うでもい話 4


〜Sumire and Akemi〜
■読むまえに、ご注意ください■
こちらの 「どうでもいい話」 は、
「龍の血族〜Sumire and Akemi〜」のおまけ短編小説です。
時間列としては、「くりすます・エデン」のその後の話になります。
単品としても読めなくはありませんが、
消化不良予防の為
事前に、「くりすます・エデン」を読むことを オススメ します。
 エッチ度=★☆☆☆☆



「――おめでとうございます。妊娠二ヶ月、七週目に入ってますね」
「ほんとう、ですか? 先生」
「ええ、定期的に検診に来てください。安定期に入るまでは、無理はしないように注意してくださいね」
「はいっ、先生」
 ……というやり取りが、日常的に繰り返されている杉本マタニティクリニックで、院長である杉本栄〔すぎもと さかえ〕はおやおやと内心驚いた。

 最初の印象は、若い夫婦だな……だった。
 年齢が、ではなくそのかもしだす雰囲気が若々しいというか、初々しいというか。
 初診の時、彼女――竜崎朱美夫人は一人でやってきて上記のような定例の挨拶が交わされ、今回の二度目の診察に訪れた。今回は夫である竜崎菫氏とその長男も伴ってやってきた彼女は、診察室に入ると初診の時と同じように、それは元気に笑って言った。

「こんにちは、先生」

 訊かなくても分かることだったが、型どおりの確認をしておく。
「体調はどうですか? 竜崎さん」
「はいっ、バリバリです。食欲ありすぎて困るくらいで」
 カラカラと小気味よく言うと、隣の物静かな夫に視線を投げる。
「さっきも子どもに注意されたんです、わたしって暴れすぎなんですって」
「ははあ、そういえば前の診察の時もありましたねえ」
「あはは、スミマセン」
「なに? 朱美。前もあそこのエスカレーターで挟まったの?」
 正確に言うと、前は駆けこんできた子どもたちのために閉まりそうな扉を身体で止めた……のだが、今回は彼女自身が駆けこんで挟まりかけていた。
「んー、あれ?」
 ふと、不思議に思ったのか竜崎夫人は杉本院長を見るとおずおずと訊いた。
「せんせい、もしかして また 見てらしたんですか?」
 じつは、院長室と診察室の廊下の窓から、受付の横にあるエレベーターがよく見えるのだ。
 思わず思い出して、杉本院長は笑った。

「はは、旦那様がいらしてよかったですね。今回は扉に挟まれずにすんだじゃないですか」



 黙っていれば、竜崎夫人はごく普通に可愛い「若妻」だった。

 腰まで伸びた長い髪をひとつの三つ編みでまとめて、顔の化粧っ気はほぼなく、色付きのリップをつけただけのような自然な唇とコロコロとよく動く瞳。見ていて時々驚くような突飛な行動をするから、思わず目で追ってしまう弾けた子どものような女性〔ひと〕……と例えたらどういうふうに思うだろう?
 そんな彼女の旦那はと言えば、ナースが目で追うほどの整った容姿の男性だった。色素の薄い髪に紫がかった不思議な色合いの瞳、物腰はおだやかでおっとりとした印象なのに行動は流れるように卒がない。
 エレベーターで挟まれそうになった夫人を助けた時も、まるで最初から見越していたように扉を片腕で止めて、胸の内に入った彼女に何事か囁いていた。
 遠く離れた場所からだったので何を言っていたのかは、想像するしかないが……それが、また絵になるからナースたちが色めきたつのも仕方ないだろう。

 ――しかし。

 今、待合にいる彼らの息子に対しての常軌を逸した待遇は考えものかもしれない。看護婦長である母に、注意を促さねば……と、杉本院長は考えた。
「あ、蒼馬が看護婦さんたちにお世話になっちゃって、すみません」
 杉本院長の思惑を察したのか、竜崎夫人が恐縮した。
「いえ、いいんですよ。騒いでいるのは、彼女たちの方なんですから」
 診察室の方にまで声が響いてくる騒がしさに眉をひそめながら杉本院長は言って、「大きなお子さんがいるんですね」と話をそらした。
「ええ、今年の春から小学三年になります」
「ということは、前はうちの父の代に来られたんですか」
 じつは、それも杉本院長の関心事のひとつだった。産婦人科の病院長としては甚だ遺憾なことではあるが、彼は人間観察が大好きなのだ。
 インターンで大学病院の産婦人科にいた時も、それでよく教授に注意を受けたものだったが……。
「そうそう! そうなんです。先生が若くなっててビックリしちゃった……院長先生、あ、前院長先生ですね。お元気なんですか?」
「まったく困ったもので、早々に隠居しちゃうんで引き継いだコッチは大変なんですよ。うちのは高校教師してるんで、母だけは看護婦長として残ってくれましたが……」
 顔色がかげった竜崎夫人に苦笑して、杉本院長は首をふった。
「ああ、ご心配なく。父はすこぶる元気です……隠居は単に遊びたいだけのようですから」
 安心した夫人へ、ようやく本題に入る。

「じゃあ、診察しましょうか。こちらにどうぞ」
 ふと、竜崎氏と目があって杉本院長はとある事実に思い至った。
(――ああ、なるほど)
 ずーっと、奇妙な違和感を感じていたが、そういうことなのだと納得した。
 敵意のような、憎悪のような視線。
 物静かな印象なのに、内にある感情はとても熱いのかもしれなかった。
「竜崎さん、ご主人に愛されてらっしゃるんですね?」
「は? んなっ、なに言い出すんですかっ!」
 杉本院長のくすり、とした囁きに竜崎夫人はきょとんとして次に真っ赤になった。

「 いや、じつに羨ましい 」

 本当に、初々しい夫婦だ。とてもあんな大きな子どもがいるとは思えない。
 杉本院長は思い、なんとなく省〔かえり〕みる。
 高校教師をしている妻とこれくらい初心〔うぶ〕に愛し合えたら、いいのかもしれない……と。
 思いついて、彼はひとり悦に入った。


おわり。

■その後の話■

 杉本マタニティクリニック2階の診察室の前で、ナースたちにかしずかれた蒼馬は手にいっぱいのお菓子を抱いて開いた診察室の扉を見つめた。
 まず、現れたのは父だった。
 蒼馬の方に目をやると、微笑む。
 そして、後ろの診察室を振り返った。母はなかなか出てこない。

(――なんか、お父さんがこわい)
 と、子ども心に蒼馬は胸をドキドキさせた。もともと物静かな父はそうそう怒らないし、おだやかな人なので怖く感じること自体が少ないのだが……時々、こんなふうに冷ややかに怒ることがある。
 表面的にはいつもと変わらない表情をしながら、不機嫌なのだ。たぶん。
「じゃあ、先生。ありがとうございました……また、来ます」
 ようやく診察室から出てきた母は、無邪気に無防備な笑顔を若い院長先生に向けていた。
 それだけで、母がこの院長先生を気に入っていることが分かるくらい――じつのところ、蒼馬もちょっと驚いたのだけど、それよりもハラハラした。
 父は、母に関することにはことさら「制御」がきかないのだ。
 にこにこと怖いもの知らずな暢気〔のんき〕な先生は笑って、「気をつけて帰ってください」とか言っている。
「竜崎さんは特に、ね」
「はぁい! あ、蒼馬」
 ビクリ、といきなり母が自分を呼ぶので蒼馬は緊張した。その目が異様に輝いているような?
 駆け寄ろうとした母が、「あ」と声を上げて慌てて踏鞴〔たたら〕を踏む。けれど、急なその体勢の変化に上体が傾いて、ぼすっと何かに包まれた。
 何か――言うまでもないことだ。
 蒼馬は、もうこういう場面に(家の中でさんざん見せられているので)慣れているのだけど、さすがに周りが気になった。
 なのに、聞こえてくるのはナースたちの羨望のため息ばかり。
( なんで……? )

「いいわねえ、羨ましい。うちの旦那なら絶対しないわ」
「ホント、しかも絵になるからステキよねえ」

「 ……… 」
 蒼馬は首をかしげて、眉をしかめた。
 よくわからない。
(ふつう、しないものなんじゃないの? ……みんなのまえで、だきあうなんて。お父さんとお母さんが ヘン なんだよ? ねえ?)



 良識ある息子の疑問はどこへやら、周りのナースのため息と羨望の眼差しの中心で父と母はいまだ抱き合ったままだった。

「す、菫さん?? な、なに?」
「べつに」
 とか言って、しばらく離しそうにない勢いで彼は腕に力を込める。
「朱美こそ、なんであの先生に無防備なんだ?」
「え、そう? なんか――お父さんみたいで安心するのかも」
「 ……お父さん? 」
 さすがに、そんなに年はくってないと思うのだが、朱美は頬をそめて菫の胸にすり寄った。
「変かな? そういうの」
 菫はチラリ、と診察室の扉からコチラをおかしそうに眺めている杉本院長を見て、息をつく。
 菫にも「彼」に悪意がないことくらいは分かっているし、むしろこの状況を作為的につくった張本人のような気がして感謝しないでもない。
「まあ、いいんじゃない」
 本音を言うと、あんまり他人(特に男)には無防備になってほしくなかったが……朱美の実の父親があまり日本に滞在していないこともあり、父性には知らずに飢えている。
 そういうトコロも可愛くて、今は焦れったくて仕方がない。

(僕は、朱美の「父親」にはなりえないから……)

 だから、今ここでキスをしないように我慢するしか、できることはなくて。
 無性に歯がゆくなる。

 君を ここ で抱いてしまいたい。

 おだやかな菫が、まさか 本気 でそんなことを思いつめていようとは誰も思わないだろう――しかし。十分には想いを遂げられない今の彼の状況を考えると、当然の論理だった。
「 帰ろっか? 」
「 うん 」
 頷いた朱美は、ハッとして少し離れた場所で距離を保っている長男へ訊いてきた。

「蒼馬ー、その手のモノはなにさなにさなにさ? おいしそー」
 お母さんにもちょうだい、と喜々と手を伸ばして――「ね?」と、ねだってみせた。


おわり。

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