した。
「し、失礼します」
頭を下げて戦々恐々入ってみると、噂通りのその姿が「最高審官室」の二つの机のうちの一つに座っていた。
もう一つの、「裁きの天使」の机は今は不在のようだった。
摂氏零度の冷たい青灰の眼差しが、細められ……射すくめられる。
「あ、あの。お花をお持ちしました!」
ばっ、と差し出すのと、コロコロと何かが転がるのとがほぼ同時だった。
恐る恐る「死神の涙」の方をうかがうと、彼の持っていたペンが机の上を横断している。
で、表情の動きがないまま死神は静かに訊いた。
「誰から?」
「えっと、えっと! 「君の天使」さまからです!」
「……あー、聞かなかったことにしたいが。 誰から だって?」
「え……あの」
どうやら威嚇されているらしい冷たい眼差しに、……しかし、表情に変化がないため確信が持てず、花屋の息子は目を泳がせた。
後ろに控える彼女に助けを求める。
「ケイン?」
「――アルテア卿、往生際が悪いですよ。お分かりでしょう?」
ケインと呼ばれた女士官の微笑みに、はぁ……と小さなため息をついて立ち上がると、死神は花屋の若者へと歩み寄った。
「無断欠勤かと思えば、ぅあ! 花束か。どうせ、厄介なことにちがいないんだ。……あの天使さまはなあ。だいたいいつだって いい話 だった例〔ためし〕がない。た!」
途中、思いっきり椅子から滑り落ちそうになったり、机の角で足をぶつけたりしながら、なんとか辿り着く。
「ふ……」
笑ってはいけない。
と、思いながら、花屋の息子は歯を食いしばった。
デルハナースは花束に添えられた手紙を手にして、開く。
あまり期待していない目が、冷えた。
「 ふざけたことを 」
ひやりとした悪態を吐いて、颯爽と花束を受け取ると、後ろで傍観を決めこんでいた女士官に命じる。
「王宮へ。馬の用意をしろ」
「すでに手配済みです、アルテア卿」
にっこり、と応じた彼女に、死神は何とも言えない表情をして「そうか、ならいい」と花を見下ろしてもう一回ため息をついた。
「まったくアイツは、「結婚祝い」だと? 勝手に決めて会えるような人間じゃないぞ。皇帝陛下は!」
「きっとトラドゥーラ卿流のお遊びですね、ここ最近 暇 そうでしたから」
騒ぎになるのは、計算のうちでしょう……とあたかも、当然のように彼女は微笑んだ。
そんなおかしがる女士官を見咎めるように睨み、デルハナースはしかし、そうだろうと肯定した。
無表情ながら、その顔は疲れている。というか、諦めている。
「だろうな、司法院〔ここ〕が暇なのは結構なことなんだが……ケイン、笑うな」
「申し訳ありません、つい」
女士官はあっという間に笑いを引っこめて謝罪した。
「それに付き合うアルテア卿も、腐れ縁というか人がいいというか」
「 仕方あるまい 」
身支度を整えつつ、デルハナースは面白がるケインの青い眼差しを睨んだ。
「留守の間のことは、ご心配なく」
「ああ、心配はしないから安心しろ」
その見事さに目を奪われる。
「あなたも、ご苦労さま」
ウィンクをして、立ったままの花屋の息子に礼を言う。
扉を開けて、退室を促すと……通り過ぎざまに「ね、面白かったでしょ?」と彼女は笑った。
それから、その日の午後。
王宮は大騒ぎだったらしい。「病弱皇帝」ことルディオン皇帝の執務室に侵入者があったのだとか……。
けれど、それはまた別の話。
で、この日と同じくして「死神の涙」の巷での噂がちょっとだけ変わった。
厭世家で人嫌いの人のいいボケた人――デルハナースの困惑が見てとれそうな評価である。
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