柳ヶ丘中学校の校庭に、甲高い悲鳴があがってワラワラとジャージ姿の生徒たちが集まってくる。
彼らの熱で湯気が立つ、外気は凍っていた。
一際背の高い担当教諭がやってくると、女生徒が「タイヘーン」とまずは主張して、連絡した。
「せんせー! また 、竜崎くんが気分悪いってー」
「うずくまっちゃったんです!」
「だれかー、保健室!!」
白い息で口々に言う彼女たちに、佐々岡体育教諭・三年担当は苦笑いをして眉をひそめた。
「で、その竜崎は?」
「え?」
「アレ?」
言われて気づいた彼女たちは、竜崎菫の姿がないことにきょとんとする。
中心から離れたトコロにいた女生徒が、「朱美ちゃんが連れ去っていきましたけど」とひかえめに伝えると、クラスメートの顔がまたか、と奇妙に慣れた反応を示す。
「まー、あの二人付き合ってるしねー」
「そうそう」
「竜崎くんから告白したんだって、しかも転校してきてから即行だったってさ……結構、情熱家だよねぇ?」
「ほんとー」
それぞれに口にして、自分たちが恋だ愛だと盛り上がる前に固まってしまった二人に――嫉妬はなかった。
確かに「キレイ」で「病弱」で「情熱家」な彼にいいなーと思わないことはないけれど、「元気」で「熱く」て「暴れん坊」な彼女以外を寄せつけない、頑なさ。
ふだん、ぼーっとしたイメージが強い少年なだけに、区別があからさますぎて憎めなかった。
そんな彼女たちに「コラコラ」と手を叩くと、佐々岡教諭は無駄口を止めた。
「ったく、会沢は保健係じゃないだろう。仕方ないな――あとで、私が保健室まで見に行くから……君たちはマラソンを続けなさい。いいね?」
「 ……はーい 」
もうすぐ卒業を迎える生徒たちは未練がましく先生の顔を見て、「せっかくサボれると思ったのに」と悪態をつきながら走り出した。
*** ***
その頃。
「ひゃっ!」
柳ヶ丘中学校の保健室では、会沢朱美〔あいさわ あけみ〕が 彼の腕 から逃げようとして逃げられなかった。
間近に見える紫がかった色素の薄い眼差しが、おかしそうに笑う。
(自分でやっといて、それはないんじゃない?)
と、まるで見透かされたように後頭部をとらえる彼の手が強く彼女を引き寄せた。
「り、竜崎くん……ずるい!」
先刻〔さっき〕まで、眠っていたハズの彼に、朱美は騙されたと思う。
いつものごとく、変調をきたした彼――竜崎菫〔りゅうざき すみれ〕を病弱に仕立て上げ早々に保健室へ連行したまではよかったが、やはりアレは菫の体力を浪費するらしく、無理くりなだめたあとは昏々とした睡魔に襲われるのだ。
いつものように、保健室のベッドに横になった彼の様子を眺めながら、ほんのちょっと遊び心ができてしまった。
色素の薄い髪に、少年のあどけなさを残すキレイな顔。
スースー、とおだやかに眠るその横顔にキスしたいような衝動にかられた。
ちょうどいいことに……というか、もともと先生が常駐していないし、誰もいないし。
普段のアレでは、たぶん当分できないし。
(……襲ってもいいよね?)
とか、ふしだらなことをあっけらかんと思って顔を近づけたら、このアリサマなんだから、ワケが分からない。
「んん……」
ひんやりとした唇が触れて、目を閉じる。
ベッドに横になる菫に、覆いかぶさるハメになった朱美は体が落ちないように腕を突っ張って頑張った。
「はー、はー……しんどい」
ようやく初キスが終わって、朱美は色気のない感想を口にする。
菫はきょとんとして、次にようやく納得したらしい。
「 べつに頑張らなくてもよかったのに 」
と言って、朱美のセーラー服を力いっぱい抱き寄せてベッドへと招いた。
「うひっ!? 竜崎くん! ダメ、だってばッ」
「いいからいいから」
「で、でも――平気?」
その胸にコトンと頭を乗せて、朱美は心配になって耳を寄せた。
トキトキと鳴る彼の心臓の音に、自分のバクバクという音が重なった。
(なんだ、わたしの音の方がすごいや……)
それも、ある意味ちょっと悲しいなあと思いながら、ジタバタしていた手足を止めてしばらくぼんやりとする。
シュンシュン
ストーブにかけられたやかんから洩れる、蒸気のあがる音だけが響く保健室。
「会沢さん……イヤじゃない?」
「なにが?」
心地いい体温にぼんやりとしていたので、菫が何に対して訊いているのか分からなかった。
「キス。それに、僕とこうしてるの――イヤじゃない?」
「んー、イヤじゃないよ」
むしろ、気持ちよくて眠れそうな感じだった。
「じゃ、コレは?」
好きだよ、朱美。
耳元で囁かれ朱美は目を丸く見開いて、嬉しくなって笑った。
「わたしも、好き。菫くん」
ギュッ、抱きつく。
「あー、やばい」
残念そうに呻〔うめ〕いて、菫は可愛い苦笑いを浮かべた。
「ドキドキしてきた」
それを聞いて、朱美はがばっとベッドから飛び起きた。
(やっぱり、こういうのはまだ早すぎるみたい……でも)
ホッしたような、なんとなく物足りないような気分でふり返り、変化する彼をしっかりと見届ける。
(でも――いつか、なれる?)
唇に残る、あまい接触〔キス〕の余韻。
口の中に広がるあまいお菓子のような関係に、いつか辿りつけるだろうか。
だったらいいなあ、とにへらと笑って、朱美は終業のチャイムとともに醜態に拗ねた彼の背中を「ドンマイ!」と平手でピシャリと元気づけた。
おわり。
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